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第9話
温かくて、気持ちいい。
離したくない。
ずっとくっついていたい。
夢の中で俺は、どこか懐かしいその温もりに永遠に触れていたくて、自らの腕に力を込める。
「慎司…」
だけど、夢だとばかり思っている俺の耳元で、吐息がかかる程リアルな心地いい声が呼びかけてきて、俺はゆっくりと目を開いた。
「ごめん、寝しぇでおいでけんべ ど思ったんだんだげんと、そろそろおら、うず に戻らんなねから」
裸のまま俺がしがみついていたのは、幼い頃から大好きで、ずっと恋焦がれてきた兄誠の、程よく筋肉のついた逞しい身体。
(夢じゃなかったんだ)
俺の顔を覗きこみ、頭を撫でながら謝ってくる兄を見つめ、俺は、好きな人と初めての朝を迎えられる幸福に酔いしれる。
「一緒さ帰れねぐでごめんねあんにゃ、往復大変だよね。おら、ほんてん バスで実家行げっから…」
言いかけた言葉をキスで塞がれ、このまま3回目が始まるんじゃないかと思うほど濃厚に舌を絡められたけど、兄は離れ難いようにしながらも、俺の唇をゆっくりと解放した。
「あんにゃじゃなぐで、二人の時は誠!」
「そうだった、ごめん誠、中々言い慣れねぐで…」
「あーぐそ!もっとわらわら 起ぎれば良いっけ !」
突然大きな声で後悔を口にする誠に、理由がわからずキョトンとしていると、誠は俺の頬を優しく摩りながら言ってくる。
「朝、もう一回すたがった」
その言葉にギュンときて、いいよと言いかけたけど、誠は自らを律するように、ベッドから出て行ってしまう。
「シャワー浴びでくるな」
「うん」
誠はまるで烏の行水のように、あっという間にシャワールームから出てきて、俺は誠の、大柄でガッチリとした肉体に見惚れた。
思えば確かに、父も母も、祖父母も親戚も、ほぼ全員が小柄な松原家の中で、誠だけ一人、誰にも似てはいなかった。
誠の本当の両親がどんな人間だったのかなんて、今更知るすべもないけれど、その見ず知らずの人達にすら俺は感謝したくなる、誠を産んでくれてありがとうと。
そして、その誠を松原家に迎え、実の兄弟として育ててくれた父と母にも…
「どうすた?」
と、服を着終えた誠が、ベッドに座ったまま物思いに耽っていた俺の近くに来て腰を下ろす。
「うん、やっぱり誠はカッコいいなあど思って見惚れでだ」
それも本当の事。でも誠は、なんか他にもあるだろうと言ってきた。
「おめがほだな顔すてる時って、大体ろぐな事考えでねんだがら」
「え?」
「笑ってでも、まなぐ が寂すそうなんだよ、家出する前もよぐほだな顔すてだ…。
これがらはさ、慎司思ってる本音全部言って大丈夫だがら、今慎司考えでだごどちゃんと教えで?」
俺が隠せていると思っていた事なんて、全てお見通しだったのだと、誠と再会してから痛いほど感じている。だから俺は、少し躊躇しながらも、さっきふと浮かんでしまった本音を口にした。
「誠、うぢにきてぐれで良いっけなって
それがら…おっちゃん ごしゃいでる がな、おらだのごど って、ちょっとだげ思ったっけ 」
すると誠は、俺の頭を撫でながら意外な事を言う。
「ああ、でも納得はすてるんでねがな」
「え?なんで?」
「おら、親父さ遺産や、亡ぐなった後のごど託されだ時、言ったっけんだよね 。慎司のごどがずっと好ぎだったって」
「…」
誠の言ってることを理解するのに時間がかかり、俺は束の間、誠の顔を食い入るように見つめていた。
「えー?!」
ようやく心と反応が結びつき、驚愕の声をあげる俺を尻目に、誠は至って普通に語り始める。
「実家さ来だらゆっくり話すべど思ってだんだんだげんと、実は親父亡ぐなる前さ言われだんだ。
慎司は今は稼いでるがもすれねんだげんと、芸能界なんて水物だす、今後どうなるがわがんねがら、土地の3分の1は慎司の持分にすて、おめと共有財産にすてもいいがって」
想像だにしていなかった父の話しに、俺は再び衝撃を受けた。
「共有財産にするのはトラブルの元だがら、本来はやめだ方がいいらすい。
