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番外編・加賀見先生と隼人くん
「その弁当、出雲が作ったんだろ? いいなー俺もまたあいつの飯食いてぇな。ひじき入ったいわしのハンバーグ食ったことある?」
昼休みにうるさい子が来たと思えば、知った顔でむかつく指摘と自慢をしてくるのでとりあえず無視した。
あんまり人の顔の違いなどが気にならない僕でも、この少年の顔の造形が特別に良いことだけはわかる。昔プレイしたゲームのキャラクターに似ているけど、あれはなんだったっけ。
こんな顔をしているくせに意外と人懐っこくて、それでもやはり悪そうな雰囲気も持っている。真面目な出雲が夢中になるはずだ。
一応恋敵だったはずの彼は、不眠症で悩んでいた時に心療内科を紹介したりと世話をしたのをきっかけに僕に懐いている。出雲のことを考えると手懐けておくのもありかと放っておいているけれど。
「本当にあいつ加賀見ん家にいるんだ。まぁそうだろうとは思ったけど」
僕が座る事務机から離れた大鳥はソファに座ってコンビニ袋の中身をテーブルに広げ始めた。
「どういう意味?」
「この間さ、帰る時に出雲の姉ちゃんに捕まったんだよ。俺ん家にいるって言ってるんだろ? そういうこと言っておけよな、焦るから」
「お姉さん、来たの?」
さすがに驚いて彼のほうへ振り向く。テーブルには大きめのおにぎりが四つも並んでてちょっと引いた。さらにカップ麺を取り出して勝手にポットのお湯を注いでいる。男子高校生の食欲怖い。これなら出雲も食事の作り甲斐があったのだろう。
「適当に話し合わせちまったけどいいんだよな?」
「助かる……なんて、言ったの?」
「家のことも学校のことも考えずにゆっくりしたいみたいですよーって。暫く家空けてるから後ろめたさもあって戸惑ってるから、そっとしておいた方がいいかもしれませんーみたいな」
しれっとした顔で言っているが、よくいきなりでそんな対応ができるものだ。きっと臆面もなくすらすら言ってのけたのだろう。
「それで、なんだって?」
「無事でいるなら良かったって。帰ってくるのはゆっくりでいいからもう少し連絡ほしいって言ってたよ。すげー心配してたし、連絡してやった方がいいよ」
「うん……そうする。ありがとう」
出雲が様子を見て連絡を入れているから、そこまでされるとは思わなかった。大鳥が機転を利かせてくれたおかげで猶予はできたようで安心したが、危なかったな。
「あ、そうそう、それでこれ」
大鳥はカップ麺を待ってる間にからあげのおにぎりを頬張りもくもくと咀嚼しながらブレザーのポケットから二つ折りにした長封筒を取り出した。
「出雲の食費って押し付けられてさ。いらねぇっつったんだけど。渡しとく」
「ああ……わざわざ、ごめん」
ん、と腕を伸ばされたので座ったまま受け取る。ソファと事務机は遠くはないが、大鳥がソファのど真ん中を陣取っているためそこそこに距離がある。お互い百九十センチ前後身長がある大鳥と僕だとこの距離で物の受け渡しができるのか。自分のことながら気持ち悪いな。
このお金は出雲のスマートフォンと一緒に金庫に閉まっておこう。出雲にでもお姉さんにでも返せるように。
こちらが真面目に考えているのにファンファンと不安定な変な音が響いたと思ったら、大鳥がスマートフォンに設定したアラームだった。できたできたと、嬉しそうにカップ麺の蓋を開けている。
「なぁ、最近面白い噂が流れてんの知ってる?」
「なに?」
「加賀見が結婚するって。弁当のせいじゃね?」
「へぇ……? 出雲がお嫁さん……それは、可愛い」
そういえばエプロンがほしいって言っていたな。可愛いのでもシンプルなのでも似合いそうだ。Tシャツ一枚のあの姿にエプロンは想像しただけでもかなりそそる。でもエプロンといえば定番はあれだろう。
「今の子って……裸エプロンとかまだ通じる?」
「はぁ? おっさんきめぇよ!」
「そう……」
やっぱり時代は変わっているのか。よく出雲に気持ち悪いとは言われるけれど、おじさんで気持ち悪いって思われるのはさすがに辛いな。
しかし大鳥は肩を落とす僕を見て、本当に可笑しそうに吹き出して笑った。
「嘘だよ。そんなしょげんなよ。俺やってもらったことあるし。やってもらえば?」
裸エプロンがまだ通じるのは良かったとして、一言余計だと思うのだが。大鳥に背を向け物申してやる。
「やってもらったことあるって言う意味、ある? 大鳥、ちょいちょいマウントとってくるね?」
「面白ぇんだもん」
「僕は面白くない」
「そりゃそうだ。でもいいじゃん、今出雲の弁当食えるの加賀見だけだし」
つい目の前にあるお弁当に目をやる。かつおの煮付けと……筍の土佐煮、と言っていたっけ。それから僕の好みに合わせた甘い卵焼き。
「まぁね」
早くに出勤する僕のために、朝に弱い癖して頑張って早起きして用意する姿を思い出せば、返事も少し自慢げになった。出雲も毎日同じものを昼に食べていると言っていたので、今頃僕の家で食べているのだろうか。その姿を思うと今すぐにでも家に帰りたくなる。
「ていうかさ、今の子とか言うからおっさん臭くなるんだよ。まだ三十一だろ?」
なぜ大鳥が僕の年齢を知っているかと言うと随分前にここにサボりに来た彼に聞かれたからである。悲しいことに最初の時点では出雲より大鳥のほうが僕に少しでも興味があったわけだ。本当、悲しいことに。
