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不幸になるよ Ⅱ

窓の外は暑くて、中は冷たい。ひやりとする鉄の感触は、机の脚。前から4つ目の席で眠る嵐は、教師の話を聞いていない。シャーペンをくるりと回して、紅夜は考える振りをした。ノートは数式の列で黒い。つまらない数学の授業はもうすぐ終わりそうだ。 「じゃぁ。これが分かるひと」 「・・・」 「・・・」 教師が黒板に書いた数式を前に、生徒の反応はいつもこんなものだ。ひとり生徒が立たされ、分かりませんと彼は乾いた声で答える。紅夜は数式を頭の中で組み立てて、崩していく。何だ、たいしたことはない。さっき座った彼だって、きっと分かっていたに違いない。紅夜は窓の外に目を向けた。側に生えている木のせいで視界は余り良くないが、そこからグランドが見える。 「・・・相原!」 「!」 「相原!聞いているのか」 「あ、はい!」 「分かるか」 「はい」 教師が呼ぶので仕方なく、紅夜は黒板の側までやって来て白いチョークを掴んだ。分からないと言えば良かった。数式の続きを書く、かつかつとチョークが黒板に当たる音だけが、静かすぎる教室に響き渡っている。紅夜はひとしきり書き終えるとチョークを戻して、パンパンと手を払った。教師の顔は見ないでそのまま、紅夜は自分の机のある場所まで戻って、出来るだけ音を立てずに椅子を引いてそこに座った。 「正解。良いか、分からなかった奴は良く見ておくように、今から解説するから」 「・・・」 紅夜はシャーペンをくるりと回して、自分の書いた式をノートに写しはじめた。どうしてあんなにチョークというやつは扱いが難しいのに、未だ教師はあんなもので黒板に字なんて書いているのだろう。紅夜は握ったせいで白くなった指先を擦った。 「じゃあ、今日はここまで」 チャイムが鳴って、教師は壇上を降りていく。紅夜はふうと溜め息をついた。周りは徐々に煩くなり、活気を取り戻してくる。紅夜は伸びをして、生物の教科書とノートを机の中から引っ張り出した。次は移動教室だった。見れば嵐はまだ眠っている。仕方ない。紅夜は生物のノートで眠っている嵐の頭を軽く叩いた。その時不意に、嫌な感じがした。ざわり、と背中に嫌な予感が走った。 「・・・あてて・・・」 「・・・?」 「あぁ、紅夜か。何だよ、もうちょっと優しく起こせっつーの」 「・・・」 「・・・え、オイ」 「・・・」 「紅夜・・・?」 「あ・・・、あ、御免・・・」 「なに、どうした。誰かいた?」 「ううん。ちゃうねん、何か、見られてたような気がして・・・」 「見られ?」 「・・・いや・・・」 「何だ、お前。それって自意識過剰って言うんだぜ」 「・・・!」 「あー、ヤダヤダ。これだから紅夜くんは」 「な、・・・ちゃう、ちゃうもん!」 「へーへー、そうですかい」 嵐はへらへら笑って、机の中から生物の教科書を引っ張り出した。紅夜はもう一度、教室の後ろの扉を見やった。そこには誰も立っていない。隣の生徒がふいに横切って、後は廊下と窓が見えるだけ。気がしただけで、実体はない。気のせいだったのかもしれない。 「紅夜ー」 「あ、うん」 否定したいが、そうなのかもしれないなんて少し思っている。嵐の後を追って、紅夜は教室から出た。もうクラスに生徒は残っていない。生物実験室は隣の塔だったので、そんなに急がなくても時間はあった。廊下には生徒がちらほら居て、扉は冷房の効き目を逃さないようにきちりと閉められている。 「廊下はあっちぃなー」 「せやね。流石に廊下までは冷房入れてくれへんもん」 「畜生ー、サッカーゴール新しくしている暇あったら空調何とかしろよー・・・」 「サッカー部の子に怒られんで」 「相原!」 嵐はネクタイを緩めて、ボタンを外してシャツをばさばさとさせて風を起こしているが、そんなものでは涼しくなったりしない。紅夜は上まできちんと閉めたネクタイを緩めることはしないで、それを見ていた。嵐の理不尽な言い分に笑っていると、ふいに後ろからそう紅夜の名前を呼ぶ声が聞こえた。紅夜は何の疑問も持たずに振り返って、嵐も一拍遅れて振り返った。 「・・・有紀(ユキ)ちゃん」 「瀬戸(セト)?」 「相原、ちょっといい?」 「あ、いやぁ・・・俺これから移動であんま時間ないんやけど・・・」 「なに、良いでしょ」 「よかねぇよ。行くぞ、紅夜」 「あぁ、ちょっと待ちぃや、嵐!」 「お前もこんなのに構ってやることねーって」 「こんなのって何さ、君こそ相原に悪影響なんだよ!学校の問題児が!」 「うるせェ!ホモ野郎!」 「ホモじゃないし!」 「ホモだし!」 紅夜はふたりの間に挟まれて、苦笑いを浮かべるしか術がなかった。瀬戸有紀というのは、紅夜と嵐の隣のBクラスの生徒で、クラス委員だった。紅夜は有紀とそんなに面識は無いのだが、嵐は有紀と同じ中学だったらしい。そのせいもあってか、有紀とはクラスが違うのに、時々こんな風にして喋ることがあった。 「引っ込んでろ、オカマ野郎!」 「オカマじゃないし!」 「オカマだし!」

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