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第2話『9日間限定の恋人』(23)俊哉×凪彩
〜side.俊哉 〜
23時45分。
9日間お泊まりコース終了の時間まであと5分だ。
身支度をした凪彩 と玄関で抱きしめ合う。
お互いの温もりを確かめるように、少しでも近くにいられるように…。
「…ありがとう、俊 くん。9日間本当に幸せで楽しかったよ」
「俺も…楽しかった。ありがとな、凪彩」
何度も撫でた柔らかな頬に触れると、凪彩は穏やかな表情で頬ずりをした。
「仕事の事…ちゃんとしたら、すぐに俊くんに会いに来るね」
「待ってるからいつでも帰って来い。ここは凪彩の家だ」
一生凪彩といられる最高のご褒美のためなら、例え何があっても待つ。
この別れだって耐えてみせるんだ。
「もう…行かなくちゃ」
「下まで送ってく」
「下に…お迎えの車が来てるからここがいい。俊くんの手を離して、他の男の人の車に乗るところは見られたくないから。俺が出かけた…みたいな雰囲気でバイバイしたい」
それは俺に辛い思いをさせないための、凪彩の優しさなんだと思った。
「わかった。そうしよう」
「ありがとう。ねぇ、俊くんから…キスして…」
甘えながら瞳を閉じる凪彩。
これが最後のキスだ。
このキスをしたら、凪彩は行ってしまう。
ためらっていると、凪彩のスマホが鳴った。
相手はきっと凪彩を迎えにきたスタッフ。
約束の22時50分になったんだ。
「気をつけてな、凪彩」
悲しみを堪えて口づけた。
最後に凪彩の瞳に映る俺は、笑顔がよかった。
「うん。じゃあ…行ってきます」
凪彩はニコッと微笑んで家を出て行った。
コンビニにでも行くかのような軽い感じだった。
凪彩が出て行ったドアをしばらく眺めていた。
凪彩との楽しかった思い出が頭の中を駆け巡った。
柔らかい笑顔や可愛い仕草、甘い声、温もり…。
「凪彩!」
玄関から飛び出すと、凪彩は迎えに来たスタッフの車に乗り込むところだった。
「凪彩、待ってくれ!」
急いでアパートの階段を駆け降りる。
待つと約束したし、自分でも納得していたはずなのに、いざ別れの時が来たら辛くてたまらなかった。
気づいた凪彩は車に乗るのをやめようとしたけど、スタッフに阻止されて後部座席に促された。
俺が追いつく前に走り出した車。
真っ暗で凪彩の様子もよく見えなかった。
凪彩の名前を呼んで全力疾走したけど、追いつけなかった。
車で追いかけようと部屋に戻る。
車の鍵の横に小さなメモが置いてあった。
風で飛ばないよう、水族館デートをした記念に買ったイルカのキーホルダーが乗せられていた。
『どこにいても俊くんだけを愛しています』
凪彩からの置き手紙だった。
たった一文だったけど、凪彩の想いの全てが凝縮されていた。
「凪彩…!」
それを見た俺は追いかける事ができなかった。
拭っても拭っても涙があふれてきた。
俺よりも自分の事情で離れなければならない凪彩の方が辛いはずだ。
その凪彩が頑張ろうとしてるんだ。
俺が我慢できなくてどうする…。
凪彩の望みは、俺が待つ事だ。
遠くに行ってしまった愛おしい凪彩に俺がしてやれるのは待つ事だけだ。
「凪彩…待ってるからな…」
俺はそっとメモを撫でた。
それから1か月が過ぎた。
その間にクリスマスと正月を迎えた。
指輪交換をした日に俺がプレゼントした花束はキレイなドライフラワーになった。
「凪彩、おはよう」
ホテルで一緒に撮った写真に声をかける。
「今日は凪彩がくれたネクタイとネクタイピンにしたぞ」
凪彩に話しかけて、左手の薬指にはめたペアリングにキスをするのが日課だ。
凪彩からはあの日以来、何の連絡もない。
まだ…客の予約が入ってるんだろうか。
それともオーナーと揉めてるんだろうか。
心配で何度か店の近くまで行ったけど、凪彩だって我慢してるんだと思ってグッと耐えた。
いつ凪彩に遭遇してもいいように、身だしなみに気を配るようになった。
凪彩に誤解されないよう、誰かと歩く時は距離感に気をつけたし、合コンと勘違いされそうな雰囲気の飲み会には参加しなかった。
凪彩と1日でも長く生きられるよう、食生活にも気をつかうようになったし、筋トレも真面目に取り組むようになった。
いつ帰って来てもいいよう、マメに掃除もするようになった。
凪彩のおかげで健康になった気がするし、生活にメリハリも出てきた。
これで凪彩がいてくれたら最高だ。
凪彩…早く帰って来い…。
そう思いながら、フォトフレームを撫でた。
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