当時のおらはまだ真理ど結婚すてだがら、例えばおらが亡ぐなったら、相続は真里ど真由にになるわげだんだげんと、その二人ど慎司の意見一致すねど互いに自由さ土地使うごどがでぎねぐなって後々不便になるどが、親父も遺言書ぐ時弁護士さんにアドバイスもらって、おらにも色々話すてぐれで
その時さ、慎司東京さ住めねぐなって戻ってぎだら、あいづの事も気にかげでけでぐれねがっ て言われで」
俺に、二度と家に戻ってくるなと言っていた父が、まさかそんな風に俺を気にかけてくれていたなんて…
「慎司は今後家庭たがぐ ごどもでぎねだろうし、年どってがら、伴侶も子どももいねでいうのは孤独なものだがらって、親父は考えでだみだいだ。
自分はあいづ受げ入れでけれねえっけんだげんと 、おめは、もす慎司戻ってぎだら、兄弟どすて、家族どすて、あいづ受げ入れでけでぐれって 」
泣きそうなほど心が震え、動揺している俺と違い、誠はごく当たり前のことのように話している。おそらく誠にとって、父のその言葉は意外でもなんでもなかったのだろう。
父と和解することなく二度と会えなくなってしまった俺と、最期まで側で支えてきた誠の、父に対する認識は全く違う。誠は最初からずっと、不器用で表面からは見えにくい、父の家族に対する深い愛情を知っていたのだ。
でも俺は、死んでも父は、俺を拒絶し続けるだろうと思っていたから、自分の死を悟り遺言を書く時、俺の事を心配し兄に託そうとしてくれた事が、嬉しくてたまらない。
「もぢろん、ほだなこど言われねぐでも当だり前だって親父さ言ったら、本当が?って聞がれだんだ。おめは弟、へな みだいな姿でTVに出るようになって、職場で嫌な思いすたごどはねえっけが?って。もす慎司があの姿で戻ってぎだら、あそこの弟はおがすいど、おめだづまで色々噂されだり中傷されるごどもあるがもすれねが、それでも受げ入れる覚悟はあるのが?って」
父が俺だけでなく、受け入れた後の兄を心配するのは当然だ。
ご近所の目、噂、誹謗中傷。俺の事を誠に託そうと決めながらも、父は自分が亡き後の家族を守るにはどうするのが正しいのか、思い悩んでいたのだろう。
「それでおら、言ったっけんだよね。
へな みだいな姿すてる慎司がおがすいごんだら、おらも異常だすおがすいよって
おらは小せえ頃がら、男どが女とが関係なぐ、慎司のごど好ぎだったんだって」
誠のその、自分に嘘をつけない、真っ直ぐで、正直で、人に対して誠実なところが大好きだ。
だけど死の直前、ちゃんと大学を卒業し、女性と結婚し、いわゆる普通の真っ当な男に育ったと思っていた誠に、そんな告白された父の事を思うと、少し申し訳ない気持ちになってしまう。
「それで、おっちゃんなんて?」
恐る恐る尋ねる俺に、誠は応える。
「そうがって」
「それだげ?」
「おめは真理さんと結婚すてるんだがら、それは墓場までたがいでいげよ って言われだ。んだげんと、おめと実際再会すたら、墓場にたがいでいげねぐなったっけよ 」
俺の目を真っ直ぐ見つめそう言ってくる誠に、俺は何も言えなくなった。
誠にとって、父がどれだけ大きな存在なのか、そんな父との約束が、どれだけ大切なものなのか俺は知っている。
それでも誠はあの時、兄弟ではなく、恋人になる道を選んでくれたのだ。
「こだな事思うのは、真理さ申す訳ねんだげんと、真理男作って出で行った事は、おらにどってよいっけんだど思ってる。
おめあの時言ったよな?家族なんだがらどうどがでね、兄貴は真理さんのごど愛すてるのがって」
誠に言われ、俺は、まだ両思いだとわかっていなかった時、居間で話していた誠との会話を思いだした。
『違う!家族なんだがらどうどがじゃなぐで、あんにゃは真理さんのごど愛すてるのがって聞いでるの』
「おらは真理のごど、愛すてだど思うんだ。
んだげんとそれは、真由さ対すての愛情ど同ずだった。自分守んべぎ家族どすて、愛すてだんだ。
でも真理欲すいっけのは、その愛じゃねえっけ。
そすておらが、真理欲する愛抱げるのはおめだげだったんだ。
おめが目の前さ現れだ時、ああ、ダメだって思ったよ。想像の中でなら、おらは親父どの約束絶対さ守れるって自信あったげんどさ
なんていうが、セックスの時も思ったんだげんと、生身の引力って凄いよな、理性では全然抗えねぐなる」
誠の言ってること、凄くわかる。俺も、同じだったから。
