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第九章 永い雨 2 秘密基地

 豊かな里山と清流に囲まれた、南国の田舎町だ。照り付ける太陽の下、馨はバス停ではなく山奥へ向かって坂道を上る。日に焼けた赤い髪は一つに纏められ、馬の尻尾のように揺れる。 「……馨ちゃん、どこに行く気? 小学校に行くなら、方向が違うよ」  古びた下駄がカラコロと返事をする。馨が向かっていたのは、山の中に作った秘密基地、その跡地だ。わざわざ言葉にしなくても、遼真にはそれがわかった。 「ねぇ馨ちゃん、そっちに行ったって何もないよ。帰ろうよ。まだ暑いし、帰って駄菓子屋でアイスでも食べようよ。何でも買ってあげるから」  しかし歩みは止まらない。遼真は馨を行かせまいとしながらも後を追う。草いきれに咽せ、小枝で腕を切り、蜘蛛の巣に引っ掛かり、蚊に刺されながら、藪を掻き分けて進む。そしてついに辿り着いた。十五年ぶりの、二人きりの秘密基地。 「……さすがに、あの頃のままっちゅうわけにもいかんにゃあ」  屋根代わりのブルーシートはどこぞへ吹っ飛んでしまって跡形も無く、骨組にしていたビールケースはばらばらに崩れ、壁のベニヤやトタンもあちこちに吹っ飛んで、残骸が無惨に散らばっていた。  かつて秘密基地だったその場所を、馨はぐるりと一周する。昔はかなり立派に見えたものだが、今では廃墟以下だ。ただのガラクタ。ゴミ置き場。しかしまぶたを閉じれば、在りし日の基地の様子を生き生きと思い返すことができる。それでいい。大切な物は全部ここにあって、過去は過去としてふさわしい場所へと返るべきだ。 「いつまでも昔のままっちゅうわけにもいかんがや。にゃあ、りょーま」  帰省後初めて、馨は明確に遼真に向けて口を利いた。 「馨ちゃん……?」 「わかるろう。にゃあ、りょーま。わしらはもう……」  馨は飛ぶ鳥のように滑らかに、遼真との距離を詰めた。その足下にしゃがんで跪き、素早くズボンを下ろす。遼真はたじろぐが、逃げられる前に馨はそれを頬張った。力なくだらんと垂れた、蛹のような男性器。男の蒸れた汗の味が口いっぱいに広がる。陰毛が歯に挟まってくすぐったい。 「ちょっ、ちょっと、馨ちゃん!?」  遼真は驚きに目を剥き、馨の頭を掴んで引き剥がそうとする。馨はますますきつく吸い付いて離れまいとする。ふわふわ柔らかかった性器はみるみるうちに硬く、大きくなっていく。蛹が羽化するような変貌ぶりである。馨の小さな口にはもはや収まり切らず、根元部分がどうしても食み出す。それでも一所懸命に咥えて奉仕する。 「ぁむ……んん……ふとい……」 「っ……か、馨ちゃん……こがぁなこと、せんでえい……き、汚いき……」  遼真は馨のポニーテールを掴んだまま、押すことも引くこともできずその場に釘付けになっている。時々苦しげに呻き、腰が勝手に揺れ、馨の喉を刺激する。それをも全て呑み込んで、馨は口淫を続ける。  こんなことをするのは生まれて初めてだった。味もにおいも良くないが、嫌悪感はまるでない。遼真のものだと思うと、大変に愛しく感じた。いつもこの太いものが馨の中に入って気持ちよくしてくれていたのだと思うと、感謝の念さえ湧いてくる。遼真の分身として、宝物のように丁重に扱ってあげたい。 「馨ちゃ……ほんまに、やめぇ……」 「んむ……きもひい?」 「き、気持ちえいき……もう、早う放し……」  馨が目だけで見上げると、遼真は余裕なさげに呻く。これ以上ないくらいガチガチに張り詰めているそれを、馨は限界まで迎え入れた。奥まで深く咥えながら、我慢汁でどろどろになった亀頭にたっぷり唾液を纏わせて舐め回す。