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「社長、先生と喧嘩した?」 消えるサラダ。今日も平和。田舎の収穫祭かと言わんばかりに犇めいていた野菜たちが、今はブラックホールに消えて皿の斜塔になった。 そんな、萱島を連れてランチに行けば見慣れた光景。今のお子さまは食事に飽きたのか、対岸の保護者を覗き込んで面倒な話題を振って来る。 「喧嘩はしてない」 「社長の話をしたら、大変珍しく微妙な顔をしていたよ」 「ああ」 適当な相槌、でなく、思い当たったかの様なああだった。益々怪訝なさまでじっと見る。相変わらずサイクロン掃除機の電源は落とさぬまま、萱島はトマトを咀嚼したのち声を荒げた。 「謝りなよ!」 「何で俺が悪い前提なんだよ」 「社長が悪くない事なんか無いでしょ」 「まあそうだけど」 此処で逐一腹を立てなくなった。神崎を漸く理解し始めたお子さまは、もう無駄だと諦めて品書きの裏っかわを睨んでいる。 そう、確かに思い当たる節はあった。というか正直、2,000%その件で確定だった。 遡れば3日前。例のア〇ブレラ社みたいな研究所に訪れた神崎は、簡潔に言えば所長に手を出した。手をあげた、でなく手を出した。 そして簡潔に言い過ぎたのではしょった経緯を説明すると、嚆矢は非常に下らないことで、ふと隣に立つ後見人を見て思ったのだ。 こいつ、縮んだな。 縮む訳は無いが、随分想定と目線の高さに乖離があるな。 未だ認識が10代の頃で止まっている神崎は、その様な単純な気付きに好奇心を掘り起こされた。 「俺がお前に勝ってるもの教えてやろうか」 今思えば甚く幼稚極まりない発言だ。神崎が無理難題で押し付けた発注書を手に、御坂は当然のこと億劫そうに目線を上げる。 「なに?身丈以外で言ってごらん」 IQが下がりそうな問答ながら、出口を塞がれた神崎はどうしてやろうかと首を捻る。 相手の頭から、肩から視線を落としていって、何となく白衣から覗く首やら手元が気になった。 骨格がそうなんだろう。改めて見れば妙に繊細なつくりをしている。 大昔にうっかりキレさせた際には、真横の壁を蹴りで粉微塵に吹き飛ばされ、現在まで嫌な悪寒を植え付けられたが。 「…どうしたの」 脈絡なく手首を掴まれ、当然疑問を呈した。例のストーカー曰く、10兆円の保険金が掛かった手だ。 それが掴まれようが持ち上げられようが、身内には警戒心もなく訝し気な顔をするだけで。 「お前さ、今この部屋カメラ点いてんのか」 「君が休憩所代わりに来るからもう点いてないよ」 「なら例えば、俺がお前の銃を抜いて向けたらどうすんだ」 神崎はこの男の本来の稼業を知っている。不穏な機密に囲まれている環境も、いつ寝首を掻かれても可笑しくない立ち位置も。 「何でそんなこと考えなきゃならないの」 「利点なんざ沢山有るだろ、些少なりと警戒しろって忠告だよ」 「しないよ君は」 あっけらかんと言い切られて止まった。 臥せた目元に睫毛の影が落ち、コントラストも相俟って妙に視線を引き付ける。 神崎の目の色をとやかく言うが、御坂も大概奇妙な色素をしている。 虹彩は時々でなんとなく印象が違い、髪も陽を遮れば青く見えてくる。 「断言されるとなんか腹立つな」 「多分ね…お前は僕を困らせたいんだよ、暇なんでしょどうせ。別の玩具あげるから外で遊びなさい」 「困らせたいね、言い得て妙か」 子ども扱いをやめろと怒るでもなく、腑に落ちた面で納得されても困る。 そしていい加減に手を離せ。 心中で小言を言いながらも、御坂は結局相手を邪険に出来ず顔を顰めている。 今も窓を開けて煙草を吸う我が儘を許し、おまけに隣に並んで身にならない話をしているのだから。 「嫌がられると燃える性質なんだよな」 「あー…そうだね、君はね。それ吸ったら帰りなさい」 「やたら帰そうとしてどうした?やっと警戒したか」 敵愾心を貰いたい訳ではない。 