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第四章 同棲 2 日常②

 翌朝。昨日と同様遼真の方が先に起き、朝ご飯の用意をして馨を起こす。昨日と同様一緒に朝食を食べ、仕事に行く遼真を玄関先まで見送った後、馨は食器を片付けた。それから、昨日はすぐに二度寝してしまったが、今日は部屋全体に掃除機をかけ、晴れていたからベランダに洗濯物を干した。  しかしその後はとんと暇になる。やることもない、金もない。昨晩遼真が読んでいた本を手に取ってみるが、案の定数行読んだだけで頭が痛くなる。寝室には遼真のデスクがあり、本の詰まった本棚もある。小説に、学術書、ビジネス書、図鑑や画集、外国語の教材などが、ジャンル別に整列している。 「漫画はないがか……?」  勝手に引き出しを開けるのは気が引ける。仕方ないので図鑑を手に取ってみる。宇宙の歴史がわかる本らしい。リビングまで持っていって読んだ。写真が多くて頭は痛くならなかったが、気づかぬうちに眠ってしまった。  夕方になり、いよいよ夕食の準備へと取り掛かる。まずはメニューを決めなくてはならない。昨日はスパゲッティだったから別のものにしよう。その上で、なるべく工程が少なくて時間がかからなくて失敗しなさそうなやつがいい。冷蔵庫の中身と睨めっこした末、野菜炒めに決めた。  八時半過ぎ、遼真が帰宅する。馨は玄関まで駆けていって出迎えた。 「おかえりぃ、りょーま」 「ただいま。わざわざ出迎えなんて」 「鞄、持っちゃる」 「あ、ありがと。なんか照れるね」 「風呂沸いちゅうし、飯もできちゅうよ」 「そんな台詞、どこで覚えて……」  遼真は赤らんで頬を緩める。しかし馨にはその意味がわからず、首を傾げた。 「どういたが? あ、スーツも脱がしちゃろうか」 「い、いいよ。自分で脱ぐき」 「ほいたら、飯が先でえいが?」 「うん、ありがとう」  遼真は緩んだままの頬をぺちんと叩いて気合を入れ直した。  肉と野菜を混ぜて炒めて味をつけただけの料理を、遼真は大層喜んで褒めてくれた。実際、皿に盛った時点ではなかなか悪くない出来栄えであった。しかし一口食べてみて、遼真は絞った雑巾のように顔を歪める。急いで麦茶を飲み干す。 「馨ちゃん、これ、すごい甘いよ」  馨も一口食べてみる。確かに甘い。甘じょっぱいのではなく、ただ単にお菓子のように甘い。遼真に負けず劣らず馨も酷く顔を歪めた。 「うへぇ、まっずい」 「砂糖と塩、間違えたのかな。今度ラベル貼っとこうね」 「……ごめんちや、りょーま」  ついでに味噌汁も飲んでみると、こっちはこっちで物凄く塩辛い。塩辛いのと情けないのとで涙が出そうになるのを、馨は唇を噛んで堪えた。 「もう食わんでえい。ひとっ走り行って、弁当でも買ってくるき」  馨が席を立とうとするが、遼真はそれを宥める。 「大丈夫だよ、食えないほどじゃないから」 「けんど」 「いいんだよ。誰だって失敗することはあるし、ほら、上から醤油かけたら案外食えるよ」 「ほうかにゃあ」 「味噌汁も、お湯で薄めればいいんだよ」  遼真は色々と創意工夫を施して、どうにか全て食べ切った。馨はもう胸がいっぱいになってますます泣きたくなる。 「馨ちゃんも唐辛子かけるかい。マヨネーズでもいけるよ」 「……えい。後で食う」 「にゃあ、そがぁに落ち込まんで。そうだ、一緒にお風呂入ろうか」  馨はそんな気分じゃなかったが、遼真に押されて一緒に入浴することになった。  賃貸にしては広い浴槽だが、大人が二人入るには少し狭い。遼真も馨も体育座りをして湯に浸かる。あの頃の二人ならばこのサイズの浴槽でももっと広々と使え、無駄にはしゃいで変な遊びをしたりしただろう。 「馨ちゃん、もうちょっとくっついてもいい?」 「うん……」 「もっと、こっち」  遼真は馨をぐいと抱き寄せた。耳がちょうど遼真の胸に当たり、馨はその鼓動を直に感じた。体温が急激に上がった。 「……普通の日はせん約束じゃろ」 「何もしないよ。でも、こうしてると元気になるから。素肌って気持ちいいだろう。僕、好きなんだ」  馨も好きだった。遼真の声も肌も好きだ。穏やかな鼓動を聞いているのも、逞しい腕に抱かれるのも好きだ。 「ねぇ、明日もさ、夕ご飯作って待っていてくれるかい」  遼真が優しい声で言う。馨は悩むふりをする。 「また今日と同じものでもいいから。今日、帰ってきたら君がいて、お風呂やごはんの準備をして待っていてくれたのが、すごく幸せって感じがしたんだ。だからこれからも……」  馨はやっと小さく頷いた。遼真はぱっと顔を輝かせる。 「本当かい。よかったぁ」 「……まさか、一回失敗しただけで心折れるらぁて、わしがそがぁに女々しいわけないろう」 「あはは、そうだよね。失敗は成功の基って言うし。明日、レシピ本でも買ってくるよ」 「……なるだけ簡単なのにしとうせ」  その後普通に体を洗って風呂を終え、何事もなく普通に就寝した。    *    翌日、馨はまた野菜炒めを作った。遼真に言われた通り、砂糖と塩は使う前に舐めてみて確かめ、調味料は少しずつ振り入れ、こまめに味見をした。馨は自信と緊張半々の面持ちで遼真に皿を出す。 「……ど、どうじゃ?」  遼真はゆっくり丁寧に咀嚼する。それからにこりと笑って頷く。馨もほっと安堵の息を漏らし、箸を延ばした。 「うまい!」 「うん。ちゃんとおいしいよ」 「にゃっはっは、わしにかかればこんなもんじゃ! 料理らぁて全然難しゅうないのう!」  馨は胸を張って豪快に笑う。しかし遼真の温かな眼差しに気づいた途端、急に恥ずかしくなる。 「やめぇ、そがな目で見なや」 「変な目で見てた?」 「ったく、わやにしくさって」 「馬鹿になんてしてないよ。そうだ、昨日言ってたレシピ本ね、とりあえず一冊買ってきたよ。本屋さんで平積みされてたんだ」  美味しい手抜きごはん、というタイトル。ぱらぱらと捲ってみるが、手抜きなのか何なのか馨にはわからなかった。 「それでさ、馨ちゃん」  遼真がすすっと寄ってきて馨の手を握る。指を絡めるようなその触り方が閨を想起させ、馨は仄かに赤面する。 「今晩、いいかな。平日だけど……」 「……仕事の前の日はせん約束やか……」 「けど、したいにゃあ。馨ちゃんがかわいいき、金曜まで待てん」 「……明日、起きれんようになるぜよ」 「起きれるよ。僕が寝坊したことなんてあった?」  こうなるともう馨は頷くしかできない。その晩のバスタイムは短く、夜は長かった。

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