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第6話
ふわふわと、柔らかくて暖かいものに包まれている感覚。それは久しぶりに感じるとても幸せな気分だった。極め付けに、その幸せはとても良い香りまでするときた。
まだ少し遠くにある意識の中、律はこのぬくもりを手放したくなくて、それを手繰り寄せ自分の方へ引き寄せようとする。
「んっ……」
カタンッと小さな物音が聞こえ、ほんのりと意識が覚醒し始めた。
まだ目を覚ましたくないという気持ちの方が強いのだが、じわじわと違和感が沸き上がってくるのを感じて律はその重たい瞼を開く。
「やあ、目が覚めたかい? 音無律くん?」
「……だ、れ」
瞼を開いて一番に視界に飛び込んできたのは、爽やかな男の笑顔だった。
「キミ、本当にベータだったんだね。住所、随分遠いけど……ここから通っているのかい?」
覚醒しきらない靄の掛かった頭を振り、どうにか今自分の置かれている状況を把握しようと努めた。
先程とは違い、首元がざっくりと開いた薄手の黒いセーターを着た男がそこに立っていた。手に持っているのは恐らく律の学生証だろう。
「ここ、どこ……」
医務室ではない。ベッドとパソコンデスクしか見当たらない、とてもシンプルな部屋だった。
「俺の部屋だよ」
「あなたの……部屋?」
「あのまま医務室に置いておくわけにもいかないだろう? それに、キミの家に送って行こうにも県外じゃね」
はい、と学生証を返される。余りにも飄々とした男に、律は面を食らってしまった。
そして今着ている服が自分の物ではないことに気付き、段々と沈んでいた記憶が浮上してくる。いっそ沈んでいてくれたままでいて欲しかったとも律は思う。
(僕、知らない男に抱かれて……)
目の前にいる名前も素性も知らないこの男との行為を思い出してしまい、律の顔は青ざめる。
それと同時に、最終的にはそれを受け入れ喘ぐ自分の痴態もフラッシュバックしてきてしまい、今度はブワッと顔に一気に熱が集中して赤くなった。
「青くなったり赤くなったり、忙しいねキミは」
「誰のせいだと! っ!」
「俺のせいだろうね」
飄々とした男に苛立ちを覚えて勢いよく飛び起きれば、現実を突き付けるように腰に鈍い痛みが走る。
「無理はしない方がいいんじゃないかい? 初めてであれだけヤったんだから」
悪びれることなく笑みを浮かべている男を一発殴ってやろうかと思った。
生憎と怒りに任せて騒ぎ立てる元気も体力も残されていないため、律は大人しく言葉を飲み込んだ。
「それより、キミもう一度バース判定を受けた方が良い」
男が急に真面目な顔をしたので、律は先程との差に驚いて一瞬固まった。
「どうして……僕はベータだって、その学生証にも書かれてるし」
「#ベータはアルファを誘惑するフェロモンなんて出さないんだよ__・__#」
至近距離まで近づいてきた男は、スッと手を伸ばして律の前髪を退かして額に触れる。
また何かされるのではないかと、身構えて体を強張らせている律を余所に、男はそれ以上何かしてくるわけでもなく、そのまま離れていった。
「身体は、落ち着いてるかい?」
「え……、そう言えば楽になってる」
倦怠感と鈍痛は残っているものの、朝方のような身体の火照りはない。
そんな律の様子を見た男は、少し考えた後に口を開く。
「バースは専門じゃないんだけど……さっきのは発情期で間違いないと思うよ?」
発情期、オメガ特有の現象。周期は個人差もあるが大おおよそ三ヶ月に一度、当人の意志とは関係なく強いフェロモンを撒き散らす。その期間は発情、手近にいるアルファはベータとの繁殖行動以外ままならなくなる。
思わず授業で教わったテンプレートがそのまま脳裏を駆け抜けていった。
「俺の知り合いにバース専門医がいるから、紹介するよ」
「あなたは……一体何なんだ」
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