ただ平時は神崎以上に一定で、多少の悪事も叱らない寛容さが腑に落ちない。 おまけに年下と見れば殊更識者で、来るのはやや潔癖な返答。 「…前から疑ってたんだが」 水面を波打たせたい。石をなげて、波紋が広がれば面白い。 「お前、親父と寝てたよな?」 だから、真偽など二の次だった。 案の定、虚を突かれて眉を顰めた御坂は、低俗な攻撃を処理するように宙を睨んでいた。 実に嫌そうな顔だ。 そう、正直それが見たかった。 もっと感情を剥き出しに憤ればいい。 いつもの保護者づらも忘れて、何をしでかすか分からない年下に怯えて。 (ん?何でこうなった) 頭ではそう脈絡ない欲について考えていた。 現実では気付けば相手の頬を引き上げ、冷たそうな唇へ噛み付いていた。 (まあ良いか) 特段気にも留めず、ブレーキの無い男とはこうも恐ろしい。 相手が衝撃で固まっているのを良いことに、肩まで手繰り寄せ、女にする様に入り口を食んだ。 冷徹そのものに見えた唇は思いのほか柔らかい。 不快感もない。非日常ゆえなのか、妙な高揚感のまま角度を変えてやる。 このまま抉じ開けてやるか、別を触ってやろうか。脳裏に勝手な絵図を描いていたら、突然腹部へ重苦しい痛みが襲っていた。 「…何やってんのほんと」 腹を折り曲げて耐えつつ目を上げれば、通り魔にあった様な面で御坂が目を剥いていた。 おいおい睨むな、お前目つき悪いんだよ。等と茶化せる隙間もなく、神崎は漸く回復した腹を摩りながら立ち上がる。 「いや、つい興味本位で」 「興味本位で済むなら怒ってないんだよ」 「怒ってんのか?」 不思議なところへ喰い付いた。 未知の思考を見詰める御坂と、逆に悪くない気分で対峙する神崎はまた距離を詰める。 愉快犯だ。そう言えば大した動機は無いが、既に引っ込めるには遅きに失している。 「餓鬼の悪戯なら怒るなよ」 先ほど奪ったものの感触を確かめるように、濡れた唇を撫でる神崎の行動が度し難い。 いつもの嫌がらせにしては、過剰に過ぎていた。 「…あのね、遥」 「もう一回したら帰ってやる」 此処まで押して来る子じゃなかった、今まで。 海月のように掴みどころ無く彷徨っていた男が、何故かまったく退かずに陽を遮っていた。 妙な圧迫感すら覚え、視線を隅へ寄せる。 それで出遅れた先、御坂の首元を長い指が捕まえ、這うように包んで上向かせ、また噛み付く様に口を塞いでは酸素を奪いに来る。 早く飽きて、玩具から手を離してくれたらいい。そんな親の構えで居たら、知らない内に伝っていた手がするする背筋を下っている。 何処まで続ける気なのか。押し返そうとした手は絡め取られ、背後の机へ押し付けられ、付随して倒れた身体が横たわる。 乱暴な所業に、いい加減折檻を加えようとした。 ところが硬い机に縫い留められた腕がびくともせず、御坂は覆いかぶさる男を初めて相対したようにじっと見上げていた。 「どうした」 声は低い。 いつの間にこんなに大きくなったのか、自分に勝る体格が乗り上げ暗がりをつくっている。 「勝てないのか」 自分も相手も、大分昔の認識で止まったままだったのだ。 神崎は神崎で初めてこの様な体勢になり、眼下に閉じ込めた後見人の様な存在を見詰める。 見慣れた白衣に包まれた、今は妙に頼りない線の肢体。 それが可笑しな程なまめかしく映り、唆される様に殊更腕をぎりりと締め上げる。 一寸痛みで歪んだ顔に、目の奥で爆ぜたのは恐らく加虐心だ。 力で勝てる。好きに出来る。 反応が愉快でこんな体勢に雪崩れ込んだが、数秒前まではまさか手を出す迄は想定していなかったのに。 「…ハル、分かったから」 「何が分かったんだよ、勝手に切り上げようとすんな」 体を脚の間に割り込ませ、先より更に不味い体勢になろうが、未だ後見人は子供を咎めるような目で伺っている。 お前、既に2回キスされてんだぞ。 自分の悪事ながら他人事みたく呆れた。