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第118話

「ダメって…?何それ。あんたが責任取れるの?何も知らない癖に口だけの優しさなんかいらない…ッ。」 「っ!!」 震える手で、彼女は手元のグラスに入った酒を僕に浴びせた。 堪えきれない涙を流し、薄紅色に美しく象られた唇を血が出るほど噛んで。 僕は、自分とは何の関係もない所で苦しむ彼女でさえ、放って置けなかったんだ。 「…そう思わせてしまったのならごめん。 だけどこの気持ちは嘘じゃない。」 今日は帰ろう。 また後日、店ではない別のところで。ホストと客ではなく、僕と君として話をしたいから。 そう言って、半ば無理やり連絡先を聞き出して彼女を送った。 そして翌日、約束通り連絡をくれた彼女と喫茶店で待ち合わせ、彼女の要求を全て飲んだのだ。 子供を堕ろすなと言うのなら、その父親になってみせろ。自分を養って見せろと言い放つ彼女の言葉を、全て。 “──それが僕に出来る事なら、それでいいよ。” 彼女…優里は予想していた通り、身体を売る仕事をしていた。 優里は妊娠を理由に収入を無くし、同時に自らの価値さえも見出せずになっていく。僕は貰っていた内定を全て取り消してもらい、夜の仕事に力を入れた。 優里の腕に増える傷を見つけては抱き締め、泣き出す彼女の背を落ち着くまで撫で続けて そして、娘が産まれた。 僕の血など入ってはいない。 赤の他人と、紙の上でのみ婚姻関係を結んだ女性の子。 それでも、この小さな命を守り切ってくれた優里に感謝の気持ちが溢れた。 サチには敵わない。 ひとたび優しくされれば直ぐに間違いを侵してしまう、依存という病に苦しむ優里に決してそれをさせなかったのだから。 だから僕は、サチとは違う形で優里を更生させ、これからは共に子育てをしていくものだと、そう思い込んでいた。 だが彼女はそうではなかった。 「ルナは本当に優しい人。私1人じゃ、この子を産む勇気なんて無かったもの。」 「そんな事……。優里は強くて素敵な人だよ。」 本当の名を呼んでくれた事はない。 彼女にとっては最後まで、僕はルナというホストでしかなかった。 「憎んでくれていい。あとはその子を施設の前にでも置いておけば、アナタはこれまでと何も変わらない生活が送れるでしょ……サヨナラ。」 「待っ……優里!!」 優里とはそれきり、連絡もつかない。 彼女は父の存在も知らず、母は幼い頃に自害していた。 家族の愛を知らずに育った彼女自身、生まれた娘を育てるという選択肢ははなから存在しなかったのだ。 一年にも満たない婚姻関係で、結局僕が彼女にしてやれたことは何もない。 愛を知らない彼女は、再び擬似的な恋愛で欲求を満たすために姿を消した。 自分の弱さをあそこまで痛感した日は無い。 それなりに恵まれた環境で育ってきた自分に備わってしまった厄介な性格が、優里をどこまでも傷つけた。 彼女の求める愛を、僕は満たしてやることが出来なかった。最後まで同情心でそばにいた事も、きっと彼女はわかっていたのだろう。 残された娘には、優楽と名付けた。 優里が楽しく生きていける日が来ますようにと願いを込めて。 養育費の存在も知らないであろう彼女にたかる気は無い。上辺の優しさで縛っていたのは僕だから。 いくら母親が居なかろうと、優里が残していってくれたゆらを不自由なく育てるため、母に預けて夜の仕事は続けた。 そして今年から保育園に入ったゆらに寂しい思いをさせたくなくて、定時のある昼の仕事へと転職したのだった。 複雑な環境の中でもがきながら生きてきた者達が集う、ギラつくネオンに深い闇の入り混じる街。 ほんの好奇心で足を踏み入れてしまった僕は、そんな強くて弱い彼女らに簡単に手を差し伸べた。 向いていなかったのだ。 強くも無いくせに、口だけの所詮お人好しである僕には。

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