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第一章 少年時代 2 平和な日々④~夏祭り

 四月になり、遼真は地域の公立中学に通い始めた。小学校よりもいくらか市街地の、いくらか栄えている地区にある学校である。しかし同じ町内であるため、登校の風景は今までとあまり変わらない。毎朝馨を迎えに行って、一緒にバスに乗るのだ。  もちろん変化したこともある。一コマの授業時間が延び、新しい先生がいて、新しい友達ができて、突如先輩との上下関係が生まれたりする。慣れるまでは大変なこともあったものの、順調に月日は流れて今年もまた夏がやってくる。  夏休みの最初の土曜日、毎年恒例の村祭りが行われた。遼真が待ち合わせ場所の神社へ着くと、馨は先に来て待っていた。境内の鉄棒で一人遊んでおり、鳥居付近に遼真の姿を見つけると嬉しそうに駆け寄ってくる。 「りょーま!」  馨は身長はまだ小さいままだがその分髪が伸びた。ここ一年ほど伸ばしっぱなしにしていて、そろそろ立派なポニーテールが作れるくらいには伸びている。額をすっかり隠すような感じで前髪も伸ばしている。 「りょーま、遅いちや。待ちくたびれたぜよ」 「ごめんにゃあ。ちくと学校行っちょって」 「また部活なが?」  神社の周りを雑木林が囲う。ツクツクボウシとヒグラシが鳴いている。アブラゼミもいる。昔も今も馨は虫捕りを好むが、最近だとセミよりはカブトムシやクワガタを捕ることに躍起になっている。 「あ、見ぃや、りょーま。そろそろ御神輿担ぎよるよ」  普段は倉庫に仕舞ってある御神輿が、今は境内のど真ん中に鎮座している。揃いの法被を着、ねじり鉢巻きを着けた男衆が、掛け声を掛けて神輿を担ぎ上げた。いよいよ夏祭りの始まりである。馨は一瞬にして雰囲気に飲まれた。期待に胸が躍り、高揚感が湧き上がる。指の先までそわそわしてしまってじっとしていられず、むやみやたらと飛び跳ねる。  神輿は神社を出発して村内を練り歩く。神輿の後ろにはお囃子隊が続く。山車に積んだ和太鼓を叩き、篠笛を吹き鳴らし、摺(すり)鉦(がね)を掻き鳴らすのだ。さらにその後ろを見物客がついていくので、小さな行列ができあがる。神輿を担ぐ者も山車を曳く者も見物客も皆、先頭のホイッスルと拍子木に合わせて威勢のいい掛け声を掛ける。  途中、昔からのお大尽の屋敷で休憩をする。草野球ができそうなくらい広い庭があり、西瓜や梨を振る舞ってくれた。他にも麦茶やジュース、子供は駄菓子をもらうことができた。大好きなよっちゃんイカと蒲焼さん太郎を手に入れた馨は満足げである。 「遼真くんも神輿担いでみるかよ?」  町内会長が遼真に言った。 「ええ、僕がですか?」 「こじゃんと大きゅうなっちゅうき、棒に肩ぁ届くろう」 「ほいたら、儂の法被貸しちゃろう」  断る隙もなく法被を着せられ、鉢巻きを着けられる。 「おお、よう似合っちゅう。えい男っぷりじゃのう」 「はぁ、ほんまですか」 「あーっ、りょーまばっかりずるいちや!」  ちょうど西瓜を食べていた馨が文句を言う。 「わしも御神輿担ぎたい、担ぎたい!」 「馨くんの背じゃ棒に届かんが。こまい子は危のうて担がせれん」 「届く! わしもう四年生やき、こまぁないぜよ」 「馨ちゃん、口にスイカの種ついちゅうよ」  遼真が指摘すると、馨は一旦静かになって口元を拭った。 「取れたが?」 「取れた。にゃあ馨ちゃん、太鼓叩くがもかっこえい思わん? お囃子はみんな聞いてくれよるき、御神輿担ぐより目立つぜよ。