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第二章 邂逅 7 聖夜

 待ちに待ったクリスマスイブ。いや、待っていたのは遼真だけだったのかもしれない。どうにか頑張って定時で上がり、待ち合わせ場所への道すがら馨に電話をかけた。しかし呼び出し音すら流れず、聞こえたのは機械的な女性の音声である。 「おかけになった電話は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため、掛かりません」  もう一度掛け直す。しかし同じことの繰り返しだ。圏外にいるのか充電が切れたのか着信拒否をされているのか不明だが、ともかく電話が繋がらない。何度も試したが駄目だった。遼真はすっかり途方に暮れた。  日比谷公園は欧風のクリスマスマーケットで大賑わいである。十メートル級のクリスマスツリーや個性豊かなオーナメントが並び、煌びやかなイルミネーションに彩られた屋台では、アルコール飲料やスイーツ、クリスマス雑貨などが売られている。家族連れやらカップルやら、楽しげなはしゃぎ声があちこちでこだまする。  仕方ないのでホットチョコレートでも飲んで帰ろうか、あるいはソーセージとホットワインで一杯やろうかなどと考えて一人で広場を回っていると、控えめに着信が入った。 「馨ちゃん! どっ、どういたが? 今どこにおるが? 電話繋がらんき心配で……!」  遼真はひびが入りそうなくらい強い力でスマートフォンを握りしめる。馨は何も言わない。 「馨ちゃん? ほんにどういたがよ。何か言っとうせ」 「……りょーまぁ、ごめんちや」  泣きそうな声で馨は言う。 「ごめんちや、りょーま」 「な、何を謝りゆうが? 怒っちゃあせんき、謝らんで。それより今どこにおるが? アパートかえ?」 「ううん。ようわからんとこ来てもうた。わし、今日おまんに会うがが恐ろしゅうて、勇気が出んで……ほんで、逃げてもうたぜよ。ごめんちや」 「逃げた……?」  遼真は妙な胸騒ぎを覚えた。 「に、逃げたって構わんよ。必ず迎えに行くき。それに今日会えんでも、明日会えればそれでえいき」 「ようわからん。りょーまぁ、寒い」  吐く息が凍えるのを電話越しにも感じる。 「寒いがかえ? 外におるが?」 「うん。雪が降りゆう。粉みたぁな雪じゃ」 「雪? ほんにどこにおるがよ。どうやってそこまで行ったが?」 「……ふぇりー? 船……とま、とま? こ、まき」 「なんて?」 「字が読めん」 「誰かに聞きゃあえいろう。周りに人はおらんがかえ。寒いなら近くのお店に入って、温うしておうせ」  馨の話は要領を得なかったが、どうやら北海道にいるらしいということはわかった。そうとわかった瞬間、遼真は飛行機を予約する。時間も時間であるから、ほとんど最終便に近かった。 「りょーま、わしを迎えに来るが?」 「行くぜよ」 「……どういて? 来んでえい。来んで」 「いや、行くぜよ。馨ちゃんのためやない。僕が馨ちゃんに会いたいき行くがじゃ」 「やじゃ! 来んで!」 「行く言うたら行く! 来んでほしいならどういて電話なぞかけよったが。そがな寂しそうな声聞かされて、会いに行かんわけにいかんぜよ」 「……どういても来るがか?」 「どういても行く。馨ちゃん、お金がのうてもうろちょろせんで、ちゃんとお店の中におりよ。寒すぎて凍死することもあるらしいきに、大人しゅう待っとうせ。お願いやき」  羽田空港からきっかり一時間半で新千歳空港に着く。しかしそこからがまた長い。高速バスを乗り継いで、ようやく粉雪の舞う港町へと辿り着いた。もう間もなく日付が変わろうかという時刻だった。  遼真は港近くのファミリーレストランに駆け込む。看板のライトは既に落とされているが、店内はかろうじて明るい。窓際の席に馨は座っていた。頬杖を突いて、物憂げな表情で空間を見つめている。 「馨ちゃん!」 「りょ……」  席へ着くなり力いっぱい抱きしめた。 「……ともかく、無事でよかった」 「……別に、迎えになぞ来んでもえかったのに」 「話は後。もう閉店の時間みたい」  不安げにこちらを注視していた店員がほっと頬を緩めた。  伝票に書いてあるのはドリンクバーだけだった。馨は三百円ちょっとで数時間も粘ったのである。 