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side-T
「いいか、タケル。こまったことがあったら、ちゃんと、たすけてって、いえ」
「……」
「そしたらぜったい、オレがたすけてやる」
「…………ぜったい?」
「--------ぜったい」
真っ直ぐな目が、僕を見つめてニッと笑う。
「ゆびきりしよう。ぜったいのやくそく」
にゅ、と突き出された小指に、そっと。
恐る恐る指を絡めたら、ぎゅ、と強く絡め取られて、元気良く上下に振られる。
「ゆーびきーりげーんまん、うーそつーいたーら、はーりせんぼんのーます」
ゆーびきったっ。
切れた小指をじっと見つめていたら、僕を覗き込む綺麗な目が、正面。
「やくそくだぞ。ちゃんといえ」
うん、と。そっと頷いたら、にかーっと笑った顔。
つられて、僕も笑った。
「ありがと、しょうちゃん」
*****
不意に蘇った幼い日の記憶に、胸温められてほっこりと笑う。
僕は、いわゆるいじめられッ子だった。
母親が日本人で、父親はヨーロッパ系の人だったらしい。僕は会ったことがないから、知らない。
出会いの馴れ初めや、僕を産むに至った話なんかを、詳しく聞いたこともない。
男のくせに、肌は真っ白。焼いても真っ赤になるだけで、しばらくしたら、また白に戻る。
髪の毛だって、色素の薄い茶色。
目の色は辛うじて黒だけど、見比べるとどうしても薄い。
幼稚園の頃からずっと、容姿と家庭環境を理由に、いじめられてきた。----過去形にするのは、語弊がある。高校生になった今でも、いじめられている。
もう、慣れっこだった。
幼稚園にいた頃は、家が近所の彰ちゃんが、僕が苛められているのを見つけるたびに、割って入ってくれた。
彰ちゃん自身は、腕っぷしが強かった訳じゃないけど。
心の、強い子だった。
真っ直ぐで、勇敢で。
僕にとっては、正義のヒーローだった。
困った時に飛んできてくれる。
一緒になって地面に転がされたって、何度転がされても負けずに立ち上がる彰ちゃんが隣にいてくれるだけで、僕は心から救われていた。
泥だらけになっても、擦り傷が痛くても。
「タケル、だいじょうぶか?」
「--------うん、へいき」
彰ちゃんが笑って手を借してくれたら、それだけで救われたんだ。
小学校に上がって、中学生になっても、僕はずっと、こっそりいじめられていた。
大っぴらに何か言われたり、されたりする訳じゃない。
陰でこそこそ、みんなが遠巻きに僕を眺めながら、何か喋ってる。
なのに、僕が近付くと話すのをやめて、散っていく。
----僕は、ここにいるのにいなくて、だけど誰よりも強い存在感で、そこにいた。
僕はただ静かに息を潜めていた。
目立たないように。
表面化しない苛めは、彰ちゃんにも気付かれないまま、密やかに続いたけれど。
友達が増えて、クラスの人気者になった彰ちゃんは、それでもいつも、僕のことを気に掛けてくれていた。
登下校で顔を会わせるたびに、元気かと聞いてくれて。
移動教室なんかですれ違うたびに、にっこり笑ってくれた。
それだけのことで、僕の心は救われて。
僕は、ちゃんと存在しているんだと安心できた。
大丈夫。痛いことされる訳じゃない。
物が失くなる訳でもない。
何もされない。----何も、されないのだから。
大丈夫、大丈夫。そう言い聞かせて乗りきれた頃は、まだ良かった。
彰ちゃんが近くにいるという事実に、僕は守られていた。
----だけど。
僕と彰ちゃんが選んだ高校は、別々だったから。
僕はずっと、独りぼっちで耐えるしかなくなってしまった。
そっと息を吐いて、そっと息を吸う。
それだけのことにすら、気を遣った。
