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花曇りの午後 Ⅰ

白鳥とかいうその人は、遠い親戚らしい。余りにも遠すぎてその筋が自分とどこで繋がっているのか全く分からないほどである。荷物一式、とはいっても紅夜(コウヤ)の荷物は一つの鞄に全て収まっている。都心から少し離れた海に近い小高い丘の上に建っているこじんまりした真っ白いホテル。そこが遠い親戚の住んでいる、「ホテルプラチナ」だという。紅夜はそれを下から見上げていた。何だかんだ親戚をたらい回しにされて、今度は名前も知らないような親戚かどうかも怪しいところに追いやられている。今度はいつまでここにいられるのだろうか。 エントランスを通って、ホテルの自動扉を潜る。中も眩しいほどに白い。紅夜は荷物を引っ張りながら、誰もいないホテルの中に入る。中は異様にがらんとしていて、人気は無い。ホテルといってもここはアパートみたいなもので、何人かが一緒に共同生活を送っているらしかった。紅夜は吹き抜けになったロビーで、きょろきょろしていた。それもそれ、昨日東京に着いたばかりなのに、空港には白鳥とかいうその人も、勿論代理人もいなかったのだ。手紙を頼りにここまでやって来たのは良いが、肝心の人間が全くいない。 (・・・俺、騙されてんちゃうやろか・・・) ここまで来て流石にそれはないだろうが、いつも厄介扱いされている紅夜にしてみれば、そうだったとしても可笑しくない。もうとっくに天涯孤独だ。そこまで考えて、有りそうで無さそうな妄想に青くなっていると、エントランス近くで車のエンジン音が聞こえた。どうやら前に止まっているらしい。紅夜は一旦荷物をそこに置いたまま、自動ドアを通り抜け外に出た。 (・・・え?) そこには高そうな黒塗りの車が一台止まっていた。紅夜は何となく、側の柱の裏に隠れた。そろり後ろから覗くと、車の扉が音も無く開き、そこから一人、すらりとした男が出てきた。少し赤みのかかった髪が風にふわふわと揺れている。桜色の唇に笑みを湛えたまま、運転席の女性に声を掛け、扉はまた音も無く閉まって、男をそこに残したまま、去っていった。紅夜はぽかんとしてその状況を見ていた。全く、モデルやっていますとでも言いたげなこの男が、「プラチナ」に何の用だろうか。 (もしかして・・・この人が白鳥のおじさま・・・?) 紅夜の頭の中はもう整理がつかなくなっている。すると不意に男は振り返って、サングラスを外した。そうして紅夜と目を合わせると、にこりと微笑んだのだ。紅夜は一連のことでぼんやりしており、自分が隠れていたことも半ば忘れていた。男はすたすたと近寄ってきて、紅夜に顔を近づけた。 「・・・な・・・なん・・・」 「ふーん・・・ナツも良い趣味してる」 「・・・え、は・・・?」 「紅夜くん、だよね?」 「・・・白鳥のおじさま・・・?」 内心びくびくだったが、男はそれを聞くと一気に笑い出した。名前を知っているのは多分、遠い親戚のその人ではと思ったが、どうもこの反応では違うらしい。 「・・・お・・・おじさま!」 「・・・えっと・・・」 「ナツってば、そんな呼び方させてんの!変態だ、変態だと思ってたけどそこまでとは・・・」 「・・・白鳥のおじさまやないんですか?」 「うん、そう。俺は上月一禾(コウヅキイチカ)。ここの住人だよ、宜しく」 「・・・こうづきさん・・・」 「一禾で良いよ、さ、入って」 一禾は紅夜の背中を押し、紅夜は「プラチナ」の中に舞い戻った。しかし、やはり人の気配は無くがらんとしている。ただロビーの中央に紅夜の荷物がぽつんと置いてあるだけである。 「誰も居ないんやないですか?」 「京義が居るはずなんだけどなぁ・・・、まぁ居てもアイツは寝ているだけだけど・・・」 「けいぎ?」 「うん。紅夜くんと一緒の学校なんじゃないかな。薄野京義(ススキノケイギ)、彼もここの住人」 「ふーん・・・」 紅夜は荷物を持ち上げて、案内の一禾の後ろをついて歩いた。「プラチナ」は三階建てだったが、ほとんど人は入っていないらしい。都合が良いから、という理由で紅夜は二階の階段に近い部屋に荷物を下ろした。中は結構な広さだった。紅夜が物珍しそうに部屋の中を歩き回っている間、紅夜の部屋から見れば大階段を挟んだ向いにある部屋の扉を一禾はノックしていた。そこは京義の部屋だった。一禾の憶測では彼はここでまだ眠っているはずだ。 「京義ー、京義ー。ホラ起きなさい。入るよ」 部屋の中からは返答は無い。一禾は仕方なく扉を開けた。用心、などを考えない京義は鍵などを掛けたことは無いのではないだろうか。扉はあっさりと開いた。その頃には紅夜も自分の部屋から出てきて、一禾の後ろから中の様子を見ていた。部屋の中は紅夜の部屋とあんまり変わらないつくりをしていた。ただ、ここに住んでいるとは思えないほどに、京義の部屋には何も無く、ただ銀色のベッドが奥に設置されているだけだった。 「京義」 一禾がベッドの中のふくらみを揺すって声を掛ける。すると布団をぱっと捲って、京義がそこから顔を出した。脱色された髪は白に近い灰色をしていて、派手にピアス。 (・・・うわ) でもその顔のつくりは驚くほど精巧だった。紅夜は思わず一禾を見上げた。一禾も勿論美しい様相だが、京義もそうだった。一体ここはどうなっているのだろう。京義は眠そうに欠伸をするとベッドから降りた。思わず紅夜は後退する。一禾と一緒とはいえ、これでは立派に不法侵入だ。 「・・・誰」 「こちら、相原紅夜くん。昨日ナツが話してたでしょ」 「・・・知らない」 「どうせ寝てたんでしょ・・・。まぁ兎も角、今日からウチに引っ越してきたんだよ、ね?」 「あ、はい。相原です」 「・・・ふーん・・・俺、京義」 どうも人当たりの良い一禾に比べると、京義の挨拶は酷く無愛想なものだった。ただそれだけ義務のように漏らすと、欠伸をして、ベッドの中に戻ってしまった。一禾が声を掛ける頃には、もう規則正しい寝息が聞こえてくる。何も無い部屋の中、おかしいとは思ったが、どうやら彼は寝てさえ居れば良いみたいだ。 「・・・あーぁ、寝ちゃった」 「一人で住んではるんですか?」 「あぁ、そう。京義は16だけど一人でここにね。どうもウチは問題児ばっかりでさ」 京義をそのままにして、一禾と紅夜は外に出た。それを言われると、紅夜も首を傾げるわけにはいかない。自分だって充分問題を抱えてここまでやって来た。もしかしたら涼しい顔をしているこの男も何かあるのか、そう思って見上げた一禾の顔には変わらず微笑が湛えてあるだけだった。

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