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第46話 心配するということ
低く響くような声は、そう大きくないのにも関わらず野原の腹に響いた。
「はい。副市長」
彼はそう答えた。
澤井は「ふうん」と言ったかと思うと、野原の足先から頭までを舐めるように見回した。
その視線の意味が野原にはわからないが、明らかに興味の対象であると言っているようだった。
「槇から聞いている。――懇意にしているそうだな」
――懇意?
野原は首を横に振った。
「そんなことはございません。槇とはただの顔見知りです」
「ほほう。そうか? 職員台帳の住所は、槇と同じになっているようだが?」
「そうでしょうか? ではそれはなにかの間違いではありませんか」
上から来る鋭い視線に応えるかのようにまっすぐに見返すと、澤井は瞳の色を緩めた。
「お前は面白い目の色をしている」
「生まれつきです。目の色は日照時間と深い関係性があるようです。私も詳しくは分かりませんが眼科医の母からそう聞いております」
「なるほど。お母さまは医者か」
「はい。入り用でしたら、紹介いたします」
野原の回答に澤井は笑いだす。
「いや、これは……」
彼がなぜ笑うのか野原にはわからない。余計なことを言うのは得策ではないと黙っていると、彼はひとしきり笑ってから野原を見た。
「いや。槇は抜けているバカな男だが、お前は肝が据わった賢い男だな。――なぜ槇のようなバカと一緒にいる? お前はもっと賢い。いくらでもいい人間がいるはずだが?」
「わかりません。副市長のおっしゃる意味がわかりかねます。申し訳ありません」
澤井は野原が最後まで白を切る気だと理解していたのかも知れないが、本当のところを言うと、澤井の意図がくみ取れないのは事実だ。はっきりと言ってもらわないとわからないのだ。
「面白い男だ。気に入ったぞ」
「それは……ありがとうございますということでしょうか?」
「そうだな。――お前は、槇のしでかそうとしていることを黙認しているのか? それとも協力しているのか?」
「……槇のしたいこと……でしょうか?」
「そうだ。おれの大事なものに手を出す。おれはそういうのが一番嫌いなのだ。お前は賢いから話がわかりそうだ。いいか。槇に言っておけ。これ以上好き勝手なことしたら、おれも黙ってはいられないとな」
「そのままを伝えればよろしいのであれば、そういたしましょう」
「本当にお前は……ああ、そうか?」
澤井はふと野原の腕を掴まえたかと思うと、そのまま引き寄せる。距離が近づいた。
「お前は感情が鈍いのか? おれがこうして引き寄せてもたじろぐこともしない」
「感情が……鈍い?」
――初対面に近い澤井がそこに気が付くとは。やはり侮れない男。
「私は、人の気持ちに疎いようです。いや、察することができても意味がわかりません。それは職務に問題があるでしょうか?」
「いや。ない。むしろ好都合。そのうち、お前のことは引き立ててやろう。槇のことを抑え込んでおけよ」
澤井はぱっと腕を離すと嬉しそうな笑みを浮かべて立ち去った。取り残された野原はそのまま彼を見送った。
――澤井には、実篤の企みは全て見透かされている。実篤は本当に甘い。そんなことをしていたらいつか足元をすくわれる。中学生のころとはわけが違うのだ。このままじゃ……。
そこまで考えてはったとした。
「なに? これ。これって……心配?」
――自分は実篤を心配しているのだ。
そう自覚すると、なんだか心が落ち着かなくなった。野原は「いつもしないようなことをするものではない」と言いきかせて、自分のデスクに戻った。
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