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甘い軟禁生活にできますか②

 連絡がないのならばわざわざアクションを起こすこともないだろうかとも思ったが、昨日きていたメッセージの内容に脅すような内容のものも含まれていたのを思い出し、友人の家(というか利便上ハヤトの家なのだが)できちんと世話になっていることだけ連絡しておこうと思った。  簡単にメッセージを作成し、送信する。しかしその直後、既読がついたかと思えばそのまま電話の着信を知らせる画面に切り替わる。動揺して寝室で着替える先生の元へ行けば、スピーカーにしてとだけ言われそのまま電話に出ることになった。瞬間、部屋に電車の発車アナウンスと姉の声が響き渡る。 「やっと連絡ついたー! すっっっごく、心配した!」  走った後のような荒い息遣いと共に切羽詰まったような、それでも少し安心したかのような声だった。 「あの、通勤中なのでは……」 「連絡来たから急いで電車降りたのよ! ねぇ、どうしてるの? ハヤトくんちなのよね? ハヤトくん今電話出れる?」 「いえ……二年生は授業があるのでもう学校に向かってます」 「本当にハヤトくんちにいるのよね?」 「います。いますよ。彼、仕事も忙しいですし、あまり家にいないんです。なので好きに使わせてもらっていて……」  ギクリとして咄嗟に嘘をついた。また電話に出せなんて言われたら困ってしまう。先生にハヤトのふりができるわけがないし。  姉は時計を確認したのか、ああもう時間がない、とイラ立ちを含んだ声で言った。お気に入りの八センチ高のハイヒールで床を蹴っている姿が思い浮かぶ。 「もう、本当にどうしちゃったの。あんた、こんなことする子じゃないじゃない……」  ハヤトの家にプチ家出しただけでこんなに心配するのでは、真実を知ったら卒倒するだろうな。着替えを終えて本日二本目のタバコを咥える先生に目を向けると、先生は肩を抱き寄せ電話しているのと逆の耳に口付ける。 「そろそろ、終わり。切って」  頷いて、独りごちるように話す声にまた意識を向ける。それはあまり聞きたくない内容だった。  自分が彼女たちの中でどれだけ心優しくて真面目で家族思いな、理想の弟だと思われているのか改めて自覚する。姉たちの理想が重い。 「そろそろ電車に乗らないと遅刻してしまうのでは?」  感情のこもっていない声で言うと、姉が一瞬息を飲むのが聞こえた。続いて小さなため息も。 「そうね。また連絡してくれる? 私もするから」 「わかりました」  返事をするのと同時くらいに先生が手を伸ばして通話を切り、スマートフォンは没収された。それをボトムのポケットにしまい、改めて正面からぎゅっと抱きしめられる。 「大丈夫?」 「何がです?」 「顔……しょんぼり、してる。寂しい? 恋しい?」 「いえ……そんな可愛い感情ではないです」  自分も先生の背中に手を回し抱き返して瞼を下ろした。ずっとこの中にいられれば自分はそれでいい。何にもいらない。飾ってない自分でも先生は求めてくれる。  しかし少し現実に戻ろう。先生も出勤まで時間がないのは同じなのだから。 「先生がお仕事に行ってしまうのは寂しいですけどね」 「仕事、行きたくなくなるから……そういうこと、言っちゃだめ」 「ふふ、それは困りますね」  笑いあって、キスをしてお見送り。  なんだか新婚さんみたいでドアが閉まった途端に恥ずかしくなってくる。昨日お弁当箱も注文したし、ネットスーパーも会員登録したし、お弁当箱が届いたら早起きしてお弁当も作ろう。  あれやこれやと今後のことを考えながら一通り洗濯物や掃除を終えて一息つく。お昼ご飯にはまだ早いかなくらいの時間だった。  とりあえず、卒業までは甘い軟禁生活が送りたい。朝からエッチなことするのはちょっとご遠慮願いたいけれど。  しかし本音を言えば卒業したあとだってずっとここにいたいのだ。ずっと先生のモノでいたいし、先生の感情を独り占めしたい。  例の部屋に入り本棚を漁る。先生が崩し落とした本たちはこの短期間ですっかりくたびれてしまった。付箋はあの時いくつか剥がれてしまったが、それでもまだ残っている付箋をたよりにページを探る。  いくつもいくつもサインペンで黒く塗りつぶされてしまって、重要なところほど読めない。しかし思っていた通り……ものぐさに見えて正確で几帳面な面を持つ先生は、文章をただ無闇に塗りつぶしていたわけではなかった。  塗りつぶされているのは病気の症状のみ。病因に関しては先生の生い立ちが変わったわけではないためそのままマーカーがされた状態で残されていた。  