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第42話 家族か恋人か
「野原はね。自分で思っている以上に、いろいろな思いを胸に秘めているんだと思う。それに気が付かないと。きっと、野原が抱えているその気持ちは、永遠に相手に伝わらない」
「伝わらない?」
「そうだよ。どんなに親しくても……家族でも。ちゃんと気持ちは口にしなくちゃ、理解してもらえないものだ。黙っていて誰かが察してくれるなんてことは現実的に不可能なんだ。
おれも家族がいるけど、妻とは対話が必要だと思っている。長年一緒にいるとね、なんとなくわかっている、わかってくれているだろうが増えていくものだ。だろうという曖昧なものほど危ういものってないんだよ。それが積み重なっていって大きな齟齬 に繋がってしまうことが恐ろしいんだ」
「齟齬 ……」
「どんなに小さいことでも言葉にしなくてはいけないんだよ。野原には苦手なことかもしれないけど、自分の心に思い浮かんだ言葉はすぐに口に出せるだろう?」
丸眼鏡の奥の優しい瞳は、野原を見守ってくれている。心のざわざわが少し落ち着いた。そうすると、自分の気持ちのモヤモヤとしたことが見えてくる気がした。
「思い浮かぶんです。だけど意味がわからないんです」
「意味なんていらないよ」
「しかし」
水野谷は日本酒を一口あおった。
「言葉はどんなに正確に伝えようとしても、受け取る側の問題があるんだ。同じ言葉を二人の人に伝えたとしても、相手の受け取り方は同じにはならない。それは受け取る側が、自分の都合のいいように解釈をするからだ。――わかる?
だから、そんなことまで野原が悩む必要はない。思っていることを話す。それだけ。相手がどう受け取るのかは、また別の問題な訳」
「――なるほど」
「喧嘩するほど仲がいいってね。きっと相手は野原の大事な人なんじゃないの? そしたらなんでも話してみればいいじゃない。逃げて話す機会を失ってはいけないよ。永遠にわかり合えなくなる。違うかな?」
水野谷の言葉はよくわかる。だから野原は、彼と話をするのが好きだ。野原の悩みを瞬時に理解して答えてくれる彼を尊敬しているのだ。
「水野谷課長のおっしゃる通りだと思います。諦めるってことは、もう話合う機会を失っているということですね」
「そういうことだよ。人は超能力者じゃないからね。相手の心の内なんてこれっぽっちも理解できない。理解している気になっているのは、相手が合わせてくれているからだ。それは親しくなればなるほど、相手に合わせることになる。だからお互い知っているつもりになってしまうんだよね」
――本当にその通りなのかもしれない。
「もう35年も一緒にいます」
「え? ずいぶん長いね……って、野原って何歳?」
「35です」
「それってどういうこと?」
水野谷は苦笑した。しかし野原は話を続けた。
「多分、一緒にいる時間が長すぎて、お互いがお互いのことを知っているつもりなのだと思います。――ああ、相手はわからない。だけどおれはそう……」
語尾が小さくなる。コップに手を添えて水面に映る自分の顔を見ていると、水野谷が笑った。
「しかし。人の気持ちがよくわからない症候群の野原が、知っているつもりになれる相手ってすごいね。35年間も一緒って生まれてからずっとでしょう? 家族なのかな。そうだと思うけど。だったら、やはりちゃんと話しないとね」
「そうです……ね。――でも」
「おやおや。野原が躊躇 うなんて珍しいね。これはこれは……相当、大事な人と見た」
「大事――。大事なのでしょうか? ずっと一緒にいすぎて、なんなのかよくわからないのです。家族でもない。友達でもない――」
「恋人?」
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