どんなに抗おうとしても、大好きな人を目の前にしたら、その身体に触れてしまったら、もう、自分を抑えることなどできなくなってしまう。
「わかるよ」
深く頷きそう応えると、誠は俺の身体を優しく抱き寄せた。
「んだがらおらはさ、親父はごしゃいでね ど思ってる。おらは慎司がずっと好ぎだったす、おめもずっと、おらば好ぎでいでくれだ。おらだがごうなるのは、自然な事だったんだ」
迷いなく発せられる誠の言葉が、俺の心に力を与える。
父が誠の告白を聞いた時、どんな気持ちになったのか、ショックだったのか、不快だったのか、怒りを覚えたのか、もう知る事はできない。
でも、少なくても父は、俺を好きだと言った誠を、非難したり罵倒したりはしなかった。
俺が戻ってきたら受け入れてやってくれと、兄に言っていた。その事実だけで、長い間つかえていた心の鉛が消えていくように軽くなる。
「分がったら、もう変な罪悪感抱ぐんでねぞ」
「うん、ありがとう、あん…まこと」
つい癖でまたもやあんにゃと口から出てしまいそうになるのを言い直し、俺も誠の身体に腕を回す。
「あーぐそ!もっとわらわら起ぎれば良いっけ!」
朝起きた時と全く同じ事を言う誠が子どもみたいに可愛いくて、思わず頬が緩む。
「もう、行がんな 。寒河江まで迎えに行ぐがら、変な気使わねで、必ずラインすろよ」
互いに離れ難い身体を離し、誠は寂し気にそう告げた。
「うん」
俺は、ドアまで誠を見送るためベッドから立ち上がり、旅行の時いつも持ってきているバスローブを羽織る。
「まだ後でな」
誠はもう一度だけ俺の頬に触れ口付けをすると、名残り惜しげに振り返りながら、ホテルの部屋を出て行った。
五ヶ月ぶりに乗った左沢線 の窓の外には、遠くの山と空の境目まで、緑の田圃が広がっている。前回、都会とは全く違うこの景色を観た時、俺は懐かしさを覚えながらも、どこか疎外感に似た感情も感じていた。
でも今日は、この壮大な緑が、異質な自分すら排除せず受けいれてくれているような気がするのだから、本当に全ては、自分の心次第なのだろう。
(早く会いたいなあ)
抑えようのない喜びに胸がいっぱいで、目に映る光景が全て輝いて見える。そうしているうちに、窓に映る景色が、どこまでも続く田圃から、長閑な住宅地の街並みに変わっていく。
いよいよ寒河江駅に到着し、俺は、逸る気持ちに急かされるように、足早に電車を降りた。
エスカレーターを上がり改札を出ると、すぐにラインの通知音が鳴る。
「下で待ってるぞ」
見るとやっぱり誠からのラインで、さっきまで会いたくてたまらなかったのに、いざとなると、どんな顔して合えばいいのかわからなくて緊張してくる。
でもそれは、昨日のような不安からくるものではなく、心も身体も結ばれ恋人になったからこその、幸せな戸惑い。
前回来た時と同じようにエレベーターに乗り下に降りると、開いたドアの先に、今朝別れたばかりの誠が、立って待ってくれていた。
「こ、こんにちは…」
「なんだよそれ」
思わず他人行儀な挨拶をしてしまう俺を、呆れたように笑いながらも、誠は俺のキャリーバックを手早く持ち、ほいともう片方の手を差し出してくる。
「ああ、いいよいいよ、リュックほだな重ぐねす」
「違う違う」
誠は俺の返答に首を振り、俺の手を握ってきた。
「行こう」
もしものリスクを考えたら、人前で手を繋ぐなんてやめた方がいいのに、俺はその手を振り払うことができない。
単純に、嬉しいのだ。嬉しくて、この幸せな気持ちだけを感じていたい。
「全ぐ、中々連絡来ねがら心配すたんだぞ」
「ごめん、夕方って言ってだのに、あんまりわらわら着ぎすぎですまっても迷惑がなって思って…」
「気使いすぎ、ゆっくり観光でぎだが?どご行ってぎだの?」
「七日前御殿堰どが、文翔館どが、あど、あんにゃど行った霞城公園にもまだ行ったっけ」
すると誠は、俺の手を握っていた手に、やけに強く力をこめてくる。
「あんにゃ、ちょっと痛え」
「二人でいる時は、あんにゃじゃなぐで誠」
そう言いながら、繋いでいる親指で手の甲を撫でられて、つい、昨晩散々焦らされた時の事を思いだし、身体が熱を帯びてしまう。
(やめてやめてここ往来なんだから、これから実家でいつも通り兄弟として振る舞わなきゃいけないし!気を確かに持って俺!)
