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第23章ー第207話 やっぱりツイていない
やはり誕生日はいいことがない。自分のせいではないのに、何故だろうかと自問自答しても、答えが見つかるわけもなかった。
「星音堂の件でいいかな?」
昼前に珍しく、教育委員会事務局長の佐久間が顔を出した。そして彼は、保住の寝癖を見て目を瞬かせてから笑った。
「いいね。それ」
「……ありがとうございます」
褒め言葉でこそあれ、笑われているのも半分。相変わらず不機嫌でむすっとしている保住だ。
「それより。星音堂の件なんだけど。あちこち不具合が多いそうだ。次年度に改修工事を入れたいみたいでね。話を聞いてきて欲しいんだけど」
佐久間の話の内容に保住は田口を見た。星音堂の担当は田口だからだ。
「午後は別件の打ち合わせがありまして……田口だけで大丈夫でしょうか?」
「そうだね。書類はできているみたいだし、後は確認だけしてきてもらえれば……」
そんな話をしていると野原が顔を出した。
「佐久間局長、私が参ります」
「え」
「え!?」
「野原くん、大丈夫なの?」
「予算取りに関わることです。自分の目で見てきます」
彼は頷く。機嫌の悪い保住は反対することもなく黙っていた。
――この調子だと課長と一緒に外勤になるってこと!?
黙ってことの成り行きを見守ってはいても、内心は焦りまくりの田口の気持ちなんて他所に、話は勝手に進んでいった。
「そう? じゃあよろしく。田口くん、よろしくね」
佐久間はにこっと笑うと、田口の肩を叩いた。
――二人? 課長と行くの!? 助け船なし!?
保住は「仕事だ、頑張れ」と言わんばかりの視線。泣きたくなって、田口は血の気が引くのがわかった。そして、そんな彼を見上げて野原はポツンと言った。
「おれも同じ気持ち。安心しろ」
「課長と外勤は嫌です」という気持ちが、当事者である野原に伝わっているっていうことだろう。
――失態。
そんなことは今までなかったのに。どうしたらいいのかわからないくらい焦燥感に駆られているのに、野原はしらっとした顔で「1時に公用車回して」とだけ言って自席に戻って行った。気が付くと、渡辺も谷口も十文字もみんなが田口を気の毒そうに見ていた。
「ご愁傷様」
谷口はぽんと肩に手を乗せた。
***
――やっぱり誕生日はついていない。ついていない。
意識しないようにとすればするほど、ドツボにハマる。
助手席に座る野原の横顔を見ながらため息だ。話すこともないし、戸惑いばかりだ。黙って運転をするしかないのだ。
助手席の野原はただぼんやりと外を見ているようだった。
こうして大人しくしていると、優しそうな雰囲気なのに、彼は口を開くと威圧的だ。話し方なのだろうか。別にきつく言われているわけでもないのに、そう感じるのは、彼の言葉がストレートで短いからだろうか。詳しい説明がないからきつく感じるのだろうか。
そんなことを考えていると、野原がふと顔を上げた。
――盗み見ていたことがバレた?
ドキドキするが、そうではないらしい。野原は大して興味もなさそうな表情で田口を見た。
「お前は、なぜ保住のそばにいる」
「なぜって」
「澤井に預けられたから? それともお前の意思?」
「それは……お答えしなければいけないのでしょうか?」
昨晩の出来事の後だ。警戒している。余計なことは言いたくないのだ。田口にしては慎重な言葉を返すと、彼はどんな反応をするのだろうか。
――なにか言われるのだろうか?
そう思ったが彼の反応はあっさりしたものだった。
「いや。おれの興味本位。答えなくていい」
――あれ? 肩透かし。
「では、反対にお聞きします。野原課長は、なぜ振興係がお嫌いなのでしょうか?」
田口の問いに野原は目を細めて首を傾げた。
「嫌いとはなに? 意味がわからない」
「え……」
思わぬ返答に田口が目を丸くする番だ。
「いや。だって、振興係ばかりダメ出しをしていませんか?」
「それは、問題があるから、あると述べているまで」
「ですが。……では、保住係長がお嫌いなのでは?」
野原はますます首を傾げる。
「保住が、嫌い? どうして?」
――それはこちらが聞きたい。
田口は返答に窮し、言葉を濁す。
「えっと、なんというか。つまり、その」
「お前がなにを言いたいのかわからない。おれは保住の文章の書き方が好きではないだけ。自信があるようだが、はったりも含まれている。確実に決済をもらいたいなら、もう少し慎重な文章作りがいい」
彼の言葉をストレートに受け止めるとすると、普通に文章の精査をしていただけだ――ということになる。しかも通すための直しまでしているということだ。
つまりは、嫌がらせをしているわけではないということ。
「じゃあ、企画書に待ったかけて通さないのって、保住さんが嫌いとかじゃなくて……」
「お前はおれが嫌がらせをしていると思っている?」
じっと見つめられると、田口の方が恐縮してしまった。
「いや。……すみません。そう思っていました。嫌がらせなのかと」
「安易」
彼はため息を吐く。
「保住のことは嫌いも好きもない。槇は保住を巻き込みたいみたいみたいだけど、それはそれの話。おれは自分に課せられた仕事をするだけのこと」
野原は視線を外に戻した。
――そう。きっと、それだけなのだ。彼にとったら、それだけのこと。
一人で被害妄想的に捉えていた自分が浅はかに見える。恥ずかしい。
――槇さんって人とは、随分と印象が違うのだな……。この人に感情はあるのだろうか?
機械的な回答。
正論。
確かに間違ってはいないのに。どこか血の通っていない言葉ばかり。彼は一体なにを考えているのだろうか?
田口はそんなモヤモヤを抱えたまま、車を星音堂の駐車場に入れた。
野原という男は、知れ知るほど、難解な人間であると思ったのだ。
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