しかしこれは確認するまでもなく、自分の推測に間違いはないだろうと確信していた。どの本にも育児放棄、無視、放置などの単語が目につく。各家庭の経済的な問題などもあるため判断は難しいが、私立高校に通っている時点で経済的にそこまで困窮していたとは思えない。食事の内容などや端々の発言を考慮しても先生が虐待児であったことは確定と言っていいだろう。  高校の卒業アルバムと一緒に、中学校と小学校のものも並べられている。開くとどこにいても集合写真で飛び抜けて背の高い先生が真っ先に目に入って、苦笑してしまった。しかし相変わらず表情は乏しく、それに気がつくと悲しくなる。  高校に比べて小学校と中学校のアルバムには先生の姿がチラホラと見られる。しかし体育祭も、文化祭も、自然教室も、修学旅行も、先生は一人だった。部屋ごとに撮影した写真ですら、先生だけ随分離れたところに立っている。  背はすでに今の俺ぐらいありそうだがまだ幼い顔をした、十二歳の先生の頭を指先で撫でる。  先生、本当にずっと一人だったんだ。親御さんに話しかけたり笑いかけたりされずに育ち、食事には菓子パンを与えられて、人と関わることを知らずに育って他者への興味すらなくなって。高校生の頃に自分を知るために精神科医になろうと思ったと話していたから、大学時代は人に関わる機会ができただろうか。  込み上げてくるものがあり、鼻をすする。  今俺と一緒にいてくれる先生はちゃんと笑って、怒って、一人の寂しさも知っている。しかし今まで一人ぼっちで均等に保っていた心のバランスを崩して苦しんでいる。  芽生えさせてよかった感情なのだろうか。溢れ出る感情に苦しむ先生はとても綺麗だけれど、先生のためにはならないのだろうか。  でもやっぱり、アルバムの中で何も見ていない、ただそこに立っている先生を見ると寂しくなる。苦悩する顔だけじゃない、先生の笑顔も知っているから。この写真なんかよりよっぽど子供みたいな素直な顔をして、へにゃっと笑うあの笑顔を知ってるから。  先生とずっと傍にいたい。先生の笑顔も違う顔ももっとたくさん、ずーっと俺は見ていたいのだ。俺だけが引き出せて、俺だけが見られる素敵なもの。  でも本当になぜ自分なのだろう。疑問に思いながらふと、デスクに置かれたままの先生が作成した資料が目に留まる。なにか俺の事について書かれていたりしてと眺めていると、本当に自分の名前があって目を見張った。しかも生徒会長就任挨拶の時について書かれていた。  なんだろう、先生はパソコンに俺のフォルダでも作っているのだろうか? それくらいきちんと時系列に沿って自分の事が書かれている。  タバコを注意されたこと。保健室でハヤトとセックスしてたのに遭遇したこと(初耳である)。屋上の扉前で再び目撃したこと(もちろん初耳である)。俺がハヤトに振られて暴走したこと。いつも泣いて保健室に来るようになったこと。そして、それに、あの、ムラムラすること。  それらがこと細かく書かれていて割と引いた。さすが先生ちょっと、いやなかなか気持ち悪い。でもその記録を見ていると分かったのだ。最初は淡白だった文章がだんだんと感情的になっていること。  挨拶について書かれた文は本当に、ちょっと俺の様子を心配したのかなという程度のものだった。タバコの注意も。しかしセックスを目撃したところで初めて“甘える声が同じ人間だと思えないくらい可愛い”と個人的感想が加えられている。  その後はもう、可愛いのバーゲンセールが徐々に始まっていく。タバコ注意されたところまでの語彙力どこにいったの? と疑問に思うくらい。 “泣いた顔が、鼻を啜る音が可愛い” “本気で笑うと引き笑いになるのが可愛い” “たまに見えるおでこがツヤツヤで可愛い” “驚いた時によく見える白目が綺麗で可愛い” “先生嫌いですの“い”の発音が可愛い” “耳の縁と中のほくろが可愛い” “左下八番のみ歯の治療歴があるの可愛い”  もう、意味わかんないって内容ばかりだった。前半はまだしも、後半になっていくほど理解ができない。全身のほくろの数二十六個やや多め可愛いってなんですか俺も知らない情報で溢れてるんですけど。  でも自分もハヤトのこと何故そこまで好きだったかと問われたら大した説明はできないかもしれない。けれど好きなところはいくらでも上げられた。  なぜ先生の感情を呼び起こしたのが俺だからかはわからないけれど、そういうのは理屈じゃないのかもしれない。理屈ではないけど、ただ物凄く愛されてしまっていることはこのよくわからない俺の記録に数え切れないほど記されている。  先生とずっと一緒にいたら自己肯定感が上がりすぎて大変なワガママ野郎になってしまうのでは。