無駄に伸びてしまった背。
顔だってハーフ特有のそれなりの顔になってしまったから、女子からは無駄に好かれて。そのせいで、余計に男子から絡まれるようになっ た。
惚れた腫れたは、小中学生よりも高校生の方が敏感だ。
自分を道化に堕とすスキルすら持ってない僕は、女子から告白されるたびに増えてく痣を、隠すことしか出来なくて。
もう、学校なんか行かなくてもいいんじゃないかと思うのに。
僕は毎日、馬鹿正直に、学校へ向かう電車に乗っていた。
----誰にも、知られたくなかった。
いつまで経ってもいじめられッ子だなんて、さすがに情けない。
小、中学校の時は、誰にも気付かれなかったから、余計に。
高校に入って、またいじめられッ子に戻ったなんて、思われたくなかった。
----少なくとも、彰ちゃんにだけは、知られたくなかった。
あの日の「ぜったいのやくそく」は、今も僕の心を励ましてくれる。
あの頃の小さな背中と、負けない勇気は、僕の意地を支えてくれる。
「ホント、なんでお前なんかがモテんだ?」
「女子なんて結局、顔しか見てねぇんじゃん」
どふっ、と太股に衝撃がきて、よろめく。
「こんな根暗のどこがいいんだよな」
「ホントだよ、いっつも下向いて猫背で。今だってなんも言わねぇし」
色んな声が僕を罵るのを、黙って聞き流す。
耐えて、耐えて、ひたすら耐えてさえいれば、その内飽きてくれる。
いつもそうだ。
散々罵って、好きなだけ殴って蹴って。
何も言わずに反撃もしない僕を嗤って、去っていく。
----いつも、そうだった。
「ちょっとさー、マジつまんねぇから、ちょっと面白いことしねぇ?」
「なんだよ、面白いことって」
いつもと違うセリフ。
ハッとして顔をあげたら、ニヤリ、と残虐な顔で笑われる。
「いいな、その顔。そういう顔、見たかったんだよ」
悪意に歪んだ唇が、嗤いながらそう紡ぐ。
「まずは金な。オレら全員で遊ぶ金」
「ぉ、金なんて……持ってない」
「家に帰りゃあるだろ」
「持ってな」
「親の金でもなんでもいいんだっつの。オレ達が遊べりゃそれでいいんだから」
ついてってやるよ、家まで。
嗤ったままの唇。
馴れ馴れしく肩を抱いてくる腕。
肩を掴む手のひらには、痛いほど力がこもっている。
「家、どこだよ」
「っ……」
「行くぞ」
有無を言わさずに引きずられて、嫌々ながらも駅へ向かうしかない。
どう考えても友達同士には見えない僕達に、誰もが目を反らして----だけど、興味津々の視線だけが追いかけてくる。
でも別に、助けてくれる訳でもない。
ただただ、興味だけがつきまとう。
ぐっと鞄を持つ手に力を入れて、歯を食いしばる。
逃げ出したい。今すぐ。
ここから、今すぐ。
逃げ出したい。
だけど、がっちりと肩に回されたままの腕には、逃げることを許さない力が、込められていて。
『ぜったいのやくそく』
そう笑ってくれた彰ちゃんも、今はここにはいない。
負けずに立ち上がる小さな背中を思い出して、なんとか逃げ出す隙を窺うけれど。
結局、逃げたところで明日も学校はあるのだから、意味はないのだと思い付いた絶望。
(……しょうちゃん……)
心の中で笑う、彰ちゃんの元気な笑顔だけを拠り所に、体を固くするしかなかった。
無理やり家の前まで連れてこられて、あるだけ持ってこいと、背中を強く突き飛ばされた。
よろめきながら家の門をくぐって、震える手で鍵を取り出す。
幸か不幸か、母親は仕事のはずで、早くても19時を過ぎなければ帰ってこない。
何かあった時のためにと、幾らかのお金を置いてから仕事へ出掛けるのは、昔からだ。----とはいえ、過去に使ったことも滅多になかったのだけれど。
ごく、と。渇いた喉に無理やり唾を飲み込んでも、喉の奥は干からびたまま。