かっこえいろう」 「けんど、わしもりょーまと一緒がえいが」 「馨ちゃん、太鼓得意やいか。毎年叩いちょるし、今年も聞きたいにゃあ。馨ちゃんの太鼓、僕よりもずっとうまいき」  太鼓も笛も、この村の子供なら大概誰でもできる。親に教わったり、児童館で練習会が行われたりするからだ。遼真に褒められて馨はみるみるやる気を出す。 「えへ、えへへ、うまい? りょーまより?」 「うまいぜよ。やき、聞きたいにゃあ」  休憩を終えた祭り行列は再び村内を練り歩く。遼真は大人に混ざって神輿を担ぎ、馨は子供用のバチで夢中になって太鼓を叩く。いつしか陽は落ち、汗が冷えてくる。しかしそれさえも心地がいい。道沿いの民家は門に提灯を灯し、そのぼうっとした赤い光が連なる様は何とも言えず幻想的だった。  村を一周して鎮守の杜へ帰ってくると、婦人会が手作りのおにぎりを用意して待っている。シンプルな塩おにぎりに、定番の梅、鮭、昆布、おかかなど、具入りのおにぎりもたくさんあった。腹を空かせた大人も子供も我先にと手を伸ばして、おにぎりのケースが空っぽになったら村祭りもとうとうお仕舞いだ。辺りはすっかり暗い。 「遼真ちゃん、悪いけんど、馨のことお願いねぇ。うちゃあまだ帰れんき」 「はい、任いちょってください」  婦人会として神社に来ていた馨の母に頼まれ、遼真は馨を家まで送り届けることになった。毎年のことだ。祭りは終わっても、大人達にはまだ楽しみがある。神社に併設の寄合所で、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎを繰り広げるのだ。子供は邪魔なので家へ帰される。 「いーやーじゃ! わしももっと遊びたい! まだ帰りとうない!」 「わがまま言いなや! 子供はさっさと帰って寝ぇ!」  馨は駄々をこねたが母親に尻を叩かれる。 「夜道は暗うて危ないき、懐中電灯持っていきや」 「ありがとうございます。ほれ馨ちゃん、帰るぜよ」  遼真が手を差し出すと、馨は渋々とその手を取った。  神社の周辺はまだ街灯も人通りもあって祭りのざわめきが残っていたが、一歩ずつ離れるごとに辺りはしんみりと暗く、ひっそりと静まり返っていく。遼真と馨の家があるのは村内でも山の方であり、道も悪ければ街灯も点々としかない。しかも電球が切れかけて、頼りなく明滅している始末だ。離れ離れにならないよう、遼真は馨の手をしっかり握る。 「りょーまぁ、ひょっと、怖いがか?」 「怖ぁないよ。馨ちゃんがどこぞへ行ってしまわんようにしちゅうだけじゃ」 「どっこも行かんぜよ。りょーまこそ、わしを置いてどこぞへ行ってまう気がしゆう」 「どこへも行かんよぉ」 「わからん。りょーまはわしよりうんと大人じゃし、今日だって――」  いきなり、すぐそばの茂みで激しい物音がした。その後、ギャアギャアという恐ろしい鳴き声が響く。馨はびくっと体を強張らせる。 「大丈夫、ただの動物じゃ」 「うん……」  不安になったか、馨も遼真の手をきつく握りしめる。 「タヌキかいねぇ」 「ハクビシンかもしれんよ」 「鳥かもしれん」 「ああ、サギはああいう鳴き声しゆうきにゃあ」  改めて耳を澄ますと、ここは耳障りなくらい音で溢れている。虫の声だ。コオロギ、スズムシ、キリギリス。そもそも暗闇を怖がる必要なんてなかった。馨を家に送り届けると、馨の祖母が愛想良く出迎えてくれた。お礼にヤクルトをもらい、遼真も家に帰った。

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