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第23話 対峙

 それから数日後。野原から内線が入った。彼から直接連絡が来るのは珍しいことだった。 「今晩?」 『保住は鼻が効く。そろそろ釘を刺してもいいのかも』  これは好機。野原が与えてくれた好機だった。 「今晩いつもの料亭を予約するから。そこで保住と交渉する。一人でくるかな」 『さあ。わからない』 「まあ、いい。頭の切れる男だ。こんな込み入った場所に誰かを連れてくるとは思えないしな」  野原の内線は切れた。  ――今晩、保住と交渉ができる。山場だ。  槇は自分に言い聞かせるように頷いて内線を切った。すると安田が心配そうな表情をして槇を見ていた。 「実篤(さねあつ)」  彼が自分のことを名前で呼ぶ時は、市長ではなく「叔父モード」の時だ。 「なにか問題でもある?」 「いえ。大丈夫です。すみません。(せつ)からです。仕事のことではないので、心配しないでくださいよ」 「そう? ならいいんだけど……」  安田はそういうと、槇のデスクに置いてある本を眺めた。 「日本神話。実篤が本を読むなんて見たことなかったな。そんなに面白い?」  正直、そんなに読み進められていないのだが……。 「叔父さんは知っていますか」 「それはね」 「あの、須佐男(スサノオ)って知っています?」 「ああ、もちろん。八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した英雄だろう?」 「英雄、なのでしょうか?」  槇の質問に、安田は笑う。 「まあ、英雄に成長する前は散々だろう?大人になったって、母親恋しくて大泣きだし、|天照《アマテラス》が|天岩戸《アマノイワト》に隠れてしまったのも、彼が悪さばかりしていたからだしね。なかなかのうつけだろう?」 「そ、そんな奴なんですか?」 「あれ? 読んだんじゃないの?」  野原は昔、自分のことを『須佐男みたい』と夢現で言っていた。だからどんな男なのかと借りてみたのに……。 「最悪な男じゃないですかっ」 「そんなに怒らなくてもいいだろう?」 「すみませんっ」  安田に八つ当たりをしても仕方がないと思いつつも、むうむうとしてしまった。 ***  結局、保住は一人ではなかった。  待ち合わせの場所で待っていると、そこには彼と、そして振興係の一人、田口という男がやってきたのだ。  野原が『ラブラドール犬』と揶揄する男だ。  確かに大柄で温和そうな瞳は大型犬を彷彿とさせるが、槇からするとどちらかと言えば『土佐犬』だろうか?  保住が一人ではないということを確認し、槇は野原を見る。  ――おれの言う通りじゃん。二人でよかったでしょう?  結果的に槇たちも二名で対応して正解だったのだ。行き当たりばったりの作戦もこういう時には役立つものだと槇は自信を持った。  しかしうまくいく話ばかりではない。田口は「自分は澤井から保住を預かっている」と言った。  澤井が他人を信頼し、そして保住をその男に託すなんてことは思ってもみなかったので、正直に言うと動揺していたのだ。  だがここまで来て止めるというわけにもいかず、槇は保住と田口を連れて目的の場所へと足を運んだ。  選んだ会合の場は、安田の政治活動で利用する料亭だ。  自分のテリトリーに相手を連れ込んで、一気に畳みかけるという作戦なのだが……。  終始、野原の疑いの雰囲気を無視しながら、槇は主導権を握って話を進めた。 「我々は君の才能を買っているのだ。澤井は気に食わないが、君は助けたい。どうだ?我々と手を組まないか。澤井を失脚させるには君の協力が不可欠だと思っている。詳しく説明しなくても、君ならこの意味がわかるだろう?」 「――?」  槇の目の前にいる不機嫌そうな男は、眉間シワを寄せて「不快」な感情を露わにしてきた。  主語を述べなくても、話しの内容を理解する保住はやはり切れる。面倒な手間が省けて楽な反面、裏の裏までかかれそうで用心しなければならないと心を戒めた。  しかしそんな槇の警戒などと裏腹に、保住は槇をまっすぐに見据えたままだ。 「話がわかる人間は好きだ」  槇の言葉に保住は目を細めて冷たい表情をした。 「あなた方はなぜそんなに澤井が嫌いなのですか」 「軽蔑の気持ちを持ち合わせている君なら、理解してくれていると思っているのだがね。安田は年を取り過ぎた。今では澤井の言いなりだ。今の梅沢市役所は澤井が思うように動かしているのだぞ?   お前だって梅沢市のことを思って身を粉にしている人間の一人なのだ、わかるだろう?」  保住は身じろぎもしない。  本当に度胸のある肝が座った男だと思った。  安田お抱えの自分は、確かに職員とは関係ないと言えば関係ない。ただ大概の職員は、槇に対して一目置いてくるのが普通だ。槇の機嫌を損ねれば、市長に言いつけられかねないという心理が働くからだ。  なのにこの保住はそんなことは関係ないとばかりに、堂々と切り返してきた。 「あなたがそんなに梅沢を愛しているようには見えませんね。それよりも、ただ単に梅沢を動かす権力を欲しているようにしか受け取れない」 「権力ね。そういう解釈もあり得るだろう。結果的に澤井が失脚すれば、おれが手に入れるのは権力(それ)だからだ。ただ私欲ではない。おれは梅沢のことを心底考えている男だ」  自分で言って笑ってしまう。梅沢のためなんて、よく言えたものだ。  保住の指摘が正しいのに、強引に押し切る。はったり勝負も大事だからだ。  しかし保住はそんな手には乗らないようだ。相変わらず怪訝そうな顔をして槇を見ていた。 「こんな小さな田舎町なのに? あなたは梅沢が本当に好きなのですか? 申し訳ないですけど、あなたのその言葉には、『自分かわいさ』しか伝わってきませんよ」  やはりバレている。  ――前言撤回。これだから、頭のいい人間は嫌いだっ! 「なんとでも言いたまえ。しかし、現実から目を逸らすな。澤井は力を持ちすぎている。澤井派の連中以外にもお前まで手中に納めて、これからの保住派も掌握しようと画策しているのだ。今の市役所内で彼の思い通りにならないことはない」 「ですから。おれはそういう派閥には興味がない」  そこで槇との押し問答では埒があかないと判断したのか野原が口を挟んだ。 「お前は澤井が嫌い。悪い話ではない。我々に協力しろ」  保住は、槇から野原に視線を移したかと思うと、今度は野原に向かってよく通る声で言い放った。

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