自宅の鍵すら上手く開けられないほど動揺しているくせに、頭の中は、お金を持ち出すための言い訳を考えるのにフル回転している。
「…………----タケル?」
鍵が、ようやく開いた手応えと、その声が聞こえたのは、ほぼ同時だった。
ハッと顔を上げたら。隣の家から出てきた----彰ちゃんが。
門の向こうにいるアイツらと、僕とを怪訝な顔で見比べていて。
見られた、と。後ろめたくなって、目を反らす。
「どうしたんだ? アイツら、何?」
「ぁ……」
怒っているような、心配しているような複雑な色の目。
何も言えずにオロオロしていたら、
「トモダチだよなぁ」
嘲笑うような下品な大声が、僕に追い打ちをかける。
「…………トモダチ?」
あんなのが? と言いたげな彰ちゃんに目を逸らしたまま頷いて見せたら、そそくさと扉を開けて家の中へ。
(……どうして……)
絶対見られたくなかったのにと、情けなく目尻に滲んだ雫を拭って、唇を噛む。
そろそろと震える息を吐き出して、ごそごそと靴を脱いでいたら、滅多に鳴らない家の電話が鳴り響いて。
びくりと飛び上がって、煩く鳴る心臓を服の上から押さえつけて、受話器を上げる。
「もしもし」
『----タケル』
こちらが名乗る前に聞こえてきたのは、彰ちゃんの声だった。
「しょ、うちゃ……ん」
『……お前な、高校生にもなって、ちゃん付けすんな』
「ごめ」
『……タケル』
「うん?」
何、と。震えの治まった声で先を促したら
『----困ってるなら、言え』
「----っ」
直球のセリフに、返す言葉が詰まる。
『高校入ってから、タケルのこと、もう全然分かんねぇから……アイツらがホントにトモダチかどうかもオレには分かんねぇけど。……でも、タケル。助けが要るなら、助けてって、言え』
「しょ、うちゃ」
『言ったろ。絶対の約束だって』
「ぁ……」
どうして。
こんなにも、いつも。
君は、いつも。
僕に気付いて、助けてくれるんだろう。
『タケル』
優しい声が、耳元。
「っ、しょうちゃ」
涙、が。
零れた時だ。
インターホンが連打されて。
「まだかよ、早くしろよマジで」
「いつまで待たせんだよ」
下品な声が聞こえて、唇を噛む。
いつまで経っても、僕は。
どうして、こんなにも。
弱くて惨めで情けないんだろう。
『----タケル』
「……」
『助けてって、言え』
「っ……」
『言えよ、早く』
「っ、でも」
『でもじゃねぇよ』
「だって」
『だって?』
「……いつもいつも……格好悪くて、嫌になる」
『……』
「僕は、いつも……なんで、こんなに……」
格好悪いんだろうと。
愚痴めいた呟きと、涙が勝手に溢れて。
『……タケル』
「……」
『誰か助けてって、言ったら、助けるから。頼むから、言ってくれよ。----一緒に、あんなやつら、ぶっ飛ばすぞ』
「………………いっしょ、に?」
『一緒に』
力強く笑う声。
目に浮かぶのは、あの日の幼い笑顔だ。
『言えよ、タケル』
「…………----しょうちゃん、助けて」
『--------任せとけ』
かちゃん、と切れた電話。
そっと受話器を置いて、涙を拭う。
小さな背中が、僕の前。
振り向いて、笑う。
『いこう、タケル。オレが、いっしょに、たたかってやる』
幼くて力強い笑顔。
励まされて、頷いた。
「----うん」
*****
家を出たら、もう彰ちゃんはアイツらに飛びかかっていて。僕も慌ててそこへ突撃する。
喧嘩慣れしてない僕は、能なく突っ込んでいくしかないけれど。
いつの間にか強くなったらしい彰ちゃんは、柔道みたいな投げ技で、アイツらを次々にぶん投げていく。
「おら次ィ!」
「ン、だよコイツ」
乱取り稽古みたいな気軽さで、だけど絶対的に強い彰ちゃんは、僕なんかに目もくれずに、本当にアイツら全員を、投げ飛ばした。