「……にゃあ、金貸しとうせ。船賃で全部いかれてもうて」 「僕が来なんだらどうするつもりやったが……」  店員に、今からでも泊まれるホテルはあるかと尋ねると、駅前にビジネスホテルがあるから行ってみるといいと言われた。  二人は人気のない暗い雪道をよたよた歩く。遼真はマフラーを解いて馨の首に巻き、手袋を片方外して馨の手にはめた。そして手袋をしていない方の手をしっかり握る。人肌が温かい。 「何しゆう」 「だって寒いだろう? そのコート秋用だもん。今度は冬のコートを買わないとね」 「……りょーま、」 「あ、そこ足下気を付けて。転ぶといけないから」 「りょーま!」  馨は繋いでいた手を振り払って叫ぶ。少しバランスを崩して滑りかけた。遼真は心配そうに手を差し延べる。 「……わしは、りょーま、おまんが嫌いじゃ」 「知っちゅうよ」 「ほんならもうわしに構いなや」 「それでも僕は君が好きだから」 「しわい! 何遍も何遍も馬鹿の一つ覚えみたぁに好きや好きや言いくさって。わしは嫌いじゃ言っちゅうのに」 「それでも好きだ。馨ちゃんだって、今日僕に頼ったのはそういうことじゃないの。嫌いだって言うけど、本当は別の理由があるんじゃ――」 「やかましい! そがなん知らん! もう、ついてきなや!」 「あ、待っ――」  馨はだっと駆け出した。遼真も後を追って駆け出そうとして、つるりと滑って盛大に転んだ。馨も足を止めて振り返る。 「いてて……はぁ、濡れてもた」  馨は黙って手を差し出す。遼真は迷わずその手を取った。ぎゅっと握って、決して逃がさないように。 「馨ちゃん、僕はね、君を守れるくらい強うなりたかったんだ。早う大人になりとうて仕方なかった」 「……無様に転(こ)けちゅうくせに」 「だけど、あの頃よりはうんと大人になった。遠くへ行ってしまう君を連れ戻せるくらいには、強くなったつもりだよ」 「遠くへ行ってまうのは、いつもおまんの方やいか」 「喩えだよ。僕は、もう二度と……」  雪で靴が濡れ、靴下まで湿った。  やっとの思いで辿り着いたホテルには運良く空室があった。しかしダブルルームしか空いていないという。 「男性お二人でのご利用は少々狭くなってしまうかもしれませんが……」  スタッフが申し訳なさそうに言う。それでも構わないからとチェックインした。普通のビジネスホテルの一室だが、ベッドが一つしか置いていない。ダブルベッドなので二人寝られることは寝られるサイズだ。 「狭いにゃあ……」 「まぁ、しょうがないね。野宿よりマシだよ」  馨から先にシャワーを浴びた。馨が出た後遼真が入り、バスルームを出ると部屋に馨の姿がない。ベッドの上にもデスクの下にもクローゼットの中にもベランダにもどこにもいない。鍵が置きっぱなしでドアが開いたままなので、どうやら廊下に出たらしい。遼真も廊下に出てフロア内を探したが、やはり影も形もない。  エレベーターホール。いない。一階ロビー。いない。フロントは既に無人。自動販売機、給湯室、コインランドリー。やっぱりいない。もしかしたら先に部屋に戻ったのかもしれない。最後に喫煙所を覗いたら、いた。煙草を咥えて物憂げに空間を見つめている。 「馨ちゃん、何しゆうが」 「……あの部屋、禁煙やき」 「だからってパジャマでなんて……しかもスリッパやし」 「同じカッコして何を言いゆうが。髪も濡れたまんまで、物ぐさじゃのう」  遼真ははっと頭に手をやる。乾かす暇がなかったのだ。 「何をそがぁに慌てよったがか知らんけんど。焦らんでもわしゃもう逃げんぜよ。逃げる場所もないきに」 「ほいでも、焦るよ」 「おまん、そがぁにわしとしたいがか?」 「何を?」 「……何って……言わせなやぁ、こんスケベ」  馨は唇を突き出して、ふぅっと細い煙を吐いた。 「えっ……すけべ……って」 「したいがじゃろ。その……せ……せっ……」  馨は忙しなく煙を吸ったり吐いたりする。遼真は固唾を呑んで見守る。 「やき、……たっ、た、種付け! したいがじゃろ!」 「たね!? そ、そがなこと……」  あまりにも率直すぎる単語に、遼真は年甲斐もなく真っ赤になった。全身から汗が噴き出してしどろもどろになる。 「せ、せんよ、そがなこと……そ、だって、そがなこと、一言も言っちゃあせんのに、ど、どういて、そがなことになるがよ」 「嘘じゃ。