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第2話『9日間限定の恋人』(24)俊哉×凪彩
〜side.俊哉 〜
それからさらに1か月。
クリスマスシーズンに凪彩 と見たイルミネーションは、バレンタインデー仕様になった。
年明けから雪もよく降るようになった。
相変わらず凪彩は帰って来ない。
今頃どうしているだろう。
元気に暮らしているだろうか。
淋しくて泣いてはいないだろうか。
ようやく凪彩のいない生活にも慣れたが、会いたい気持ちは募るばかり。
どうしても会いたくて、また凪彩を契約しようかとも思ったが、そうすれば凪彩の退職日が延びるだけ。
例え契約して一緒にいられても、結局派遣恋人と客のまま。
また別れがやってくる。
あの辛い別れを経験するのはこりごりだった。
親友の佑樹 は、時々居酒屋で俺の話を聞いてくれた。
凪彩の帰りを一緒に待ってくれる佑樹の存在が心強かった。
1人の時は偶然凪彩に会えないかと、必要以上に街をウロウロしたり、雰囲気の似た子を見つけると後を追いかけたり。
完全に危ない奴だと自分でも思う。
そんな生活をしている時、一度だけ街で凪彩を見かけた。
甘えた表情の凪彩は、小太りの中年親父と腕を組みながら歩いていた。
交差点で信号待ちをしている時は、今にも唇が触れそうな距離で楽しそうに話をしていた。
胸が張り裂けそうになったし、叫びたくなった。
俺の凪彩に触れるな!と凪彩をさらってしまいたい衝動に駆られたが、俺は耐えた。
ここでめちゃくちゃにしたら、もっと凪彩が遠のくのがわかっていたから。
俺と一緒にいる時の方が楽しそうだったのが、せめてもの救いだった。
俺と信号待ちをしていた時は、自分から抱きついてキスをねだってきた。
それに応えると、本当に幸せそうに笑ったんだ…。
その日以来、俺は辺りを見回すのを止めた。
仕事中の凪彩を見かけてしまうのが怖かった。
俺と一緒の時より嬉しそうな凪彩や、誰かとキスをする凪彩を見たらどうにかなってしまう自信があった。
だから、外に出るのは必要最低限にして、会社と家だけの往復生活を始めた。
それから一週間後の土曜日の昼近く。
朝からひと通りの家事とストレッチを終え、昼ご飯の準備でもするか…と思っていると、インターホンが鳴った。
誰だと思って、ドアののぞき穴から見るとそこには凪彩が立っていた。
「ただいま、俊 くん」
急いでドアを開けた俺を見ると、凪彩はニコッと微笑んだ。
別れた日と同じコートとバッグ。
それからコンビニの袋を一つ。
こんなに離れていたのに、まるで買い物から帰ってきたみたいだった。
帰って来る日を心から待ち望んでいたが、まさかこんな何の前触れもなく帰ってくるとは思っていなかった。
あまりに驚きすぎて言葉が出なかった。
「帰ってきて…よかった?」
無言の俺に対して不安そうな表情を見せる凪彩。
「も、もちろんだ。とにかく入ってくれ」
すぐに家に入れて、ソファーへ促して隣に座った。
「本当に…帰ってきてくれたんだな」
夢が現実になった事がまだ信じられない。
久しぶりに見た凪彩は、キレイになっていた。
今までは控えめで可愛らしい雰囲気だったが、今日は輝くみたいな美しさだった。
キレイ系の凪彩もいいな…。
そんな事を思いながら俺はただ凪彩を見つめる事しかできなかった。
「うん。最初は仕事を辞めるつもりだったんだけど、よく考えたらオーナーにまだ恩返しができてなくて…。だから、オーナーに相談して事務職に変えてもらったよ。職場は一緒だけど、もうお客さんの相手はしなくていいの。俊くんと同じ土日休みだよ」
だからこれからはずっと一緒…と、微笑む凪彩。
久しぶりに見る凪彩の笑顔が眩しかった。
「そうそう、それからね…」
離れていた間の事を全部話すつもりらしい。
可愛い凪彩のおしゃべりは止まらない。
凪彩の声も表情も全部が愛おしい。
一晩中でも凪彩の話を聞いていたかった。
「俺ね…夢だった劇団のオーディションに受かったの。まだ研究生だから、当分は働きながら勉強していく感じ。俊くんに愛されて自信がついたから上手くいったよ」
俺と暮らすために仕事を変えて、新しい事にも挑戦した凪彩。
あの自信なさげで控えめな凪彩のどこにそんなパワーがあったんだろう。
「凪彩…頑張ったんだな」
「うん、頑張った。俊くんに会いたい一心で人生で一番頑張ったよ」
誉めてくれる…?って俺を見るから、抱きしめて頭を撫でた。
2か月と一週間ぶりの凪彩の温もりは、この世の天国だと思うくらい心地よかった。
嬉しそうに甘える凪彩は、俺の知ってるあの日の凪彩のままだった。
「俊くんのにおいだ…」
懐かしい…と、俺の首筋に頬ずりしながらにおいを楽しむ凪彩。
俺も凪彩の髪に鼻先を埋めて甘いにおいを思いっ切り吸い込んだ。
「やっと帰ってこられた…」
嬉しい…と、俺に抱きついて泣き始めるから、俺もつられて一緒に泣いた。
お互いの涙を指先で拭い合って、久しぶりの口づけを交わした。
「愛してる…俊くん」
やっと自分の言葉で言えた…と嬉しそうな凪彩。
今までの『愛してる』もきっと本心だっただろう。
でも、あの時はまだ契約中だった。
自立して、やっと自由に本心を言えるようになったんだと思うと、今の『愛してる』はさらに特別感が増した。
「俺も凪彩を愛してる」
柔らかな頬を撫でて、キスをした。
おでこにもまぶたにも鼻の先にも…凪彩の顔のパーツを確かめるように、ゆっくり唇を寄せた。
触れれば触れるほど愛おしくて、狂おしい。
「凪彩が好きだ。世界一…いや宇宙一…とにかく凪彩の全部がどうしようもなく好きだ」
凪彩の心に響くような上手い表現ができないのがもどかしい。
言葉にできない分、強く強く抱きしめた。
「俺もね、同じくらい…ううん、俊くんが愛してくれてる分よりちょっと多めに愛してる」
好きだよ、俊くん…と、柔らかな唇が頬に触れた。
「…俺の方が凪彩を愛してる自信があるぞ。俺は凪彩の2倍だな」
鼻の先を唇で甘噛みすると、くすぐったそうに笑った。
「えー、じゃあ俺は俊くんの3倍」
俺の真似をして上唇を甘噛みしてくるから、そのまま何度も何度もついばむようなキスした。
「それなら俺は無限大だ。どこを探しても凪彩を一番に愛してるのは俺だ」
そう言い切ると、凪彩は急に困り顔をしてうつむいた。
しまった、凪彩への愛があふれ過ぎた。
もう何の制約もないのが嬉しくて、リミッターが外れた。
好きな気持ちが止められなかった。
もしかして重かったか…?
