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七夕の時間

 来宮吉野が高校三年生のときの七月の話だ。  この高校はなぜか毎年七月になると昇降口に笹の枝を用意する。生徒の方も、気が向くと短冊を結んでいく。それが、三島律の務める保健室からよく見える。  今日も女子生徒の三人組が短冊を結んで、きゃあきゃあ言っていた。青春という感じで、とてもいい。  男子生徒は主にひとりで来るか、五人以上の集団でくるかのどちらかだった。集団で来る方は、大体下ネタの書かれた短冊を下げていく。ひとりで来る方は「○○大学合格」だったり「××さんが好き」だったり、とあるゲームのSSRを祈願したりと、種々様々だった。  帰りがけに気が向くといくつか読んで帰ることもある。思うのは、笹に匿名で告白する勇気があるなら、本人に告げればいいのに、という夢のないことだった。いくら匿名とはいえ不特定多数が読む短冊だ。三島からすれば、思春期の有象無象が湧いている、いい読み物でしかなかった。 「せんせぇ、読んでるの? 趣味悪いよ」  背後から声をかけられる。「先生」の活舌が微妙に甘い。すぐにわかる、三島が今とても清いお付き合いをしている来宮だ。 「下校時刻過ぎてるのに残ってる、君はどうなんだ。何の用事だったの?」  三島が尋ねると、来宮はぷい、とそっぽを向いてしまった。教えてはくれないらしい。  その日は三島が来宮を駅まで送っていった。ネコ科を思わせるノンフレームの眼鏡のレンズの向こうの目は、今日は三島をいたぶる算段を立てていなさそうだ。それはそれで、据わりが悪い。  あの日来宮があの時間に昇降口にいた理由は、二日後にはわかってしまった。  来宮は朝早くに来ると、他に誰もいないことを確認して、短冊を見えづらい奥の方に結んだ。それをたまたま早く出勤した三島は見てしまった。  まずは、来宮も年相応にイベントを楽しむ、という事実に安堵した。次に内容が気になってくる。  その日、下校時刻が過ぎるのを待って、昇降口に向かう。来宮はなんて書いただろうか。「○○大学合格」といったタイプだろうか、「△△に行きたい」という可愛らしいものだろうか。  三島は来宮の短冊の内容を想像しながら、笹の根元の方の奥の方へ、手を伸ばす。確かここら辺だった。一枚の短冊を手にとる。癖のないきれいな字で書かれていた。来宮の字だ、とすぐにわかった。  内容を読んでみる好奇心と罪悪感が、三島の心の中でせめぎ合う。こんなところにつるすくらいだから、見られたくないのではないだろうか。でも知りたい。叶えられるなら、三島が叶えてあげたい。  結局好奇心が勝った。そしてその短冊はそっと笹から外された。  今年も昇降口に笹が置かれた。既に何人かの生徒が短冊をぶら下げている。 「せんせーは短冊書かないの?」  絆創膏を貰いに来た生徒が尋ねる。 「んー。僕は叶えてあげる側だから」  そう答えたら、生徒は笑って、「じゃあ、遊びに連れてってよ、せんせっ」と言われる。 「それくらいちょろいのは自分で叶えなさい」  絆創膏を渡して、記録カードに名前と学年、クラス、傷病理由等を書いてもらう。この生徒は少し丸字で右肩上がりだった。そういえば来宮のように、お手本かのように癖の少ない字を書く生徒は中々いない。来宮が卒業して一年経つのに、そんなことを思う。  生徒を送り出してから、事務机の引き出しを開ける。紙質が二年分だけ劣化した短冊が出てきた。癖の少ないきれいな字で書かれている。 「三島先生とずっと一緒にいられますように」  

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