おまん、わしのこと好きやち言うた」 「そ、そら言うたけど……」 「三回目のデートで告白して、四回目でセ……こ、交尾するんがセオリーやち聞いたぜよ。今日で四回目じゃき、そのつもりでおるがやろ。わしにはわかる」 「こ、告白、ちゅうのは、まぁ、確かに、僕は一応そのつもりやったけんど……ていうか馨ちゃん、今までの色々、あれ全部デートやっちゅう認識やったがか!? 飲み行ったり競馬行ったり銭湯行ったり!?」  遼真が声を張るとつられて馨も声を張る。 「はぁあ? ちゃう! 全然ちゃう! そがな意味で言うたがやない!」 「いんや、そがな意味で聞こえたぜよ! 馨ちゃん、今まで僕とデートしちゅうつもりでおったがや」 「ち、ちが、そがなんやのうて……」  こんこん、とガラスのドアがノックされる。馨と遼真は同時に振り向いた。機械的な笑顔を張り付けてホテルスタッフが立っている。 「他のお客様のご迷惑になりますのでお静かに願います。それから、スリッパはお部屋の中だけでお履きください。ロビーへいらっしゃる際は靴に履き替えてくださいますよう」 「……すみません」  二人は頭を下げ、大人しく部屋に戻った。エレベーターに乗ってボタンを押す。 「さっきはあんなこと言ったけど、僕の言う“好き”は、馨ちゃんの認識で合ってるよ」 「にゃっ!? や、やっぱり、わしとあれこれしとうて……」 「うん、まぁね。けどさすがに、今までの色々をデートだとは認識してなかったけど」  エレベーターが開くなり馨が逃げ出そうとするので、遼真はその腕をがっしり掴む。 「逃げんで」 「やっ……い、いやじゃ、こわい」 「何もせんき安心して。僕が、嫌がる相手に無体を強いるような悪党に見えるかい。君がいいと言うまで、何もしないから」  部屋に入り、遼真はフロントで借りた毛布を床に敷いた。枕を一つ持ってきて、これも床に置く。 「僕はここで寝るから、馨ちゃん一人でベッド使ってよ」 「えっ、は?」 「これなら安心して寝れるだろう? ほな、おやすみね」  電気を消す。遼真は毛布の隙間に挟まって丸くなった。  馨は普段ベッドで寝ない。子供の頃からずっと畳に布団を敷いていたし、今もそうだ。それにこのベッドはいやに広い。ダブルベッドだから当たり前である。馨はごろごろと寝返りを打った。大きな掛布団は、そのわりに固くて冷たい。 「……りょーまぁ」 「なに……どういたの」 「その……寒うないかよ、床なんぞに寝て……」 「寒うないよ。僕のことはいいから、はよ寝よう」 「けど……床は堅いろう。腰痛めてまうで」 「別に平気だよ」 「わ、わからんやつじゃのう。こっち来ぃ言いゆうのに」  遼真はむくりと起き上がる。ベッドを捲ると、胎児のような恰好で丸くなる馨と目が合った。 「本気で言いゆうの?」 「何もせん言うたきに……」 「添い寝だけならえいの?」  馨はぐるりと寝返りを打ち、ベッドの隅に移動する。 「そっち半分貸しちゃるき、好きに使いや」 「馨ちゃんがいいなら、ベッドで寝させてもらうよ。間に仕切りでも作ろうか?」 「何もせんでえい。寒いき、はよ入りや」 「ほいじゃあ、お邪魔します」  遼真もベッドの隅に横になった。何となく、お互いに背を向けて眠る。背中に体温を感じる。 「やっぱりベッドの方が快適やね。柔らかい」 「当たり前じゃ」 「にゃあ、そっち向いてもえい?」 「……いかん」  馨は両手でぐっと胸を押さえて溜め息を吐く。心臓が早鐘を打っていけない。 「……いかんちや……」 「わかったよ。おやすみ」  遼真は目を閉じた。と同時に、馨が再び寝返りを打つ。外側を向いていた体を反転させ、遼真の背中に取り付いた。 「か――」 「こっち向きなや!」  遼真も振り向こうとしたが、馨の一言で留まる。 「……こんままでいとうせ。寒いきに」 「うん」 「……りょ……りょーまは……わし、の、ことが……」 「好きだよ」 「っ……」  馨は何か堪えるように遼真のパジャマをきつく掴む。 「好いちゅうよ、馨ちゃん」 「も、もうわかったき、言わんでえい」 「寝れそうかい?」 「もう、寝るき、静かにしぃ」 「おやすみ、馨ちゃん」  遼真の声は子守唄のように馨の胸に沁みる。

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