しかし神崎は、億劫そうに見上げる相手を眺め、ははあと一人合点が行ったのだった。 御坂康祐は鏡だ。 敵意を向けられれば敵意を、愛情を向けられれば愛情を返す。 だから敵意でない攻撃の跳ねのけ方を知らない。 (お前、それ) 色々不味いというか、根本的な大問題というか。 いっそ得体の知れない、神崎ですら思考を読めなかった男が急に隙だらけに映り、絶対零度の瞳すら無垢へ傾く。 頬に手を伸ばせば流石の反射神経で阻まれたが、結局体重の差で押し切り頸動脈の辺りへ噛み付いた。 少し、抑え込んだ身体が強張った。 ああ、細い。そう驚く程度には、易々と腕へ納まる。 華奢で、それでいて硬い訳でもなく、野生の豹の如く、瞬発力だけに特化したしなやかさ。 「いてっ」 シャツを引き抜こうとした矢先に脛を蹴られた。 だがまったくお優しい、暴漢が怯むに値しない攻撃だった。 恐らく神崎が身内でなければ、目を潰し掌底をかまし、再起不能になるくらいの護身を致すものを。 相手を些少でも傷つけるのが嫌で、結果自分が好き勝手されている。とんだ笑い種である。 「銃抜けよ」 白衣には小型ながら凶器の感触がある。 言ってやったものの、御坂は天地が引っ繰り返ろうと此方に銃口など向けないだろうし、未だその内神崎が飽きるのを待っている。 「御坂」 「…なあに?」 結局呼ぶに終わり、今まで例のない至近距離で稀有な顔を覗き込む。 改めて見ても恐ろしいほど老けない。狐や異星人の類いに違いない。 机上の身が逃げるのも構わず、神崎は既に覚え始めた感触を追って口づける。 努めてべったりと甘く。下唇を食まれる行為を、相手はどう捉え考えているのだろう。 度のない不要な眼鏡を外し、流石に舌でこじ開けようとすれば肩を押された。 弱い手を掴み、またデスクへ押さえつけ、体重をかける。 そうすれば僅か乱暴にした痛みへ、細い喉から呼気が漏れる。その一寸開いた隙間を逃さず、口内を塞ぐように舌を差し込み、神崎はやけに甘ったるい内部を執拗に犯し始めた。 (分からんやつ) 勿論その舌が神崎を迎え入れ、絡みつくなんて事はなく。 珍しく逃げる一辺倒のざまへ高揚し、生きた舌の柔らかさを、熱を、押さえつけて嬲るように味わう。 「っ、ふ」 開いた唇の隙間から、生来聞いた覚えのない甘い音が漏れた。 それが鼓膜を震わせて、相手の反応だと理解して、一足飛びで頭に血が上った。 建前を全部剥がされた、この大人の無防備な声。 神崎自身も異様な執着を自覚しながら、呼吸を奪うように次を求めて押さえつけた。 「や、めて、遥」 何か制止らしい声が聞こえる。 抵抗らしい力が加わる。 そんなもの既に目の端にも映らず、神崎は逃げる様に背中を向けた身体を引き倒す。 「…取り敢えず、別の玩具は良いわ今は」 わざと傷む様に首を噛めば、僅か引き攣った声が鼓膜に届いた。 何だろうこの、ぞくぞくと背筋を這い回るような。普通に生きる上では露呈しなかった、埋もれていた加虐心を掻き毟られる様な感覚は。 背後から雑にシャツの中へ手を突っ込めば、到頭暴挙に怯える目が見えてしまった。 怯えるらしい、この大人が。 今まで必死に頼んでもいないのに、自分の親代わりとしての面子を護っていた、得体の知れないこの大人が。 「ゴム持ってたっけな、今日」 「何、言って」 「お前、一応医者だから付けないと五月蠅いんだろ」 思考回路を理解できない。 そのフリーズから漸く前に進み、御坂が先に忠告された白衣の拳銃へ手を伸ばす。 「おせーんだよ、もう忠告したろ」 あっさり手首を捻られ、取り上げられた。 最後の抵抗の手段を机の端へ放られ、神崎の下には実に貴重な表情があった。 まるで迷子の子供みたいだ。 敵意ではない、だがいつもの気紛れにしては度が過ぎた神崎の悪事にどうしていいか分からず、行く路も戻り路も知らない迷子。 (もしかしてコイツ救いようのない馬鹿なんじゃあ) 幾ら庇護の対象だからと、好き放題やられて怒りもしないのか。 