気をつけよう。そんな少しひねくれたことを思いながらも、顔がニヤけるのが止まらなかった。  帰宅した先生は食卓を一目見て、半目のまま首を傾げた。やっぱりちょっと気合いを入れすぎてしまったかと、恥ずかしくて汗が滲む。 「グラタンに……ハンバーグが入ってる。お店みたい……」 「お店みたいだなんてことないんですよ! 見た目豪華ですけど、結構簡単なので!」 「そう……? 美味しそうだね。ありがとう」  なでなでとされてコートなどを置きに先生が去っていく。今日のメニューならワインかなとグラスを用意したりしながら、成人してもお酒に弱すぎて一緒に飲めないのは残念だなと思った。よく食の好みは大事だと言うし。しかしそれを戻ってきた先生に零してみれば、先生は首を横に振った。 「僕がお酒飲んでる隣に、君はいてくれるから。いい」 「隣にいるだけでいい、と……?」 「そう。だから、ご飯も……毎日、作らなくてもいいし。手抜き、してね。君が僕の家でゆっくりしてるだけでも、僕は満足」  俺が何も尽くさなくても、ただそこにいるだけで先生は愛してくれる。それが嬉しくてたまらなかった。  ハンバーググラタンもホワイトソースから丁寧に作ったし、ハンバーグをフライパンとオーブンで二度焼きしたからそれなりに手間はかかったけれど、先生の言葉の一つ一つを受けてちゃんとその苦労は報われる。 「なんだか、今日はご機嫌……だね?」  食卓についてワインを口にしながら、俺のご機嫌が移ったのか先生も笑う。いつもの微笑む感じではなくて、嬉しそうに目尻を下げて笑ってる。 「先生がこの間ばらまいた資料の中に……俺の観察記録、みたいなものを見つけてしまいまして」 「うん?」 「ほくろの数とか、歯の治療歴とか、襟足の上につむじが一つあるのとか。どうやって知るんですか? びっくりして……それに、たくさん可愛いって。なんだか照れちゃいました」 「ああ、あれ……混ざってたの? そう……」  いつもじーっと、本当に不躾なほどじーっと視線をぶつけてくる先生が、視線を横に逸らした。そしてハンバーグを切って口に運び、もごもごしながらも何か言いたそうにしている。 「あれ……なんだけど。最初は、君の精神状態が気になって、記録してて。でも、だんだん……おかしいな、と自分でも思ってて」 「はい」  返事をしながら、先生もしかして言い訳してるのかとわくわくした。だってこんな焦り気味なところみたことない。ちょっとだけいつもより早口になって、相変わらず目を合わせない。 「途中から、完全に……君の可愛いところを書いたり、観察記録になってしまって。君のこと一つも見逃したくないし、忘れたくなくて。あと何故だが、書くことで吐き出して……そうしないとたまらなくて」  先生の白い頬が徐々に朱色に染まっていく。先生が言い訳してさらに照れてしまっている。こんなところを見たのは初めてで、またニヤニヤが止まらなくなる。先生可愛い、先生が可愛すぎます。 「先生、俺のこと見逃したくないのでしょう? さっきから目があいませんよ?」 「うん? あ、そう、だね……」  そっと視線を合わせてくるので、見つめ合う。しかし先生は口に手を当ててすぐにふいっと目を逸らしてしまった。 「ごめん……なんか、無理」 「先生がそんなに照れてらっしゃるの初めて見ました」  ふふっと意地悪く笑いながら言うと、先生は驚いて目を見開き、またすぐ細めた。そして二度頷いてとうとう目を閉じる。 「そう……照れている、のかも。こんなにそわそわするのは初めて……かな」  どうにも落ち着かない様子で先生は、食事中にごめんねと断って電子タバコを加熱した。前髪をかきあげながら深く吸い、煙を吐き出す。もう一度吸って吐き出す頃ようやく先生の肌から朱色が消え、いつもの表情に戻られた。 「君は……本当に、僕を乱すね。いや……自爆、なのかな。観察記録、気持ち悪い?」 「最初は引きましたけど、今はノートとペンが欲しいです」 「ノートとペン?」 「照れている先生が可愛すぎて……! 俺も先生の観察記録つけたいです!」 「えぇ……? やだな……」  そう零す先生の頬が、またちょっとだけ赤みをさす。  こんなに幸せでいいのだろうか。そう不安になるくらい完璧な日。ずっとずっとこんな甘い軟禁生活を続けたいと、俺も先生もきっと同じように思ってる。  期限なんてなければいい。先生の他には何もいらない。ずっと、ずっとこの囁かな生活をしたい。  ただ、それだけなのに。  

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