「ごめん、まこと」
なんとか気持ちを落ちつかせ謝ると、誠は、そうそうそれでよすと優しく微笑む。
長年の癖は中々抜けず、ちょっと気を抜くと、すぐ無意識にあんにゃと呼んでしまうみたいだ。
「んだげんと、慎司がゆっくり観光でぎだなら良いっけ」
「うん、チェックアウトの後も荷物預がってもらえだがら、だげど、あんにゃ…誠には、往復すてもらうごどになってすまってごめんね」
「んだがら気使いすぎだって言ってるの、車で迎えに来るぐらいどうってごどねんだがら」
話しているうちに、あっとゆう間に車の前について、繋いでいた手が離される。
少しの寂しさを覚えながらも、誠に促され、俺達は車に乗り込んだ。
「実はおらさ、今朝、おめと一緒さ帰れねのがすこだま辛ぐで、おめが来ねがったらどうすんべって不安になったんだ…」
と、二人きりの空間になった途端、誠がポツリとそう零し、俺はシートベルトをしながら、驚いて運転席の誠に目を向ける。
「なんで?」
心の中の疑問をそのまま口にすると、誠は、わからないと答えながら、今まで見たこともないような苦笑いを浮かべる。
「不思議だな、おめと抱ぎ合えだら、これがらもずっとおめと恋人でいられるんだって、おめがおらから離れる事は絶対なぐなるって、確信がたがげる んでねがど思ってだのに。
なんかさ、ほんてん好ぎな人ど結ばれるど、絶対さ失いだぐねがらなのが、余計なごど考えだっけり、かえって臆病になったりするもんなんだな」
誠の言葉を、俺は意外な気持ちで聞いていた。
正直俺は、あんにゃはいつもただ真っ直ぐで、俺みたいにグルグル考えすぎてしまうことなんてないんじゃないかって、勝手に思っていたから。
「こだな感覚初めでだ」
いつの間にか、普段の屈託のない笑顔に戻っていた誠は、不意打ちのように、触れるだけの軽いキスをしてくる。
「あんにゃ!この車中普通さ見えっから」
「ごめんごめん、実家づいだら中々でぎねがらさ。なんかおら、ほんてん、好ぎな子ど付ぎ合いだでの中学生みだぇになってる」
「中学生がらこだなこどすねだべ」
「いや、今時の中学生はましぇでっからな。真由も同級生の男さ告白されだらすい」
「えー!付ぎ合うの?」
「いや、あいづは男嫌いだがら。見だ目が慎司さんで、中身がおらみだいにバカ正直な男がいいって言ってだ」
「なんだよそれ」
「まこっちゃんは性格はいいげんども見だ目が暑苦すくてタイプでねんだどさ、おら、暑苦すいが?」
「ううん、普通さカッコいい」
「慎司だらそう言ってくれるど思った」
軽いキスと真由ちゃんの話題で、さっきまでのシリアスな雰囲気が和み、誠は笑いながら車を発進させた。
考えてみれば、こんな恋人としての会話ができるのも、誠と二人きりでいられるのも、実家まで30分のドライブの間だけ。そう思ったら、ずっと車に乗っていたいなあなんて、ついつい現実離れしたことを願ってしまう。
車の中だけじゃなく、本当は実家でも、外でも、何も心配したり意識することもせず、自然に恋人同士として振る舞いたい。
そんなことは、絶対に無理だってわかっているけど…。
「なあ、慎司」
車を運転する誠の姿をうっとり眺めていたら、誠が前を向いたまま、真剣な声で俺を呼ぶ。
「なに?」
「慎司は、こっちに帰ってくる気ねが?」
「え?」
「わがってる、おめには東京の店があって、簡単にやめられる仕事でね事は、ちゃんとわがってる。でもおらは…」
「あ、誠、その事なんだげんとね、実はおら、お店閉めるごどになったんだ」
「ええ?!」
「危ねあんにゃ!ちゃんと前見で!」
俺が慌てて誠の膝を叩くと、すぐに前方に視線を戻しながらも尋ねてくる。
