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第43話 人間らしさ

「恋人……?」 「好きなんでしょう? 大事なんでしょう?」 「好き……。大事……。大事は大事」 「きっと特別なんだよ」 「とく、別……」  ――実篤(さねあつ)は特別? 確かにそうかもしれない。  野原はそう思った。  家族よりも同じ時間(とき)を過ごしてきた。自分のことをよく理解してくれているのは槇だった。黙っていても、ある程度のことを理解してくれていた槇だからこそ。まったく話が通じないのがショックだったのだ。  自分には伝えたいことがあった。  槇に知ってもらいたいことがあった。 「野原は可愛いね」  水野谷の手が伸びてきたかと思うと、頭を撫でられた。水野谷の手のひらは大きくて温かい。なんだかまた涙が零れた。 「一人で頑張ってきたんだ。誰にも相談できないでしょう? 野原は」 「相談……。はい」 「なんでも相談してよ。おれはいつでも野原の話を聞けるよ。だって可愛い後輩じゃない」 「可愛い、後輩……」  戸惑って呟くと、水野谷は「さて、今晩はどうする?」と尋ねてきた。 「うちに泊めてもいいけど。どうする? その様子だと出てきちゃったんでしょう?」 「……はい」 「ちゃんと仲直りして明日には戻らないと」  水野谷はそう言うが、野原の気持ちはまだ揺れていた。そのまま首を横に振った。 「野原?」 「課長。あなたの言葉はよく理解しました。だからこそ、仲直りはしたくない」 「え?」 「ただ『ごめんなさい』をしても意味がないのだと思ったのです。多分、きっと。この件でおれたちはずっと同じことを繰り返す気がするんです」  ――そう、多分。ちゃんとしないとダメなんだ。そして、それはきっと。おれだけの問題じゃないのかもしれない。 「野原……」 「どうしたらいいのか、正直わかりません。でも、課長の言うことはよくわかりました。考えてみます」  野原の言葉に、水野谷はにっこり笑顔を見せた。 「野原は変わったね」 「そうでしょうか」 「うん。なんか人間らしくなってきた」 「人間らしく……?」 「ああ、ごめんごめん。悪い意味じゃないよ。野原のキャラクターだしね」 「キャラクター?」  疑問符だらけになっている野原に、水野谷は余計に笑う。 「うんうん。いいね。いいよ~。みんなに好かれるキャラになってきたじゃないの。おれが見込んだだけのことはある。自信持っていいんだよ? 野原はね。本当は人の気持ちをよく理解できない自分が嫌なんだろう?」 「(いや)? 嫌いってわけではないですけど……でも、みんなに迷惑をかけているんだろうなって思っています」 「ほらほら。マイペースで無表情なくせに。案外、気遣い症なんだから。疲れちゃうよ。そういうの。ね? どれ送っていこうか。実家にでも帰るかい?」 「あ……そうですね」 「もう。なにも考えていないんだから」  正直、飛び出してきたのはいいものの、行く当ては考えてもみなかった。水野谷に指摘されて、初めて気が付く。  実家にはまだ自分の部屋がある。本はすべてマンションに持って行ってしまったが、寝る場所くらいはあるのだ。  ――そうだ。実家に帰ろう。 「課長。今日はありがとうございました」 「ううん。本庁にでもいるならもっとマメに見てあげられるけど。悪いね。おれも嬉しかったよ。野原とこうして飲むの久しぶりじゃない。また来ようね」 「はい」  水野谷が店主にタクシーの手配を依頼しているのを見ながら、野原は日本酒を一気にあおった。

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