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side-S
初めてタケルと出会ったのは、夏の暑い日のこと。
引っ越しの挨拶に来たタケルは、最初、おばさんの後ろに隠れていた。かく言うオレも、一番近い部屋の入り口から、こっそり玄関を覗いていた。
そんなオレに気づいたおばさんが、不意に嬉しそうな声を出して笑った。
「あら、僕、いくつ?」
「…………よんさい」
「本当? じゃあうちの健と同い年ね」
華やいだ笑顔を浮かべたおばさんは、自分の後ろにいたらしいタケルの腕をぐいと引いて、嫌がるタケルを自分の隣に立たせた。
----あの時の。
驚きは今も、忘れていない。
今にも泣き出しそうに歪んだ顔。
陽の光に照らされて光る、綺麗な髪。
お人形さんみたいだと思った。
「……健?」
ほら、ご挨拶は?
そうやって優しく促されても、嫌々と首を振ったタケルは、オレから隠れるように、またおばさんの後ろへ隠れてしまう。
「彰太、こっちにいらっしゃい」
母親に呼ばれて玄関へ走ったら、玄関に出しっぱなしになっていた父親のつっかけに足を突っ込んで、タケルの元へ。
「----っ」
怯えた目に、にかっと笑いかける。
「オレ、しょうた!」
「ぁ……っ……ぇ……と」
「タケル?」
「……うん」
こくん、と頷いたタケルに、もう一度にかっと笑う。
「いっしょにあそぼう!」
「ぇ? ----わっ」
ぐぃ、と腕を引いた。
あの時の、驚いた顔。
「こら、彰太! 乱暴にしないの!」
「いえ、いいんですよ。健、良かったわね」
親同士が交わす言葉を、最後まで聞きもせずに、自分の部屋にタケルを引っ張り込む。
あれはそう、一目惚れみたいなものだったんだと、思う。
部屋にタケルを連れ込んだら、ありったけのオモチャを引っ繰り返して。
「あそぼう、タケル!!」
戸惑うタケルに、一番お気に入りの怪獣を持たせて笑ったら。
うん、と頷いてくれた、あの笑顔。
嬉しくて嬉しくて嬉しくて。
きゃあきゃあ言って遊んで、その日は結局、2人の母親に怒られて宥め賺されるまで遊んだ。
同じ幼稚園に通うのだと分かったオレは、その場でタケルに抱きついたくらいだ。
だけど、事件は起きた。
タケルの見た目と、「シセージ」だなんていう、どうせ意味も分かってないような言葉と、親の陰口に操られて、タケルを苛めるやつがいた。
近所のガキ大将気取りの、マサヤだ。
先生達の目につかないところで、押されたり頭を小突かれたりするタケル。
見つけた瞬間、迷うことなく割って入って、格好良く助けるはずだったのに。
オレは情けなくも、タケルと一緒に転がされるしかなくて。
「タケル、大丈夫か」
必死で痛くないフリをして立ち上がって、まだ転んだままのタケルに手を貸す。
「----うん」
あの、時の。
笑顔はなんていうか。
こんな言い方は恥ずかしいんだけど。
天使、みたいだと。
思うほどに綺麗で、可愛くて。
この笑顔を、絶対に守りたいと、強く心に思った。
だから、何度転んでも立ち上がって、何度でも立ち向かった。
「いいか、タケル。こまったことがあったら、ちゃんと、たすけてって、いえ」
「……」
「そしたらぜったい、オレがたすけてやる」
「…………ぜったい?」
「--------ぜったい」
不安そうな目に、小指を突き出して笑ってみせる。
「ゆびきりしよう。ぜったいのやくそく」
マサヤが、オレ達を転がすのに飽きて、子分を引き連れてどこかに行った後で、オレはタケルに「絶対の約束」を取り付けた。
オレが、タケルの傍にいる限り、絶対に守ってやると、そう胸に誓って取り付けた約束だったのに。
(…………あれ?)