「いづ?」
「9月いっぱいで閉店するごどになってる。
実は、開店当初がら一緒にやってぎだ正樹が、今年いっぱいでねぐで、辞めるの早めだぇっ言ってぎで。よぐよぐ聞いだらあいづの彼女、いいどこのお嬢さんでさ、うず 建ででもらう上さ、彼女の両親にお店出す資金も出すてもらえるごどになったんだって。おらも色々考えだんだんだげんと、お店は一回やめで、今後についでゆっくり考えるごどにすたんだ」
「正樹って誰?」
だが、俺の話しを黙って聞いていた兄の声音が変わっていることに気づき、俺は慌てて首を振った。
「正樹は同ず事務所の同期だっただげで、全然ほだな関係でねがら!正樹が俳優諦めだ時期どおらが店出す時期重なって、たまだま一緒に手伝ってくれるごどになったの!将来的に地元で店開ぐ夢は最初がら知ってで、もっと先の予定だったんだげど、彼女が妊娠してはやまったでいうが」
「ふーん」
恋人になってから、誠が意外に嫉妬深い事を知った俺は、誠の機嫌を直そうと必死に話したが、かえって言い訳がましく聞こえてしまったのか、不機嫌な様子は全然変わらない。
「なんで言ってぐれねがったの?」
「ごめん、こっち来でがらちゃんと話すべど思ってだんだんだげんと、急だったす、あんにゃに余計な心配がげだぐねなって、アパートの収入はあっから、じぇじぇご に困ってるどが、ほだなこどはねんだげど…」
と、誠が突然ウインカーを出し、車道沿いにあるコンビニの駐車場へ入っていく。
何か買い物でもあるのかな?と思っていると、誠は広々とした駐車場に車を停めた後、身体ごと顔をこちらに向け、俺の手を握ってきた。
「慎司、これがらは、心配がげだぐねどが、ほだな考えは、ほんてん辞めでほすい」
「そうだよね、ごめん」
真剣な表情でそう言ってくる誠に、黙っていたことを反省し謝ると、誠は首を横に振る。
「違う、慎司責めでるわげでねんだ。
ごめんおら、ただの我儘だど思われるがもすれねんだげんと、もう、おめのごど東京さ帰すたぐね。こうやって、すぐに触れで、顔合わしぇられる場所にいでえ。
慎司は?やっぱり東京の方がいいが?こっちに来でおらと暮らすのは嫌が?
おらはおめと本気で結婚すたぇど思ってる。
農作業どがすねぐでいいがら、こっちに来で一緒さ暮らすこど、真剣さ考えでぐれねが?」
途中まで、誠の熱烈な言葉に感動していたのに、農作業しなくていいからで、真理さんのことを思い出し心がかさつく。
「あんにゃ、おら真理さんでねがら、別さ農作業嫌でねす、真理さんにもそうやってプロポーズすたの?」
思わず出た声は、自分でも驚くほど刺々しくて、俺はすぐに自分の言葉を取り消したくなった。
「ごめん誠、今のなす、おら真理さんに嫉妬すて嫌な言い方すた」
「いや、おらも同ずだがら、さっき正樹って奴の名前出だ時、不機嫌になってごめん。
でも真理の時はさ、真理がら、農作業は絶対すねがらって言ってぎだんだ。
慎司はずっと東京で暮らすてぎだす、華やがな世界にいだがら、もう、農作業どが嫌なんでねがど思って、ついあだな言い方すたっけ」
分かっているのだ、誠の言葉にはいつも、俺に対する気遣いと優しさが溢れている。
俺が勝手に真理さんとつなげて、嫉妬してしまっただけ。
「ううん、誠は真剣さ、おらと一緒になりだぇって言ってぐれでだのに、ほんてんごめんね。
おらさ、まだ色々考えだり、東京でやらんなね事あって、今すぐこごさ戻るって言うごどはでぎねんだげんと、おらもずっと遠距離は嫌だって、誠ど一緒にいでえって思ってる。
んだがらさ、もう少すだげ待ってでくれる?
