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第7話

 混乱する律を余所に、男は何処かへ電話を掛けている。  ベータだと思っていたのにオメガだと言われ、そのオメガの発情期のせいで素性も知らない男に抱かれた。まるで悪い夢みたいだと、律は頭を抱えてしまった。夢ならいっそ覚めてくれれば良いのに。 「残念だけど、現実だよ」  言葉にしていないつもりだったが、どうにも口から漏れていたらしい。 「どうして、普通に暮らしてただけなのに……何で、こんな目に合わなきゃならないんだよ」  ここ最近度重なって己に降り掛かった災難を受け止められるほど、強靭なメンタルは持ち合わせていない。正直そろそろ心が折れそうだった。 「世の中、理不尽なことは山程ある……キミが受け入れられなくても、それから逃げられるわけじゃない」 「あなたは、意地悪なんですね」  落ち込む理由の半分はこの男のせいだと言うのに。言うことは腹が立つ程正論だ。 「まぁ、真実を告げるのが医者の仕事だからね」 「……は?」  今しれっと何か凄いことを言ったような気がしたが、気のせいだろうか? 「医者?」 「正確にはキミの通う大学の医務員だけどね? あぁ、医師免許は持っているよ」  開いた口が塞がらないとはこのことだろうか? 災難続きのことで気が滅入っていた筈なのに、それが何処かへ吹き飛んでいってしまった。 「先生、だったんですか?」 「そうだね……保健の先生なんて柄じゃ無いけど」 「僕は、先生と……」  一線超えてしまった。立場的に危ないのはこの男の方なのに、気にも留めていないような顔をしているのが正直理解出来ない。 「先生って呼ばれるのは、正直あまり好きじゃなくてね。紫藤か伊織って呼んでくれると有り難いな」  初めて目の前の男の名を知る。紫藤 伊織(しとう いおり)……名前まで綺麗な響きで、羨ましいと思った。 「紫藤先生」 「先生はいらないかな」 「紫藤、さん」 「よく出来ました」  頭を撫でられ子供のようにあやされている。  紫藤と言う男の素性に驚かされて忘れてていたが、落ち着いて考えてもみろ? この男にレイプされたんだぞ? 「そんな顔をしなくても、取って食ったりしないよ」 「もう食われた後ですけど」  律がムスッとした顔を向けると、紫藤の形の良い唇は笑みを浮かべたままそうだったねと呟いた。 (この人、罪悪感とかそう言う感情がないのか?)  気付いた時からずっと、紫藤の口元は笑みを浮かべている。  遡ってみると、医務室で抱かれているときもそうだった気がする。 「あなたのその笑い方、空っぽみたいだ」 「――キミは、面白いことを言うね」  少し嫌味を込めて言ったつもりだった。紫藤にはまるで堪えていないようで、だから? と言うように笑みを携えたままでいた。 「それだけ口が回るなら、大丈夫そうかな。そろそろ行こうか?」 「行くって、何処へ」 「病院だよ」  さっき紹介するって言っただろう? 紫藤は律にコートを手渡すと、何かを思い出したように一度部屋から出て行った。 (このコート、紫藤さんのか)  着ている服もそうだ。明らかにサイズが合っていない。  着ていた服は何処へ行ってしまったのだろうか、今は何時なんだろうか、学校は?  一人にされた途端に、気になっていたことが頭の中を占めていく。ぐるぐると考えている内に、紫藤が手にコップを持って部屋に戻って来た。 「これ、飲んでおいた方が良い」 「薬?」  手渡されたのは錠剤。得体の知れない薬をなんの警戒心もなしに飲めるわけもなく、訝しげに紫藤の顔を見る。  そんな律の反応も想定内だったのか、紫藤は薬の説明を始めてくれた。 「アフターピルだよ」 「ピル……」 「いくら初潮とは言え、孕む可能性はゼロじゃないからね」 「んなっ!」  予想斜め上の薬だったことに、律の顔は再び真っ赤になった。 「大人しく飲んでおいた方が、キミのためかな?」  俺の子供が欲しいって言うなら別だけど。冗談なのか本気なのか分からない紫藤の言葉に背筋が凍った。  そのまま薬を放り込み、受け取ったコップの水を一気に飲み干す。 「そうそう、えらいえらい」  空になったコップを押しつけ、同時に律は威嚇するようにキッと紫藤を睨みつけた。 「それじゃあ、行こうか?」  そんな些細なことは紫藤に対して何の効果もなかった。分かってはいたが、やはり悔しい。それが顔に出ていたのか、紫藤はおかしそうに笑っていた。  結局自力で歩くことが困難だった律を紫藤が抱えて行ったため、律の人生の中で消し去ってしまいたい出来事の上位三つが今日全て起きる。  今日は律の人生最大にして最悪の厄日となった。

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