小学校に上がって、気づいてしまった。
(タケル……)
いつも、独り。
ぽつん、といることに。
違うクラスだったから、気づくのが遅くなった。
(ぜったいのやくそくって、いったのに)
タケルは、オレを頼ってはくれなかった。
悔しくて悔しくて----哀しくて。
(オレがよわいからだ)
一人、布団の中でメソメソ泣いた後に辿り着いた結論は、「強くなる」なんていう単純で----だけど一途で純粋な想いだった。
「おかあさんおかあさんおかあさん!!」
「なぁに、彰太。どうしたの」
「オレ、つよくなる!!」
「--------へ?」
首を傾げる母親に、とにかく強くなりたいんだと駄々を捏ねていたら、昔から柔道の漫画を読んで育って憧れを抱いていたという父親が、それならと、ウキウキしながら柔道の道場を探してきてくれた。
母親も特に渋い顔もせずに、オレは道場に通うことになった。
入った頃は弱くて仕方なかったオレも、練習を重ねる内に、少しずつ強くなれた。
----なのに、タケルは全然、オレを頼ってくれない。
顔を合わせるたびに、大丈夫かと聞いているのに。
タケルは、天使みたいに可愛く綺麗に笑うだけで。
もっとだ。もっと強くならなきゃいけないんだと、涙を堪えて練習した。
中学に上がって、柔道部に入って試合で勝って全校集会で表彰状をもらえば良いんだ、と気づいて、がむしゃらに頑張ったのに。
先輩が多くてぬるい部活では、市の大会ですら、勝ち進めずに。
(オレ1人なら勝てるのに)
歯噛みして布団に八つ当たりして、やけくそみたいに道場で練習を重ねた。
そしたら、なんでだか柔道部で有名な高校からお呼びがかかって。大して勉強もせずに高校に入れることになってしまった。
深く考えずに、ラッキー、とか思ってたら。
しっぺ返しが、きた。
「そうなんだ。じゃあ、僕としょうちゃん、別々の学校になっちゃうんだね」
「…………ぇ?」
哀しげに呟いたタケルの一言で、我に返った。
なんで柔道を始めたって、タケルに頼って欲しくて----タケルを守りたくて始めたはずなのに。
違う学校だなんて。
(バカか、オレは)
小学校の頃から、全く成長してないオレは、また布団を被って泣いた。
絶対の約束は、結局、オレの自己満足だったのかもしれない。
哀しくて哀しくて----情けなくて。
だけどオレにはもう、柔道しか残ってないからと、すごすご高校に通って。抜け殻みたいに授業を受けて、水を得た魚みたいに部活に出る日々が続いた頃。
たまたま道場から後輩の指導に来てくれと都合良く呼び出されて、部活には出ずに早々と帰宅した日のこと。
そろそろ道場に向かおうと家を出たときに、今にも死にそうなくらい青い顔したタケルを見つけて。
「タケル?」
後先考えずに声をかけたら、タケルはオレを見つけて、しまった、という顔をした。
「どうしたんだ? アイツら、何?」
随分とガラの悪そうな連中が、門のところでたむろしていて。
悪い予感しか、しなかったのに。
タケルは、オレをまともに見もせずに、家の中に入ってしまった。
「--------ンだよ!」
くそっ、と。吐き捨てて、出てきたばかりの家の中に戻る。
滅多に使わない家の固定電話から、タケルの家に電話したら。
『しょ、うちゃ……ん』
震えた声。
苛立ちなんて、どこかへ消え去って。
こみ上げてきたのは、あの日の約束だ。
「言ったろ。絶対の約束だって」
祈るように----届くように。
オレが、いつでも。
傍で助けたいと思っているのだと。
伝わるように。
「誰か助けてって、言ったら、助けるから。頼むから、言ってくれよ」
呻くみたいに囁いたら。
『…………----しょうちゃん、助けて』
「--------任せとけ」
にかっと笑って頷いたオレに。
あの日の天使が、笑ってくれた。
*****
「あの後、アイツらどうしてる?」
「……うん。もう何もしてこないよ」
「……ホントだな?」
「ホントだって」
ようやく薄くなってきた痣の痕を、悔しい思いでそっと撫でながら聞いたら。
あの頃よりも大人びたタケルが、くすぐったそうに----幸せそうに笑ってくれる。
心配性だね。
ふふ、と。笑うタケルに、仕方ねぇじゃんと、ふて腐れて呟きながら、華奢な体を腕の中に抱き寄せる。
「大事なんだよ、お前のこと」
「……しょうちゃん……」
「----だから、それ、なんとかなんねぇ?」
苦笑いで呟いたら、眉を八の字にしたタケルが、照れくさそうに笑う。
「癖なんだもん。ついポロッと出ちゃうんだよ」
「ったく……」
柔らかくて細い髪を無意識に弄びながら。
「なぁ……」
「ん?」
「これからもさ」
「うん?」
「守らせてくれるだろ?」
「ぇ?」
「オレに、お前のこと。守らせてくれるよな?」
「----うん。……うん。でも、しょうちゃ……しょう」
律儀に言い直す微笑ましさに、頬が緩む。
「ん?」
「僕も……しょうが、困ってたら、助けたいって、思ってるから」
「たける……」
「忘れないでね」
あの日の、光を浴びた髪みたいに、キラキラと。輝く、笑顔。
----幸せを噛みしめて、笑い返した。
「----あぁ、ありがとう」
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