拙い動きだが、遼真の反応は上々だった。じきに、口の中のものがピクピク震え始める。 「っ、く……か、馨ちゃん……も、いかん、出るき……」  馨は一層強くしゃぶり付く。滅多に拝むことのできない遼真の感じている声や表情がさらに馨を掻き立てる。もっと気持ちよくなってほしい。もっともっと気持ちよくさせてあげたい。音を立てて思いっ切り吸い上げてやる。  と、いきなり髪の毛をぐしゃぐしゃに掴まれ、頭を前後に揺さぶられた。乱暴に喉を突かれて目が回りそうになったところで、性器が一際大きく脈を打つ。と同時に、どろりとした青臭いものが口いっぱいに広がった。独特の風味と舌触りに、馨は思わず顔をしかめる。口の端から少し零れた。 「……っ、ご、ごめん」  目を瞑って呼吸を整えながらしばらく馨の頭を押さえ付けていた遼真だが、急に我に返ったようにぱっと手を放し、ズボンを上げる。  ようやく解放された馨は上目遣いに遼真を見、ごっくんと喉を鳴らした。出されたばかりの体液が喉を通っていく。苦くて生温い上にねとねとしていて飲みにくかったが、不思議と嫌な感じはしない。遼真のものだと思うと、まるで媚薬のように体に響く。飲んでしまうのがもったいないとすら感じる。これこそが正真正銘遼真の分身なのだ。  飲み干した証拠に、口を大きく開けて挑発的に舌を見せつけた。褒めてくれるかと思ったのに、遼真は怒ったように馨の両手首を掴み、背後にあった大木に体ごと押し付けて、怖い顔で馨に迫った。指の跡が残りそうなくらい、凄い力で手首を握られる。 「……馨ちゃん、どういてこんなことしたの」 「な、別に、何ちゃあやないけんど……」 「口でらぁて、今まで絶対せなんだのに」  遼真は馨に口での愛撫をしてくれるが、馨にそれを求めたことは一度もなかった。馨も、自らそれをしようと言い出すことも、行動に移すこともなかった。したくなかったし、たぶん、させたくなかったのだ。それでお互い何の問題もなかった。 「べ、別に、急にしてみとうなっただけやか。怒っちゅう?」 「だって……馨ちゃんがどういうつもりなのか、全然わからない。今までずっと怒ってて、徹底的に僕のことを避けてたくせに、何の前触れもなくいきなりこんなことするなんて……。ひょっとして、これで手切れにするつもりやないの。だからわざわざこんな場所へ連れてきたがやろう」 「て、ぎれ?」 「僕との仲を清算するつもりなのかい」  まさか。まさかまさか。そんなこと、あるわけがない。そんなつもりでここまで連れてきたのではない。しかし遼真は、こうと思い込むと周りが見えなくなる質だ。普段は違うのに、馨に対してだけはどうも冷静さを欠く傾向にある。 「りょ――」  弁明しようとした口を強引に塞がれる。乱暴に舌を捩じ込まれる。およそ二か月ぶりのキスがこんななんて嫌だ。いや、本当は嫌じゃない。遼真との口づけというだけで、その柔らかな唇に触れられているというだけで、腰がびりびり痺れてくる。我ながら正直な体をしていると思う。 「んぁ……や、やめ」 「悪いけど、一生離してあげられないよ。わかるかい。僕がどれだけ……」 「ちが……そ、そがなんやのうて……っ」 「いっそのこと、結婚でもしてしまおうか」  遼真が言った。さらっと言ったが、真っ直ぐで真剣な目をしていた。  刹那、馨は世界が息を止めたように感じた。あるいは世界と一つになったような気がした。宇宙の成り立ちも地球の息吹も生命の仕組みも、全て我がことのように理解できる。星の煌めきや雲の流れ、川のせせらぎや木々のざわめきも、全てを意のままに操ることができる。という奇妙な全能感に満たされた。ほんのわずかな間だけ。 「そうしたら簡単には――」  何か言いかけて、遼真はぎょっとしたような顔をする。