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第45話 昼休みの邂逅

「課長。お茶どうぞ」  女性の明るい声に顔を上げると、文化課総務係長の篠崎女史が立っていた。彼女は年のころ四十台前半だろうか。左手の中指に光るリングをしている。肩下までのふんわりした髪を揺らし、にこっと笑みを浮かべていた。 「篠崎さん」 「お弁当、おすみですか? おさげいたしますよ」  目の前のお重を見下ろして、彼女は頷く。 「ありがとう」 「いいえ。どういたしました」  彼女はお弁当を持ち上げて怪訝そうな顔をした。 「課長、また食べていないんですか? 昼食食べないと。元気でませんよ」 「ありがとう。でも、食べたくない」 「まあまあ」  心配そうに去っていく彼女を見送って、野原はじっとしていた。  市役所での昼食を摂るには、いくつもの方法がある。自宅から弁当を持参する者、売店で購入する者、外に食べに行く者、そして、オフィス弁当の宅配を依頼する者だ。  槇は調理が下手。野原も調理はできない。もともと、食に対する興味がないわけでもないが、合理的な方法がいい。野原はまとめて宅配を利用していた。  そもそも家事をしない母親の元で育った。家庭の味は好きだが、既製品の味には飽き飽きしているおかげで、こうして大して口をつけることなく下げてしまうことがほとんどだった。  そして、今日は特に食欲はない。  いつもなら食べ進められるお菓子ですら、食べたいとは思わなかった。  昨晩の槇との邂逅が頭から離れないのだ。珍しいことだ。どうして、何度もあの場面が脳裏に繰り返されているのか、野原には意味がわからない。本当はショックを受けているということに気が付いていないのだ。  時計を眺めて、まだ時間があることを確認する。このまま座っていても仕事がはかどることはないと判断し、廊下に出てみることにした。  元々、息抜きという概念も持ち合わせていない男だ。正直どうしたらいいのかわからなかった。  廊下に出てみると、なるほど。大変賑やかで驚いた。 「休憩時間って……休み時間」  なんだか小学校の頃の昼休みを思い出した。野原は昼休みが大好きだった。図書室に行けるからだ。本当なら、授業も失くしてほしかった。先生の話を聞くよりも、活字で勉強したほうが頭に入るからだ。先生の話の意図がよくわからない。だから退屈な時間だったのだ。  足早に通り過ぎたり、談笑しながら通り過ぎたりする職員たちを眺めながらゆっくりとした足取りで廊下を歩む。  文化課は東棟にある。そこを中央棟に向かって歩くと、反対側の西棟から大柄な目つきの悪い男が歩いてくるのが見えた。  ――副市長の澤井。  槇が下ろそうと画策していた男。野原は直接彼との面識はなかった。相手も同様だろう。そう思い、別段避けることもなくその場に立ちつくしていると、ふと澤井と視線が合った。そして、澤井は少し方向を変えたかと思うと、野原の目の前に立った。 「文化課長の野原(せつ)だな」

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