これがらは、全部ちゃんと誠さ相談すっから」
誠は、俺の頭を優しく撫でると、少し切な気な表情を浮かべながらも、分かったと頷く。
「おらも、強引なごど言いすぎだ。
あー、情げねなあおら、プロポーズすっこんだら、もっとちゃんとすたがったげんど、すぐ感情のまま突っ走ってすまう。おめの方がずっと大人だ」
「ほだなこどねよ、おらは逆さ、あんにゃの事好ぎすぎで考えすぎですまうだげ。誠結婚すたぇって言ってくれだの、すこだま嬉すいっけよ」
今更のように、プロポーズの喜びを噛み締める俺に、誠が顔を近づけキスしてくる。
だけど俺はもう、人に見られるとか、そういう事を気にして注意したりしなかった。
「おらは本気だがら。誰さ何言われでも、おめと一緒にいるって決めでっから」
「うん、ありがとう」
唇を離した後、至近距離に顔を近づけたままそう言われ、自然と目に涙が溢れてくる。
一生、成就することなんて叶わないと思っていた恋に、こんな幸せな結末が待っているなんて、家出したあの日の自分に言っても、絶対に信じてはくれないだろう。
と、突然ライン電話の着信音が鳴り響き、俺達はビックリして身体を離す。
着信音の主は俺の携帯で、俺は、母と出ている液晶画面の通話を押した。
「もしもし」
「あ、慎司、誠ちゃんと迎えに行ってる?ちょっと遅いがら心配になってすまって」
「大丈夫大丈夫、今一緒さ車に乗って向がってるどごろだがら、もうすぐ着ぐがら」
「そう、なら良いっけ、待ってっからね」
すんなり納得してくれて、俺はホッと胸を撫で下ろし通話を切る。
「ほんじゃ行ぐが」
「うん」
誠と顔を合わせて笑って、コンビニの駐車場を出た俺達は、今度は真っ直ぐ実家へと向かった。
「慎司さん!久すぶり!」
「慎司よぐ来でくれだね!」
家に到着すると、真由ちゃんと母が待ってましたとばかりに二人でで迎えてくれる。
少し前まで、自分がこんな風に故郷に帰って、家族に歓迎してもらえるようになるなんて思っていなかったから素直に嬉しい。
「今回は長ぐいられるんだべ」
「うん、4日くらいだけど、久すぶりに農作業も手伝うよ」
「あら!だったら1番大変な稲刈りの時期さ来でもらえば良いっけわ、ちょっと早えわよ来るの」
「ちょっとおばぢゃん、しぇっかぐ慎司さん来でくれだげんど 」
親子だからこそ遠慮なく言いたいことを言う母と、微妙に気を使っている真由ちゃんの、相変わらず親し気なやり取りに笑みが溢れる。
「慎司の荷物客間さ置いでおいだがら」
「あ、ありがとうあんにゃ」
いつの間にか俺のキャリーやリュックを持って行ってくれていた誠に、俺は慌ててお礼を言う。
「ほら、慎司も誠もとりあえず手洗って、お線香上げで、わらわらみんなでご飯食うべ!」
誠と二人きりの時間は何にも変え難いけど、こんなふうに、たまの里帰りを、家族でバタバタするのも悪くない。
むしろ自分は、ずっとこんな風に、そのままの自分を故郷に受け入れて欲しかったのだ。
俺は居間の仏壇の前に座り、祖父母や父の遺影に線香を上げ手を合わせる。前回ここで父の写真を見た時は、罪悪感で頭がいっぱいになったが、今日の俺は、懐かしさと感謝が胸に込み上げてきた。
「よす、ほんじゃ食うべが」
母に急かされ仏壇から立ち上がり、前と同じ、誠と向かい合わせの席に座ると、誠が優しく微笑みかけてくる。
卓上には、前回と同様、母が腕によりをかけて作った料理が沢山並んでいて、俺は有難い気持ちでいっぱいになった。
「はいじゃあいだだぎます」
「いだだぎます!」
まるで小学校の給食のように、母の号令と共に挨拶をし、皆でご飯を食べはじめる。
何も知らない母にもいつか、誠との事を伝えなきゃいけない日がくるだろう。でも今はまだ、母の前での俺と誠は、普通の兄弟のままでいい。
「おがぢゃん、おら来るだびにありがとうね」
「言っとぐんだげんと、こだな豪華なのは今日だげだがらね、明日がらは残りものよ」
「分がってっず。もす大変だったら、何日がいる間さ、おらもなんか作んべが?」
「やったー!おらパスタ食いだぇパスタ!イタリア料理」
「真由ぢゃんパスタって、レトルトソースがげれば誰でも作れるでねのよ。
ほだなこどより慎司、聞いでちょうだいよ!