「でも出雲との年の差を考えると君たちからしたら……どうなの?」
「ギリおっさんではねぇよ。まぁ犯罪かもしれねぇけど」
「犯罪ではない、よ? 年齢的に……ん? 出雲の誕生日、知ってる?」
もう二月なのでてっきり誕生日を迎えているものだと思っていた。しかし大鳥は意地悪く口の端だけキュッと上げて笑った。
「三月三十日。なんだよ、そんなことも知らねぇの? ちゃんと祝ってやれよ」
「それは……随分、遅いね……」
そうだったのか。それは、うーん、色々とやらかしたかもしれない。そこの差は色々と大きいな。まぁもう今更だし知っていたところで結果が変わっていたとも思わないが。
それよりも……祝ってあげられるだろうか、誕生日。なにかしてあげられればいいけれど。
「あー、あとお前それ! ボトムの丈がいっつもあってねぇんだよ。あいつ結構服とか気にするから絶対だせぇって思われてるよ。おっさん要素だろそれ」
そんなことを言われてもサイズがない。ウエストと足の長さが全く合わない。出雲のご飯を食べていたらもう少し肉がついてくるだろうか。
しかし大鳥が体格はいいものの細いし、僕より背は少し低いが足の長さは変わらないだろう。この子も衣服に困っているのではないだろうか。
「サイズ……ないよね? 大鳥どうしてるの」
「海外ブランドとか、あと店頭になくてもオンラインショップだとサイズ展開あったりするから見てみろよ。あ、アパレルショップでバイトしてた時の服が余ってるから持ってきてやろうか?」
「ううん……それは、いい」
「なんで?」
それには明確な理由があったが口に出すのを躊躇した。なんだかとても負けた気分だからだ。しかしここで言わないのも気にしすぎていてかっこ悪い気もする。
「出雲が……すぐに、君のものだって気が付きそうだから」
「ああ、そりゃ気づくかもな」
「マウント……」
「今のは違うって」
朗らかに笑う大鳥の前に、テーブルに並べてあったコンビニ飯たちは消えていた。いつの間に。気が付かなかった。
そうして僕も食べ終えたので出雲への感謝の気持ちをこめて、ごちそうさまの挨拶をした。
前に大鳥は出雲の傍は居心地がよく、意図的に距離をとるようにして必要以上に辛く当たっていたと漏らしたことがある。申し訳なく思っている部分があるようだった。僕なら大事にしてくれるだろうから安心したと言われ、どうなんだろうかと頭を悩ませた。
きっと僕のところに顔を出すのも、ただ暇つぶしに来ているだけではなく、出雲のことが気がかりなのだろう。
こんな話をしたら喜んでしまうから出雲には絶対に言わないけれど。
自宅の玄関の前に立ってドアに手をかける。いなくなっているはずはないと分かっていながらも、この瞬間はいつだって緊張する。
「ただいま」
声をかければすぐにパタパタと奥から出雲が玄関まで出てきてくれた。
「おかえりなさい」
この笑顔を見ただけで僕の感じる温度が変わる。
一緒に廊下を歩きながらなんでもない話をする。しかし今日の議題は昼休みから決まっていた。
「サイズの合う服のブランドを、探そうと思って。出雲も一緒に、見てくれる?」
さりげなく話したのだが、出雲は足を止め、キラキラと目を輝けせながら僕を見上げる。出雲の周りに星が飛んでる。
「見ます! 先生かっこいいのに服が残念すぎるので! ずっと服を選んでもいいですかって聞きたかったんです、でもダサいからとか言えませんし……」
興奮気味に話していたが、あ、と表情を固めて気まずそうな顔をした。
「すみません、ダサい……じゃなくて、個性的です!」
「手遅れ……ひどい……」
「でも……あの、かっこいいんですよ? 先生、本当に素敵だと俺は……あ、オシャレになったらモテてしまうのでは? それは嫌です」
喜んで焦って照れて悲しそうな顔して。
忙しい子だけれど、そこにとても惹かれる。万が一モテるなんてことになってもどうでもいいのに。わかってるだろうに。
「モテても、何も変わらないよ?」
「俺が嫉妬します」
「僕は、君しか見えてないのに?」
「先生だって言うじゃないですか。俺が他の人の目に映るのは嫌だって。それに近い感情、ですよ」
廊下からリビングへと入りながら、きゅっと手を繋いできた。家の中で手を繋いで歩こうとするの可愛いな。
「じゃあ……服買うの、やめる?」
「それは嫌です! 今夜はファッションサイトたくさんチェックしますよ!」
しょげていたから聞いたのに。
でも出雲がまたイキイキしだしたので良いかと笑った。
君のご飯を食べて、君が選んでくれた服を着て。本当に君で埋め尽くされてしまうな。
「そうだ、出雲……裸エプロン……」
「え? おじさんみたいなこと言わないでくださいよ。気持ち悪いです」
「したことあるんじゃ、ないの……?」
「ないに決まってるじゃないですか」
出雲の怪訝な顔を見ながらこれは大鳥にクレームを出さないといけないと悟った。
でも僕は多分、あの少年が嫌いじゃない。出雲に引っ張られる形ではあるが、少しだけ他の人とは違う感覚がある。あのやろう、みたいな気持ちは初めて感じた。それは別として、クレームは出すけどね。
end
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