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第84話

初めこそ心配していた法月の同行だが、どうやら俺の考えすぎだったようだ。互いに用意された部屋に入ってから、ヤツは一度もアクションを起こしてくることはなかった。 飯くらいなら一緒に食ってやらないこともない…などと何処か浮かれていた自分が恥ずかしくなるほどに静かな時間。 勿論飯は美味い。元々中華や洋風よりも和食が好きな事もあるのだろうが、それでも雰囲気に合った豪勢な料理を堪能できるのは有り難い。 備え付けの浴衣に腕を通せば、底上げされていない身長では床に垂れ落ちる裾が少々邪魔だ。 だが、そんな小さな事など気にならないほど、着心地が良かった。 これが、もし個人的に旅行なんかで来ていたのなら一体一泊いくらするのかと恐怖を覚える。 普段はビールしか飲まないが、こんな日は日本酒を頼んだりして。 ほんの二口飲んだだけでも頭がふわふわして気持ち良い。身体も熱くて気分がいいな。 もっと飲めば、もっと良くなれるだろうか。 明日もそう早くに出ないといけないわけではない。それに、いざとなればモーニングコールの一つや二つ、頼れる部下なら容易いだろう。 まだ飲み終えてもいない熱燗を追加で注文し、思っていたより重心の定まらない身体を何とか操りながらスーツに仕舞われている煙草を取り出した。 …あぁ、あと3本しか無いじゃないか。 そうだ。いつもなら仕事帰りに佐々木のいるコンビニに寄っていたところだが、何となく行きづらいというか…どんな顔をして会えばいいのかわからず、そのままだったな。 仕方ない。次の酒が来たら近くのコンビニの場所でも聞いておこう。 残り僅かといえども、酒が入るとどうにも吸いたくなるもので。 窓を開け、瀬戸内の乾いた風を感じながら煙を深く吸い込んだ。 ──そして。 「あし…!なかなか、入らんぞ!うううっ!」 頭で垂れ流していた言葉達が呟きの枠をも超えるまでに、酔っ払いの完全体となったのだった。 煙草が!俺の大事な煙草が切れたのだ。買いに行かないと死んでしまう。買い込んで、沢山吸って、幸せな気分のまま今日はゆっくり眠るんだ。 ぺたぺたと足にベルトや何かを括り、底の厚い靴を履き終える。勿論外出用の草履もあるが、それでは浴衣が汚れてしまう!幸いコンビニまではそう遠くない距離だ。 それなら、いくらちょっと…ほんのちょぉっと酔っていたところで転げ落ちる様な事は無いだろう。 歩く度に世界が揺れるんだが、もしや俺は異空間にでも入り込んでしまったのだろうか? なんてな。アッハッハ〜!今日はいい日だ、最高だ! 22時30分。歪む世界を踏みしめて、俺は大好きな煙草…通称“たぁくん”を手に入れる大冒険の幕を開けたのだった!

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