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第10話 トラブルシューター

「槇さん。私には、あなた方に協力できる準備があるのです。そのあたり、承知しておいていただけませんかね?」 「久留飛(くるび)課長」  底知れぬ悪。そんな気がして、槇は黙り込んだ。  久留飛は、にこっといつもの笑顔を取り戻してから手を振る。 「ま、いつでもどうぞ」  軽い足取りで廊下に消えていく久留飛の後ろ姿を見ると、疑問が浮かんだ。  どうしてだろう。  協定を結ぶには恐ろしい相手であると本能が警告してくる。 「あいつは、食えないな」  のらりくらりと、なにを考えているのかさっぱりわからない。  ――澤井よりも(たち)が悪い? 「よく見極めないと、足元を掬われるか」  久留飛が消えた廊下の先に視線を向けると、ある男の姿が見えた。 「係長、なにも係長が出向かなくても」  後ろから追いかけてくる大柄な男に引き止められているようだが、男はお構いなしだ。 「財務との話はおれがつける」 「しかし」 「田口。お前はおれを信用していないな」 「そう言う意味では。ただ、これはおれの仕事で」 「お前で事足りないから、おれがやるのだ」  ひどい言い草だと思うが、言われた本人は「ごもっともですけど」と言う顔をした。 「申し訳ありません。おれの力不足」 「いや。おれの目測ミス。この件は最初からおれがやるべきだったのだ。お前には迷惑をかけた」  角を曲がり階段を降りていくところで、ふと視線が槇に向けられる。  ――見ていたことに気がつかれた?  はったとするが、濡れているような漆黒の視線はすぐに外れた。彼にとったら赤の他人なんて興味の対象でもないのだろう。 「保住尚貴。面白い男だ」  保住は澤井のお気に入り職員だ。先ほどの話も彼に関わることだった。  澤井は三年後に控えている梅沢市制百周年を記念した事業の企画運営部署の責任者に、保住を据えたいと言ってきているのだ。  しかし流石にそれは無茶な話だった。  なにせ保住のいまの立場は係長。  本来、市役所内での昇進の仕方にはある一定のルールが存在する。三十五~四十歳あたりで係長に上がったものは、そこから三年程度のスパンで係長職を回される。課長に上がれる職員は、四十代後半に差し掛かるころ、課長職につく。そしてそこから更に、管理職に上がっていくものは、五十歳を目処に次長や部長と上がっていくのだが。  澤井が打ち出してきた市制百周年記念事業を担う部署は自分の直轄にすると言い張る。  副市長の直轄部署は部局と同等の立場に置かれるため、その部署の長とは次長や課長クラスと同等と考えるのが普通だからだ。  たった一箇所の係長しか経験していない保住を課長クラスに引き上げるなんて、無茶だ。  本庁の運営に口を出す立場でもない槇は、異論を唱えることはないが、それでも「おかしい」ということはよく理解できる。  澤井の個人的な好みの贔屓した人事――自分がルールだと押し通すような――身勝手な人事だ。澤井の言い分は最もだ。 『これは危機管理にも値する特別なイベントですぞ。トラブルシューター的な保住を配置するのは最良な方法であると言えるのです』  立場の問題ではない。できる奴を配置しないと成功はないと言っているのだ。  澤井のやり方は強引だ。自分のエゴを隠しもしない。ある意味、危険なやり方。  だから久留飛のような職員の反感をかうのだ。確実に澤井を追い詰めるなら、久留飛くらい何を考えているのかわからない男と繋がるのが手っ取り早いことは理解している。  だが久留飛の恐ろしさはその後だ。  それよりも、あの真っ直ぐな目を持つ保住。あの男に興味がある。彼をなんとか取り込みたい。彼の周りには、一緒に歩いていた男のように、付き従う職員が多いのは知っているからだ。 「なんとか機会を持ちたいものだな」  槇はそう心に決めてから、気分転換に一階に降りた。  安田と澤井の話はまだ続きそうだからだ。

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