最近誠いい人がでぎだみだいでね、昨日も夜ごそごそ出掛げで朝帰ってぎだりすてさあ。んだがら今日もおめの事ちゃんと迎えに行ったのが心配になってすまって」
唐突に投げられた母の言葉に、俺の箸は止まる。
「いいでねほだなの、まこっちゃんまだ若えんだす」
「娘の真由ぢゃんがそう言うごんだらおらも何も言えねんだげんと、確がに誠もまだ若えわよ。
でも真理さん出でって離婚成立すてがらちょっとすか経ってねんだがら、今度はすっかりずっくり 相手の事見極めでがら結婚決めねど…」
「おばぢゃん、それ何気におらのおがぢゃんディスってる」
「違う違う!ほだな意味でねのよ」
「いいっていいって、うぢのおがぢゃんの場合ディスられで当然だがら」
ケラケラ笑う真由ちゃんと、あたふたする母の会話を、俺はひっそりやり過ごそうと、黙って見守っていた。
「ああ、大丈夫だよ、相手慎司だがら」
だが次の瞬間、誠が発した言葉に、居間の空気が一瞬にして静まりかえる。
「え?」
母が聞き返し、事情を知っている真由ちゃんと俺は無意識に目を合わせ固まる。
「おらが付ぎ合ってるの慎司だがら、今日プロポーズもすた。慎司もおらと一緒にいでえど思ってぐれでるす…」
こともなげに話しだした誠を、俺は慌てて止める。
「ちょっと待ってちょっと待って!あんにゃちょっと黙って!何言ってるの?」
「なんで?こだな大事なこどは|わらわら《早く》お袋にも言った方がいいべ?」
「あんにゃ!何事にも順序ってものがあっから!なんでもがんでも正直さ言えばいいってもんでねがら!」
「えー!まこっちゃん早速慎司さんにプロポーズすたの!?そすたら慎司さん山形来でくれるってごど!やばい!超嬉すいんだげど」
話があっちゃこっちゃに飛び交い訳がわからなくなる中、母がバン!とテーブルを叩く。
「どだなごどなのが、ゆっくり話す聞がしぇでもらうわよ!」
母のドスの聞いた声が響き渡り、二度目の里帰りは、図らずも波乱の幕開けを切ってしまったのだ。
「それで、結局どうなったのよ」
「凄い、ショックは受けてたけど、分かりましたって」
「分かりましたって何?」
「変な嫁がくるよりいいと考えるようにするって…」
「何それ、消去法じゃない、いやもう最高ね、あんたのお兄ちゃん!私も山形に会いにいくから今度紹介してよ」
深夜、実家の客間で、俺は初めて誠に告白された日と同じように、サリーさんに電話をかけていた。
「笑い事じゃないですよ!これじゃわざわざ別々に来た意味ないし、正直明日からどう振舞っていいかわからなくて…」
「でもさ、ずっと好きだった人に、そんな風に真っ直ぐ愛されて、親にも紹介してもらえるってすっごく幸せなことだと思うわよ、まああんた達の場合同じ親だからうけるんだけど」
「全然ウケないですよ!」
「ウケるわよ、あんた気づいてないかもしれないけど、悩んでるようで昔よりずっと声は幸せそうよ。毎回惚気聞かされまくる私の身にもなってよ」
そんなつもりはなかったのだが、サリーさんに言われて、確かに昔、これから先どう生きていけばいいのか悩んでいた時よりも、ずっと心は満たされている事に気づく。
「両思いの悩みなんてのはさ、悩んでても幸せだったりするのよ、嫉妬による諍いなんて特に、私から言わせたらプレイみたいなもんだし
あんたらはまさに付き合いたてなんだから、嫉妬プレイとか、悩みプレイとかして楽しんでりゃいいのよ」
「そんな、SMプレイみたいに言われても」
「あんたどMだしね」
「違います!」
と、客間の襖から、慎司と呼ぶ誠の声が聞こえてきて、俺は慌てて声を抑える。
「ごめんなさいサリーさん、あんにゃが来たんで…」
「いいじゃない、声収えて、実家で羞恥プレイ楽しんでね」
「こんなところでしません!」
言うと同時に通話を切ると、誠が静かに襖を開けて、部屋に入ってくる。
「ごめん誠、|うるせえっけ《うるさかった》?」
「いや」
誠は首を振り、俺の布団の近くに座りこんだ。
「なんか、悪いっけな、おめにはおめの考えやタイミングが|あったげんど《あったのに》、勝手にお袋さ言ってすまって。真由にも、慎司さん困ってだじゃんて言われで反省すた。
でもさ、おらは、嘘ごぎたぐねえっけんだ。
