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第173話

「悪いな。子供の好きそうなものは無いんだ。」 「構いませんよ、突然押しかけたわけですし。」 グラスに冷えた烏龍茶を注ぎ、テーブルに並べた。 ここ最近どっかの高校生のお陰で…いや、俺のせいで卑猥な思い出しか無いソファに2人が座れば、浄化されて行く気さえする。 勿論俺は向かい側。いくら子供を連れているとはいえ、職場の上司と部下が隣り合って座るのは違和感があるからな。これでもパーソナルスペースは十分に取る方だ。 ……え、佐々木?佐々木は特別枠だ。 「この広い家にお一人で住まれているんですか?」 「あぁ…まあな。」 事実上は実家暮らし。両親の住民票は今もここのまま。だが連絡すら無いようじゃ、知らないうちに変わっているかもしれない。 捨てられた、といじける年齢でもなければ親を恨むまで苦労しているわけでも無い。戻って来るのなら勝手にすればいい。だからこうして、法月とゆらちゃんに出せるペアのグラスがある。 「パパ、これおにーさんにあげるんでしょ?」 青い方に口をつけた法月の袖を引くゆらちゃんは、彼の膝で横たわるビニール袋を指さした。 ふと目を向ければ、若干透けているのは鮮やかな緑色の模様。大きさ、形、流石にはっきり見えるわけじゃないが、仕事の日も休みの日も、こんな風に休んだ日だって常に俺の胸元もしくはテーブルの上で見守ってくれている…! 「手土産と言うにはアレですけど、煙草買って来ましたよ。」 「ありがとう法月!!」 丁度切らしたところだったんだ!仕事終わりに寄るのが日課だったコンビニに今日は行っていなかったからな!助かる…流石出来る部下はやる事が違う。俺が何を求めているかを予想し、一番の正解を導き出せるなんて!! 「佐々木君にお会計してもらいました。」 「ぶぐぉおっふぉ…げほッ!」 前言撤回しても良いだろうか。少なくとも一番の正解では無くなった。お前の余計な一言のお陰でな!! 飲み込んだ筈の烏龍茶が逆流し、鼻の奥に攻撃を仕掛けたらもうお終いだった。突如襲いくる激痛に鼻の頭を摘み、意味がないと分かっていながらも必死に上を向いて逆流したそれを下に流す。 リアクション芸人さながらの反応に、ゆらちゃんは床に届きそうな足をばたばたと揺らして盛大に笑い出す始末。法月ですら口元を手で覆っている。 「…いやぁすみません。薄々感じてはいましたが、やっぱりあの子が原因なんですね。」 「おま…お前ってやつは本当に……。」 確かに家に来るまでの通り道ではあるが、だからって多少なりとも俺の抱える悩みであったり事情を知っているお前が何でそこを選ぶんだ。 それに、法月にも話せない大大大事件が…つい昨日他でもないお前が座るそのソファで起きたというのに。 「そこで気になって、ちょっと聞いちゃったんですよね。佐々木君に。」 「…は?何、を。」 鼻の痛みはまだ残る。だがそんな小さな事は忘れてしまう、法月の含みのある表情。 笑っているのに何処か冷たく、怒っているようにも見える顔色で。 重みに耐えられず落ちた長い袖を慌てて捲り上げた時、自身の腕に鳥肌が立っている事に気が付いた。 「竹内さんが今日会社を休んだ理由、何か知っているんじゃないか…って。」 目を細め、小首を傾げて放たれた言葉は どちらかと言えばいつもの彼より音量としては小さかったのだと思う。 それでも、俺の耳には届いてしまった。 勢い良く貫いてとどまる、まるで落ち武者霊に刺さる矢のような鋭さで。

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