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悪魔を導く、紅色の

*悪魔と呼ばれた絵描きの話 『悪魔の絵描き』という短編に目を通していただければお話わかりやすいかと思います。 (菫と出会う数百年前の時間軸です) 少年は血を失った。 自ら命を落としたのか それとも事故であったのか 判断は私たちに委ねると呑気な事を仰る死神様はたいそう気分屋なお方だ。 まさかこんなにも早く、彼を導く日が来るとはな。 まだ乾ききらない自画像は きっともうあと数日もすれば土色に濁り、今ほどの美しさは消え失せてしまうだろう。 力なく横たわる少年は まるで夢でも見ているかのように 穏やかな顔をして、眠るように死んでいた。 杜若の触れ方がいつもより優しいと感じたのは 私の気のせいだろうか。 ふわりと浮かんだ少年の魂は 自らの血液を大量に使用して描いた作品を眺め、何処か悲しげに睫毛を伏せる。 「…どうした。満足行く出来ではなかったか。」 普段ならば、こうして死人の魂と会話をする事など殆ど無い私だが、どうしてか少年を見ていると、黙っていることができなかった。 「……だってこれは、僕の絵なんです…。カイリはもっと、綺麗な…あったかくて、上手な絵を描くのに……これじゃ、ないんです…。」 カイリ その名には覚えがあった。 あれからもう1年は経っただろうか。 このアトリエで 少年に看取られて私達に導かれた男の名。 「“カイリ”の遺作は確かに美しかったな。 ……その隣の、彼が絵を描く姿を映したものもまた美しかった。」 「………ぁ、それ…は……。」 この少年に名前は無い。 カイリという男がただ一人だけ ある言葉で少年を呼んでいただけである。 まるで私たちのようだ。 紅薔薇も、杜若も 花の香りを頼りに皆そう呼ばれるだけ。 どこか虚しく、けれどそれ以外に私たちを証明する記号や文字はなにも無い。 だが、この少年は違う──。 「君は…きっと今まで沢山の絵を描いてきた。その全てを見たわけではないが、何度も目にしたことがある。」 「……。」 「君はもう、奴隷でもカイリでもない。 これから君は、他の誰でもない君として 君にしか描けないものを好きなだけ描いていけばいい。」 繊細な描写 美化した風景 嘘で固められた綺麗事のような上辺の温もりは 本当に君が描きたかったものなのだろうか。 人々の祈りを嘲る様に現実を見据える、闇に塗れたマリア 苦しみをその小さな体で嫌というほど味わって知った、絶望と痛みを詰め込んだ彼自身。 確かに心を揺らす何かを感じたのだ。 天賦の才能とはまさしく少年の持つそれを言うのだろう。 「君の名を教えてほしい。」 「……ッ、僕…は……。」 小さく震える頭の上に 黒い爪が当たらない様、指を逸らしてそっと触れた。 条件反射で身体を強張らせてしまう君が もう、怖がることのないように。 私は見る事の叶わなかった君の笑顔が いつかきっと、見せたい人物に見せられるように。 君の描く君が、いつか本当に“カイリ”の描いたそれのように 優しさで包まれればと願う。 「…リ……リオン、です。」 「あぁ…そうだ。よく言えたな。 君を上へ導こう。私の手を取ってほしい。」 自分よりもはるかに細く小さなその手が離れないよう強く握ると 控えめではあるが 私の手の甲に少年の指が沿わされるのを感じた。 「今までよく頑張った。 …扉の向こうは、きっと今までに見たことも無いほど美しい景色が広がっているだろう。 君が代わりに描いてやったものを、彼にも沢山見せてやるといい。」 「…へ?そ、それどういう……。」 眩い光を放つ扉を開ければ 1つの影がこちらへ向かってくるのが見えた。 その影は逆光となり、姿こそ確認はできないが 変わらず高身長な上にもやしのようなひょろ長い男は 少年に気が付くと ふわりと笑って、両方の手を大きく広げて。 「──リオンっ!!」 その男以外誰も知らない、たった一つの少年の名だ。 私の手を握るそれが離れたと同時に 少年もまた、愛おしそうに声を上げる。 「ぁ、あ……カイリ…っ。」 ああ、せっかく少年の笑顔が見られると思ったが こちらに背を向けていては仕方ないな。 君の愛しい者に向ける笑みは、きっと私には想像もつかないほど あどけなくて可愛らしいのだろう。 駆け出した少年をしっかり抱きとめる影を見つめ、 つまらなそうに毛先を弄ぶ同行者に相変わらず頭を悩ませながら 本日の仕事を終えた。 *これにて『悪魔の絵描き』供養終了です。 お付き合いいただきありがとうございました。 紅薔薇とリオンはきっとどこか分かり合える部分があるんじゃないかなと。

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