真由だげじゃなぐ、お袋にも、おらだのごど認めでもらいだぇっけ」
誠の言葉に、俺は分かってるよと頷く。
ずっと一緒にいるためには、いずれは母に言わなくてはいけない日がくる。ごちゃごちゃ考えすぎずに、それがただ早まったのだと思えばいいだけ。
「そりゃ、確がにいぎなりでビックリすたんだげんと、誠、それだげ真剣さ考えでぐれでるって事だがら、嬉すいっけよ」
すると誠は、安心したように笑って、俺の身体を抱きしめてくる。
「|良いっけ《よかった》」
言いながら、首筋に唇を押し当てられ、思わず身体がビクリと震えた。
「なあ慎司、朝の続ぎすていいが?」
その言葉に、俺は迷った。
すぐ隣りにの部屋には仏壇があり、居間と台所を隔てた先の部屋には母が寝ている。真由ちゃんだって、いつ起きてくるかわからない。
でも…
「少すだげなら」
「少すって、どごまでいいの?」
誠が、俺の言葉にクスリと笑って口付けしてきたその時だった、突然廊下に足音が響き渡り、俺達は慌てて布団の中に潜りこむ。
どうやら母がトイレに起きてきたようで、流す音が聞こえた後、再び足音が近づいてきて、俺と誠は息を殺して、その音が通りすぎて行くのを待つ。しかし、足音は遠ざかることなく俺達のいる客間の前で止まり、母が襖ごしに声をかけてきた。
「慎司、起ぎでる?」
ど、どうしようと思って誠を見ると、正直者の誠もさすがにこの状況で母に来られたらまずいと思っているようで、黙ったまま首を横に振ってみせる。俺も頷き、返事をせずにいたが、母は構わず襖の前で話し始めた。
「おがぢゃんね、正直、おめだづの話す、すこだまショックだったんだげんと、おめが大事な息子だってごどには変わりねがら、慎司がこっちに戻って来だがったら、いづでも戻ってぎでぐれでいいがら」
「…ありがとう」
寝たふりをしていなきゃいけないのに、その言葉が嬉しくて、俺は思わず声を出し返事をしてしまう。そんな俺を、誠は優しく抱きしめ頭を撫でてきた。
母はそれだけ言って気がすんだのか、客間の前から徐に立ち去っていく。だが、なぜかその足音は再び客間の前に戻ってきた。
「でもね誠、おめ明日の朝までには自分の部屋さ戻ってなさいよ、真由ぢゃんも色々わがる年頃なんだがら。はあ、やっぱりそうよね、付ぎ合ってるってごどは、誠ど慎司も色々すてるって事なのよね。変な嫁来るよりいいような気もするんだげんと、親どすては複雑だわ。
このウチ古いす壁も薄いんだがら、なんべぐおらにわがんねようにすてちょうだいよね。ほんじゃおやすみね」
感動の言葉から、家族ゆえの遠慮なし一人トークを繰り広げ去っていく母に、俺はヘナヘナと力が抜ける。
「誠、やっぱり今日はやめどがね?」
「そうだな」
一緒にいることがばれていた恥ずかしさで、俺も誠もすっかりその気が失せてしまったけど、親と同居している夫婦ってこんな感じなのかなと思うと、結婚せずして嫁気分を味わってるみたいで、少しだけ愉快な気持ちになった。
『両思いの悩みなんてのはさ、悩んでても幸せだったりするのよ』
さっきまでサリーさんと話していた会話を思いだし、確かにその通りだと頬が緩む。
(本当に、自分は今幸せだ…)
18歳の夏、二度と戻ることはできないと、逃げるようにこの家を飛び出したあの日の自分。
男しか好きになれず、兄に本気で恋をするような俺は、家族に異質な存在だと拒絶され、排除されても仕方ない存在なのだと、自分を否定し続けた。
だけど今、手放しではなくても、母も、死んだ父も、そのままの俺を、受け入れようとしてくれていると感じる。
だからもう、自分を責めるのはやめよう。
男しか好きになることができず、実の兄だと信じてきた誠にずっと焦がれてきたこの想いが、一度は切れた故郷と自分の絆を繋げてくれたのだ。
「慎司、結婚すたらさ、庭さ離れ立でんべが」
「んだな」
「おら、本気だがらな、叶わね夢の話すすてるんでねがら」
「うん、わがってる」
これからもこんな風に、大好きなあんにゃで、恋人でもある誠と、ずっと一緒にいられる道を模索しながら生きていこう。
俺達は強く抱きしめあい、互いの温もりを感じながら瞼を閉じた。
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