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第100話

長い夢から目覚めたのは、アラームが鳴ったからでは無い。 モーニングコールが来た訳でも、食事が運ばれてきた訳でもない。 だったらどうして目覚めるんだ…って? いやいや、俺だって立派な社会人だ。 一人暮らしにも随分と慣れている。 その中で鍛えてきた腹時計という、地球上で最も漠然としていながらそこそこ頼りになる時計が起床時間を知らせてくれたのだ。 まぁ、的確な時刻を示す事は不可能らしく まだ外は薄暗いのだが。 ところで、だ。 どうにも理解できない点がある。 一つ、二つ……数え出したらキリがない。 取り敢えず一つに絞るとしたら……。 「ここ…、何処だ。」 昇りかけの朝日に照らされた観葉植物は程よく効いた空調に葉を揺らし、 無駄にベッドは広いし、恐らく俺は使用していなかったであろう二つ目の枕は…まるでついさっきまで人の頭部を包み込んでいたかのように中心を窪ませたまま。 はだけた浴衣は純和風の柄なのに、今居るところは洋画に出てくる華やかなベッドルームだ。 理解が何も追い付かない状態ではあるものの、無意識に探し始めてしまうもの。 勿論、煙草。 仕方ないだろう。落ち着いて状況把握をする為にも、ニコチンを摂取しつつ深呼吸の出来るアイツは必需品なんだから。 ぐるりと部屋を見渡すと、透明なガラステーブルの上に置かれた箱が目についた。 用意周到に立派な灰皿まで置いてある。 …隣には、デザインの凝ったライターまで。 ここが何処なのか…いや、“何なのか”。 何となく察しがついて来たぞ…。 来たことがない訳ではないから。 …とは言っても随分と前の話だが。 酒の抜け切らない頭をおさえ、昨夜の記憶を辿る。 確か…あの時、飲んでいたら煙草が切れて。 買いに行こうとコンビニまで行ったものの…買った煙草が、不味くて……それで? いや、だめだ。 まともに煙草を購入したのかすら思い出せない。 しかし、こうして見知らぬラブホにいるという事は 俺が行き倒れて…泥酔した俺を何者かが助けてくれたという事だ。 あぁくそ。いくら泊まりとはいえ、今は出張中だ。仕事しに来た土地で俺は何という失態を…! 己の馬鹿加減に耐えられなくなり、勢い良く床に足を下ろした時だった。 「ぁ、い゛ッッ………てぇ…。」 足首に鋭い痛みが走り、思わず膝を上げれば身代わりとなった尻が硬い床に打ち付けられる。 尻餅をついた事なんか久々で、ガンと背中まで響く痛みに暫く声も出せなかった。 …これも、日頃の運動不足か。 もう少し反射神経が良ければ多少は受け身も取れただろうに。 頭、足に加えて尻まで痛い。 ついでに心もポキッと逝きそうだ…。 流石に呆れを覚え、ため息まじりに腰を摩っていると、開けっ放しの扉の向こうから聞こえたのは慌てたような足音。 そういえば、俺を助けてくれた誰かも同じ部屋にいたんだった。 向こうは…洗面所か。 随分と早起きなんだな。…あぁいや、俺が居たから気も休まらなかったのだろうか。 どこまでも申し訳ないな。 しっかり謝って、可能なら住まいを聞いて後日お礼の品でも送らせてもらおう。 近場なら良いのだが、何せ家からは随分距離が離れているからな。 …と、あれこれ考えていた俺は この数秒後に信じられない光景を目の当たりにすることになる。 「今すげぇ音聞こえたっスけど…大丈夫?意外と早起きなんスね。おはようございます!」 「え…なんっ……おま、さ…佐々木?」 「っれー、おかしいなぁ。名前で呼んでくれないの?暁人さん。」 ワンコじゃない、猛犬でもない。 舎弟じゃない、営業スマイルでもない。 …ここにいる筈のない佐々木が、 知る筈の無い俺の名を当たり前のように、優しい笑みを浮かべて、呼んだ。 「…………ほえ?」 ヒト科ヒト族ヒト 性別:男、26歳会社員 とは到底思えない間抜けな声が 微かに聞こえる雀の鳴き声と共に、ころんと床に転がった。

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