「しょうちゃ」
「ちゃん付けすんなって!」
ほいっ、と。最後の一人を背負い投げたら、彰ちゃんは、アイツらに向かって----きれいに、笑った。
「次、コイツに手ぇ出してみろ。-----容赦しねぇからな」
綺麗な綺麗な、笑顔。
よく見れば、僕よりも10センチくらい背の低い彰ちゃんの背中は。
だけど、あの頃よりも、大きくて逞しい。
投げ飛ばされたアイツらは、口の中でもごもご文句を言いながら、助け合ってすごすごと帰っていく。
その後ろ姿を最後まで見送らずに、こっちを振り向いた彰ちゃんは、つかつかと僕に歩み寄ってきて。
「しょうちゃん?」
「--------これは、おしおきな」
「へ? ----ッ」
パン、と。
軽くない衝撃が、左の頬。
平手打ちされたのだと理解したのは、彰ちゃんが目の前で、怒った顔で笑ってから。
「ちゃんと約束したろ。助けてって言ったら、助けてやるって」
「ぁ……」
「なんでもっと、早く言わねぇんだ」
「だっ……て……」
「だってじゃねぇ。小中とも、オレにも----誰にも、言わなかったろ」
「っ、……知っ、て……」
当たり前だ、と。
怒った顔が、泣きそうに歪む。
「……オレが、頼りなくても、ちゃんと誰かに……誰か助けてって、……お前が言えば。ちゃんと、みんな、手ぇ借してくれるはずなのに。なんで全部、自分で抱え込むんだよ」
「しょ、ぅ」
「ちゃん付けんなよ」
素早く遮った彰ちゃんが、オレを軽く睨む。
「--------強く、……なっただろうが」
「ぇ?」
彰ちゃんが。
目を逸らして、ぶっきらぼうに呟く。
「……昔は、……お前と一緒に転がされるしかなかったけど……。強く、なっただろうが、オレは」
「…………うん……。……うん、凄かった。彰ちゃ……」
「お前な。高校生になってまで、ちゃん付けとか、ホントに恥ずかしいやつだな」
「……ごめん」
「……まぁいいけど。ホント、背ばっかデカくなりやがって。オレよりデカイとか、ホントありえねぇ」
「ぇ……ごめ」
「謝んなっつーの」
苦笑いが、近付いてきて。
あの時の面影をありありと残す、笑顔が。
「----------------っぇ?」
僕の、唇を塞いだ。
「しょ、う……ちゃ、ん?」
「----しょうって、呼べ」
「……」
「あのな。オレな……。ホントに……お前のこと、ちゃんと守ってやりてぇなって……小学校入ってから、柔道始めて。いつでも……お前のこと、助けてやれるようにって……思ってたのに、お前。ホントに、隠すの下手なくせに、全部抱え込みやがって」
「ぇ…………ぁ……ぇ?」
「あのな! 知ってたからな、ずっと! お前のこと、ずっと見てたんだからな!」
「ぁ……」
「頼れ。オレのこと、もっと。助けるから。……一緒に、絶対、隣で……助けるから。もう二度と、こんなことになるな」
「しょ、うちゃ」
「彰って、呼べ」
「……----彰」
泣きそうな顔が、ぎこちなく笑う。
アイツらに頼もしく向かっていった背中と、同一人物とは思えないくらいに震えた指先が、僕の左の頬にそっと触れる。
「痛かったか?」
赤くなってる、と。
呟いて目を伏せる----彰に。
「ううん。平気だよ。彰」
「----っ」
笑って見せる。
顔を上げた彰に、大丈夫だよと頷いて。
「ありがと。助けてくれて」
「タケル」
「今までも、ずっと。ありがと」
「--------おう」
ニカッと。
あの頃と同じ顔で笑う彰の。
僕の左頬に添えられたままの指先に。
触れて、笑った。
「僕も、彰のこと、----好きだ」
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