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第8話

……は? と、声に出たか出ないかはわからないが 少なくとも俺の耳は法月の言葉に反応した。 そんな技があるのか。 薄ら笑みを浮かべてこちらを見つめる、法月の美しい二重に捕われる。 毎日顔を合わせてはいるが、こうして目があったのは初めてかもしれない。 いや、そんな事はどうでもいいんだ。 俺のマスク事情をこいつは知っているのだろうか。 女性ものの化粧崩れを防止するマスクは、上のワイヤー部分にスポンジが貼り付けられているらしく その原理を真似て自作したこともあったが、俺の不器用さが原因なのか全くの失敗に終わった。 それからも数々の挑戦を繰り返しては失敗し続け、すっかり諦めていたというのに。 こいつは今、そんな俺に“簡単”とまで言いやがったのだ。。 「な、なんだそれ。教えて──…。」 「今日のお昼、ご一緒していただけますか?その時にでも。 ほら、今は仕事が立て込んでそうですし…ね?」 デスクを指されれて目を向ければ、そこにはいつも通り書類の山。 基本的に口下手なので、誰に何を頼まれようと断る事が無い。 抵抗などせず、はいわかりましたと言った方が話は早く済むからだ。 「…いつも見ていましたけど、どんどん仕事を押し付けられていますよね。 ご自分の仕事もされているんですから断ったらいいのに。」 「断るのが面倒臭い。」 喰い気味に返事をして再びマウスに手を乗せる。 昼にならなきゃ教えて貰えないと言うなら、今何を言った所で意味は無い。 少しでも仕事を進めた方が、定時に会社を出られる希望が見える。 すると先程一瞬で目をそらしやがった女性社員が どういうわけか俺の席までやってきた。 「あの、竹内君?私今手あいてるから何か手伝おうか?よければやり方教えて──。」 「大丈夫です。」 「……あっ、そっか~。りょうかーい。 …コーヒーでも淹れてこよっと……。」 その社員に目も向けずに答えれば、足音は遠くへ消えていく。 やり方もわからん奴が手伝える訳無いだろう。俺の仕事を増やさないでくれ。 大きなため息と共に、首をぐるりと一周回す。コキコキと気持ち良い音を立てたほんの一瞬 隣の席の男と目が合う。 なんだその呆れたような笑いは。 「竹内さん……そういう所ですよ。」 「…あ?」 「いえ何でも。まぁ僕はそのままの貴方で居てもらった方が嬉しいんですけどね。」 何を言っているのかさっぱりわからない。 それから昼休憩までの残り1時間で、更に押し付けられた企画書の誤字脱字チェックを引き受け、 ようやく2回通り読み終えた頃、休憩時間を知らせるチャイムが鳴った。 「たーけうちさん。お昼、どこで食べましょうか?」 軽快な足取りで俺の肩に手を置くのは、 昨日までまともに話したこともなかった部下の男。 いきなり打ち解けすぎだろう、とも思うが それがまた法月の良い所なようで。 5年以上前から毎日この空間にいる俺よりも、よっぽど職場に馴染んでいる。 羨ましい訳ではないが、自分から壁を作るような俺には存在しない能力を持っている法月を、尊敬していない訳でもない。 人と円滑なコミュニケーションを取ることが出来るその饒舌さも。 俺にはないものを沢山持ち合わせている、優秀な部下だと思う──。 「昼、か……いつもコンビニかそこのラーメン屋だから持ってきてない。」 「この天気の中で変わらず外出を試みるその姿勢、素敵だと思いますよ。」 いや、前言撤回だ。 明らかに上司をバカにしているだろう、その発言は。 「………法月お前…。」 「ほら、コンビニ行きましょうコンビニ。」 背を押され、すっ転びそうになったのは絶対に秘密だ。こいつは何十年と弄り倒す男だ。

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