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第1話 貿易風

 照りつける陽射しの下、プールサイドのバーで僕はデッキチェアに身体を預けていた。カリブ海を進むクルーズ船に並走するカモメの姿を見るともなしに見ていると、背の高い男が柱の影から姿を現した。今回の旅の同行者で、僕が助手を務めるゼミの准教授だ。そして恋人でもある。同行者、と言ってもそもそも向こうから誘われて僕はこの船に乗せられている。別に来たくて来たわけじゃない。  男はデッキに出たところで声をかけられて立ち止まり女と話し始めた。こちらに背を向けて立っている女の顔は見えず、腰のあたりまである黒髪が風になびくのが見えた。この船では珍しく東洋人のようで、話し込んでいるところを見ると日本人だろうか。  白い歯を見せる男に心底うんざりする。女も笑っているのか、肩を揺すりながら此方を振り返った。化粧けのない顔は想像したよりずっと幼く見えて僕は動揺した。手にしたグラスの中で氷が音を立てる。 「あんなのまだ子どもじゃないか」  情けないやら腹立たしいやらで胸が騒ぐのを鎮めようと僕はグラスをあおる。甘くスパイシーな香りの後で苦みが口の中にじわりと染み渡った。  僕が酒を飲み干す頃になってようやく男が傍までやってきた。空のグラスに気がついて「何を飲む?持ってこようか」と訊いてくる。この男が僕に優しくするときは何かうしろめたいことがある証拠だ。 「同じのを」 「ラムだろう。飲み方は?」 「ロックで」  本当はもう飲みたくなんてなかったけど、彼の顔を見ていたくなくてグラスを押し付けドリンクを取りに行かせる。  男が通り過ぎ様にすれ違った女たちへ視線を送っているのに気付かないほど僕は馬鹿じゃない。女たちも明るく微笑み返している。別に深い意味なんてない、ただの挨拶だ。若い頃にはモデルの真似事のようなことをしていた男が今も充分に人目を惹くのは分かっている。僕は水着姿の男の引き締まった背中に反射する光が眩しくて目を閉じた。東からの風が優しく頬をなでていくのすら忌々しい。 「(あきら)さんなんて嫌いだ…」  どうして誘われるまま付いてきてしまったのかと後悔する。今まで何度も同じ思いをしてきたし、来る前からこうなることは少し考えたらわかったはずだ。  自分は理性的な人間だと思って生きてきたけど、そうではないとこの男に会って思い知らされた。勉学にしか興味がなかった自分に酒の味を教えたのも、男に抱かれる心地よさを教えたのも顕だ。しかし、悪い男からうまく逃れる方法を教えてはくれなかった。  恋人にするには良くない相手だと気付いた時にはもう手遅れだった。今更彼以外と恋愛をすることも考えられず、自分から関係を断ち切ることは出来そうもない。嫉妬心ばかりが募り、もがけばもがくほど身動きが取れなくなっていた。

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