「…凪彩?」
顔をのぞき込むと頬も耳も真っ赤だった。
どうやら照れているらしい。
「…離れてから今日まで俊くんに会いたくて、会いたくて…。絶対に俺の方が俊くんを愛してるって思ってたけど…」
違ったみたい…と、嬉しそうな恥ずかしそうな凪彩が可愛くてたまらない。
「これからもずっとずっと永遠に凪彩が大好きだ」
「俺も…ずっとずっと永遠に俊くんが大好き」
微笑み合って、またキスをして…。
いい雰囲気になってきたし、このまま…と凪彩をソファーに寝かせて覆いかぶさると、凪彩が慌て出した。
「ま、待って…俊くん。お昼…食べてからにしない?」
「ん…腹減ったのか?」
「ううん…。今はまだいいけど…先に済ませてゆっくり俊くんとイチャイチャしたいな…って」
凪彩は大人だ。
その場の感情に流されずに先の事まで考えられる思慮深さがあるし、先の楽しみのために我慢ができる。
今回の事だって凪彩がしっかりしていたから、こうやってまた一緒にいられる事になったんだ。
俺はそんな凪彩を尊敬しているし、腹も性欲も両方とも満たそうとする欲張りな感じも好きだ。
ゆっくり凪彩を抱き起こして、キスをした。
凪彩の言う通りにするのが最善だとわかっていても、離れるのは名残惜しい。
「俺ね、ハンバーグ弁当買ってきたよ。初めてこの家で一緒に食べたあのお弁当」
「デミグラスソースと和風のか…」
「そう、それそれ」
俺と食べた弁当の事…覚えていたんだな…。
あの時一緒に食べたハンバーグで始まった2人の生活。
新しい生活も同じハンバーグで始められる事が嬉しかった。
「俊くん、この前みたいに半分こして食べよう」
「よし、今日は俺が温める」
「ありがとう、俊くん」
お礼のキスをされてすっかり有頂天になった俺は、またチュッチュと口づけた。
凪彩をお姫様抱っこして一緒にキッチンへ向かう。
こうすれば凪彩と離れなくて済むし、ハンバーグも温められる。
凪彩を抱えたまま電子レンジに弁当を入れた。
落ちないようにぎゅっとしがみついてくる凪彩。
凪彩をおろした方が身軽だし、凪彩もおりた方が楽に決まってる。
それでもくっつこうとする感覚が似ていて可笑しくなった。
9日間限定の恋人の凪彩が、無期限&俺限定の恋人になった。
凪彩の想いも、唇も体も…一生全部独り占めできるなんて最高だ。
「凪彩…今日からまたよろしくな」
「うん…。俺の方こそよろしくね」
腕の中で微笑む凪彩の重さはきっと凪彩の生命と、幸せの重さだ。
凪彩の温もりや鼓動やにおいと共にこの重さを感じていける事がたまらなく幸せだ。
これから凪彩の引っ越しをして、婚姻届も出して…。
あぁ、でももう少し恋人期間も楽しむのもいいな。
結婚するなら結婚式もしたいし、新婚旅行にも行きたい。
その前に凪彩の家族に挨拶に行って、結婚指輪の準備をしよう。
俺の家族にも会ってもらいたいし、色々相談に乗ってくれた佑樹にも紹介したい。
凪彩が側にいてくれる事で、俺の人生は数え切れないほど幸せなイベント尽くしだ。
凪彩にも同じだけ…いや、それ以上の幸せを感じて欲しい。
「凪彩、一緒に幸せになろうな」
「うん、なりたい。2人でもっともっと幸せになろうね」
俊くん大好き…と、頬に吸いついて、はむはむと甘噛みしてくる凪彩。
じゃれるようなキスをする凪彩に応えていると、レンジからいいにおいが漂い始めた。
「におい嗅いだら急に腹が減ってきたな」
「俺も…。お腹鳴りそう」
きっと可愛い凪彩の腹の虫は可愛い声で鳴くんだろうな…。
聞いてみたい気もするが、凪彩には腹を空かせて欲しくない。
凪彩には腹も心も体も、いつでも満たされた状態でいて欲しい。
ハンバーグの一口めは凪彩に食べさせてやるんだ。
美味しいって、ふわっと笑う凪彩が見たいんだ。
そんな事を思いながら、温め完了を告げた電子レンジを開けた…。
〜おしまい〜
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