身内に関するこの大人の対応は聖人君子もいいところで、神崎には酷く度し難いのである。 まあ正直、初めてパニックに陥るさまを見るのは愉快で仕方ない。 シャツを託し上げて白い腹をまさぐれば、自分の下に閉じ込めた痩身が分かり易く跳ねる。 御坂とは長い付き合いだが、生身の胸や腹に触れるのは流石に初めての体験であった。 低かろうが生き物らしく体温を持ち、妙に肌質が柔らかく、何だか少年とか少女とか、そういうユニセックスな生き物を触っている様な感覚に陥る。 「、っ…い」 胸の辺りを探りあてて抓れば、痛みに純粋な呼気が漏れた。 男はあまり感じもしない器官だが。執拗に調教すれば、AVの女みたいに鳴いたりするのだろうか。 「痛い?もっと優しくしろ?あっそう」 わざとらしく耳元で言葉に残し、勝手に指の緩急を変えて胸の頂を撫でる。 少しでも声を出すんじゃないかと唇を指で割り開き、無理やり抉じ開けさせ、ついでに逃げる舌を掴んで擦ってやった。 指を思い切り噛めば良いものを。 この期に及んで未だ神崎を傷つけるのを躊躇している。 「…ん、っ」 胸の尖りを押しつぶしてやれば、半開きにされた唇から息が漏れた。 乱れを期待して首を擡げ、実に慎ましやかな形のそれを指でぐりぐりと虐める。 それが痛みなのか、快楽なのか判別はつかないが、次第に腕に収まる身体が震え、聞いた例もない舌っ足らずな声が懇願した。 「はる、手どけて」 「何だよ」 「分かったから、何がほしいの」 ああ、そう。この大人は神崎が無茶苦茶を押し通す為に、新手の嫌がらせに出たと解釈したらしい。 「…あのリストの納品を今週中」 「今週?無理に決まってるでしょ」 「無理って何だよ、お前が何でも頼れって言ったんだろ」 確かに言ったが、既に数えて10年は時が経っている。 あれからすっかり大人になった当人に発言を掘り起こされても、本来知ったことでは無いのだが。 「俺が欲しいもんくれるんじゃなかったのか」 正直に吐けばリストなんてどうだって良い。 神崎の視線はもう明らかな欲を孕み、長い指と共にざらざらと暴かれた肌を這って行く。 自分以上に陽を知らない。透き通った皮膚は妙に柔らかく、触れた瞬間蕩けるように指へ馴染んだ。 随分触り心地のいいものを見つけた。今はこれで良い。 しかし怯えさせるには至ったが、未だ一歩、もう一押し足りない。 その鍵になる存在を確信している神崎は、相手の耳元へ実に無情な呪文を囁いた。 「康祐」 瞬間、はっきり分かる程に身体が委縮した。 背後から抱き竦め、顔も見れない状態で神崎は呼ぶ。 「どうした、康祐」 処女みたく硬直していた身が火照り、撫でる度に突然箇所からどろどろと融解していく。 そして先まで虐めていた胸を摘まめば、恐ろしくあっさりと細い喉からは嬌声が漏れていた。 「…ぁ、っあ」 「ほらやっぱりなー、お前」 嬉々とした台詞で、その実心底苛立ったような目で。 神崎は至極簡単な正解を指摘し、硬直する肩を掻き抱いた。 「親父とヤってたろ」 そもそも傍目にも異常な執着だった。 建物を態々そっくりに作り、墓まで誂え、研究所の類いまで全部こちらに引っ張り込んでは死んだ人間を一様に追い掛けていた。 おまけに時折神崎を見て、遠い目をした。 その虹彩を覗き込む度、不意に溶けて消え入りそうな、実に物悲しそうな顔をして視線を逸らす、あのどうしようもない所作。 「そんなに似てるか?」 背後から覗き込めば、一層蕩けて、もう常の威力が微塵もない目が見返す。 自分が写真を見た限りでは色素が同じなだけで、造形の印象は全く違っていたが。 「声が似てる?」 耳元へ噛み付く様に問えば、俄かに白い手が腕を掴んだ。 当人も無意識のまま駄目を押し、咎めるというか、怒りであろう力が加わってゆく。

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