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第22章ー第198話 田口レーダーの性能

 人もまばらになった事務所は比較的静かだった。時間は夜の七時を回った。野原が帰宅したのを確認してから田口は、「財務に直接掛け合うのはどうか」と保住に提案をした。昼間の件がなんとも納得ができなかったのだ。 「財務に?」 「そうですよ。吉岡部長にお願いすれば予算なんて、なんとでもなるのではないですか?」  二人は帰り支度をして事務所を出る。田口の言葉に保住は苦笑した。 「確かに吉岡さんは、お財布を握る最高責任者だが無理だろうな。悪いがおれは、そういうやり方は好まない。――おい。お前がそんな腹黒い汚いやり方を提案してくるなんて珍しいな」 「な……。確かにそうですけど。でも、なんだか――」  野原は一筋縄では行かないような気がしてならないのだ。 「こんな小さい案件に部長が関わるなんてことは皆無だ。そして、そういう立場でもない。これは現場の話だ」 「それはそうですが。なんだかここのところ、野原課長の動向が気になります」 「そうか? そうだろうか?」 「そうですよ」  保住は気にしていないらしい。  ――まさかの。天然!?  ここまで嫌がらせのように呼び出しをされているのに、気がついていないってどういうことなのだろうかと疑いたくなる。しかし保住の回答は真面目なものだった。 「あの人は課長としてやるべきことをやっているだけだ。それ以外になにがあるというのだ?」  ――野原とのやりとりは真面目な業務の一環だというのか?  田口は眉間に皺を寄せた。 「嫌がらせに決まっているじゃないですか」  ――鈍感なんだから。  田口はため息だ。ここのところ突っかかってくるのは、振興係の案件ばかりだ。  ――あの無表情男。なにを考えているか、わからないから不気味だ。 「嫌な予感がします。野原課長って」  田口は不満を述べるが、保住はけろっとして言い放った。 「悪意があるようには見えないが……」 「保住さん。いい加減に自覚した方がいいです」 「自覚ってなんだ?」 「ですから、あなたは人が良すぎるのです。みんながいい人とは限りません。騙されてました、ああそうですか、とは行きませんから」 「なんだよ。いつもだったら、単純なお前の方が騙される役回りだろう?」 「おれだって、人を疑うことはします。特に敵意を持っている人間はすぐわかります」  田口レーダーに引っかかった男。  野原(せつ)。  真面目で仕事には熱心に取り組む。非の打ちどころがないくらいの優良職員。朝は定時前に出勤してきて、微動だにせず熱心に書類の精査をしている。会議となると、開始時間十分前には出かけていく。議会での答弁も纏まっており、佐久間の時の「おっとうっかり、てへへ」なんてヘマはない。  ともかく真面目という言葉に尽きる。にこりともせず、部下たちと無駄話をして談笑をする様子も見られない。  唯一、彼のテリトリーに入っていくのは、総務係長の篠崎女史だけだ。若い職員たちは、彼が苦手みたいで、お茶を出したり、お弁当を届けたりする役割を遣りたがらないのだろう。篠崎は好き好んでやっているのかどうかわからないが、比較的にこやかに野原の対応をしていた。  田口には女性の気持ちはわからない。上司へのごますりのつもりなのだろうか? しかしそんな篠崎に対しても、彼が笑顔を向ける様子は見たことがなかった。  田口は仕事をしながらも、着々と野原を観察していた。黒いところはなさそうだが、なぜ振興係の企画に文句ばかりつけるのだろうか。個人的な嫌がらせをしているのか。それとも、誰かの差し金なのか。  いつもはのんびりしていて、鈍感なところがある田口だが、保住を守ると言う目的が加わると途端に戦闘モードだ。妙に目がランランとしている田口を見て、保住は呆れながら笑う。 「お前の考え過ぎだ。田口がそんなに妄想家だったなんて、知らなかったぞ……」  そんなことを話して階段を降りていくと、一階で噂の野原とばったり出くわした。  先に帰ったはずなのに、どこかに寄り道でもしていたのだろうかと思った。噂をすれば……ということわざが、田口の脳裏を過ぎった。 「課長」  思わず田口の呟いた声で気が付いたのか。野原が顔を上げた。その視線を受けてから、ふと隣に視線を遣ると、彼は一人ではなかった。見たこともない男と一緒だったのだ。 「お疲れ様です」  田口は咄嗟に挨拶の言葉を口にする。野原は相変わらずの無表情だが、男は目を細めて保住と田口を見つめていた。  ――なにか言われる?  田口は身構えるが、保住はお構いなしに「課長、お疲れ様でした」と軽く挨拶をすると、さっさと職員玄関に向かった。それに倣って田口も頭を下げ、保住の後をくっついてその場から離れた。後ろから呼び止められることはなかった。  内心ほっとする気持ちと疑念が浮かび、軽く動悸がする感覚を覚えながら歩いていくと、ふと保住が呟く。 「確かに。お前の言う通りかもしれないな」 「え? あの、野原課長と一緒にいた方は」 「市長の私設秘書の槇という男だ」 「私設秘書? しかしなぜ野原課長がそんな人と?」 「そのままの意味だろう。雲行きは怪しい。野原は侮れないということだな」  先程までの楽観的観測は却下と言わんばかりに、保住は険しい顔をしている。  ――野原が市長と繋がっている? どういうことなのだ。  なんだか胸がざわざわした。なにか起きなければいいが――。IDをかざし、庁舎から出た二人に会話はなかった。

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