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第37話 踏み台

 吉岡はさして驚くこともないとばかりに澤井を嗜めた。  ――なるほど。吉岡は、すでに澤井と保住の間柄を知っているのだ。そういうことか。これは……。  澤井は牽制しているのだ。  『保住との関係性は、隠すほどのことでもない。吉岡も周知のところ。だから、その件はおれをおろすネタにはなり得ないのだ』と言っているのだ。 「澤井副市長。いくらこのメンバーだからって、あまりそう言ったお話は」  真ん中で右往左往しているのは保住だった。  昨晩の勢いはない。  さすがの保住も困らせる重鎮二人組というところか。澤井と吉岡が組んだら、もう誰も手は出せないということだった。  どういう理由で、どういう条件で二人がこの件に関して共同したのかはわからない。  やはり市長のそばにいても、自分には計り知れないことが多いのだ。この市役所という場所は……。 「すまないな。名誉毀損で訴えられそうだ」 「そうですよ。あなたは平気でも保住がかわいそうだ」 「しかし吉岡。そう甘いことばかり言うからこいつがつけ上がる。おれが退職した後、お前がこいつの手綱を持つのだぞ? かなりの暴れ馬だ。振り落とされないようにな」 「そんなことは承知しています」 「お前にこいつをしつけられるかな」 「しつけてみせますよ」 「あの!」  二人の会話に保住が割って入る。 「二人でお話しするのは別にしていただけませんか? 暇じゃありません。ね? 槇さん」    槇は保住に同意するかのごとく、小さく頷いた。それを確認してから、澤井は声を大きくした。 「ともかくだ! 吉岡、なんとか予算をつけてやれ。こいつらが思うように仕事ができるようにな」 「承知しました。お任せください」  吉岡の返答に満足した澤井は、今度は槇をみた。 「槇さん、いいですね?」  最終的に有無を言わせぬ澤井の口調に、ただ首を縦に振ることしかできない情けなさ。心の奥がざわざわする。  思い通りにならないと、駄々を捏ねて暴れたくなる幼稚な精神を持て余すのだ。  ――癇癪でも起こして、大暴れしたらすっきりするのだろうか? 「どうやら、なかなか上手くはいかないようだな」  澤井と吉岡が出ていった市長室で、槇は大きくため息を吐いた。  こんな独り言はバカげているのに。誰も聞いちゃいない。  むなしい独り言であるはずだったが、最後に出ていこうとした保住は、それに気が付いたのか。言葉を返してきた。  昨晩、あんな理不尽なことになったのにも関わらず、こうして槇の言葉に耳を傾けるとは思いもよらなかった。  槇は振り返って保住を見返した。 「あんな場所まで図々しく上り詰めた人だ。そう簡単には行かない」  彼はじっと槇を見据えていた。 「澤井さんに昨晩のことを話さないのか?」 「話さなくても、あなたの腹の内は知っていた」 「大した男だ。先手を打たれた」  それは心からの言葉。負けを認めるしかないのだろう。打つ手なしで八方ふさがり。そういうことだ。 「そういう人だ。効率性を求める。何事も最短距離がお好きだから、そのためならおれなんか踏み台の一つだろう」  ――保住が「踏み台」?ならおれなんて、眼中にもないということか。  そう思うと、なんだか笑ってしまうものだ。 「そうかもしれないな。|澤井《あの人》を下ろすことに執着しても解決しないということは理解した」 「澤井は使い様だ。立ち位置を変えれば、あなたにとって、大変力になる存在になるはず……」 「お前がいいように使っているようにか?」  半分は嫌味だが、保住は気にしていない様子で笑った。 「おれは使われている方だ」 「そうだろうか? 惚れた弱みか、澤井はお前には甘い。なんだかんだ言っても、結局はお前の意のままだろうが」 「そんな風に受け取られているなんて、心外だ。あの人は気まぐれ。今はこんなんだが、いつ掌を返すのかわからない。一職員であるおれが敵う相手でもない」  謙虚なことだと、槇は思った。  多分、保住は自分が思っている以上に市役所へ影響力を持つ男だ。それを自覚していないからこそこの程度だが、彼がそれを認識して使い始めたら――。  それは、組織を揺るがすことになるに違いない。  保住は確実に上に行く。そして市役所を掌握するだろう。  そんな槇の心中など知る由もない彼は、表情を変えた。

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