馨が滝のような涙を流していたせいだ。自分でも気づかないうちに、泣いていた。水中にいるみたいに、視界がゆらゆら潤んでいる。遼真は慌てて馨の涙を拭う。いつも通りの優しい顔に戻っていた。少し困ったように、眉がハの字に下がっている。 「ごめん、ごめん、泣かすつもりはなくて……ああ、僕っていつもこうだ。ごめん、馨ちゃん、ごめんね」  目元をごしごし擦られる。遼真の指が馨の涙に濡れていく。少し力が強くて痛かったが、馨はされるがままになっていた。涙を拭いてくれる遼真の手が、昔から好きだった。 「りょーま」 「うん?」 「……わしこそ、ごめん」 「……そ、そがぁに嫌やった?」 「ち、違て……けっ……け、けっこん……は……う、うれしい……」  しゅんと俯いていた遼真は、たちどころに顔を輝かせた。一方馨は真っ赤になって俯く。恥ずかしいやら嬉しいやら、止まっていたはずの涙がまた滲んでくる。 「……って、ことは……あれ、でも、なんで……」 「やき、そがなつもりやないち、言っちゅうやか。わし、りょーまが好きやき……」  勘違いに気づいた遼真も、恥ずかしそうに笑う。 「そ、それなら、もっと早う言うてくれたら……」 「そがなん言えん! ……やき、行動で示したのに、先走って変な勘違いしちゅうし……」 「いや、だって、なんか意味深なこと言うから……勘繰っちゃって……」  馨は遼真の腕から抜け出し、木の陰に隠れた。顔を見られたくなかった。 「にゃ、にゃありょーま、わし……」  拳を握り、覚悟を決める。 「わし……おまんについていく」 「えっ?」 「ち、地球の裏側でも、どこでも、おまんと一緒におりたい。わしを連れていきとうせ、りょーま」 「……馨ちゃん……」  遼真の手が伸びてきて顎に触れる。馨は慌てて下を向いた。 「顔見せとうせ」 「絶対いやじゃ。変な顔しゆうき……」 「けど、口吸いたいにゃあ。いかん? こじゃんと優しゅうするき、にゃあ」  ずるい男だ。そんな顔でそんな風に甘い声で言われたら、顔を上げてしまう。  むに、と唇が触れた。乱暴にではなく、探るように舌が入ってくる。唇をちろちろ舐められて、前歯の裏から上顎をくすぐられる。ぞくぞくして、全身の毛が逆立つ。気持ちいい。泣きたくなるくらい。遼真の味がする。全部飲み尽くしてしまいたい。  遼真は優しく馨の肩を抱く。浴衣を開(はだ)けさせて、するりと胸を撫でる。粒立っている桃色の突起を捏ねられるともう堪らない。腰が抜けそうになって自力で立っていられず、木に背中を預けようとした。が、逆に抱き寄せられて遼真と密着する形になる。 「い、いかん、立てん……」 「口吸うただけで、ふにゃふにゃになってもうて」 「だ、って……久しぶりやき……しゃあないやか」 「ほいたら、ちゃんと掴まっちょって」  キスをしながら、馨の腰を抱いていた遼真の手はさらに下へと下りていく。柔い双丘を撫で、大胆に浴衣を捲り上げる。裾を帯に挟み込もうとして、手が止まった。 「……馨ちゃん、パンツは?」 「……脱いできた」 「……家から?」 「ん……じゃ、邪魔やろ。どうせ、脱ぐつもりやったきに……」 「……破廉恥だ……」  指摘されて、羞恥に顔が火照る。  遼真のしなやかな指が、柔肉を開いて秘所に触れる。まず中指が、次いで薬指が、ゆっくりと泥濘(ぬかるみ)に沈む。ぴく、と太腿が引き攣った。腹の奥が疼く。遼真の胸にもたれて、馨は身を捩った。 「ぁ、ま、待っとうせ、ゆっくり……」 「でも、痛うないろう? すぐ呑み込んでくよ」 「痛うない、けんど……ゃ、やさしゅう……」 「優しゅうしちゅうよ」 「あ、ぁ……」  馨はきつく目を瞑る。遼真の指が、まるで一つの生き物のように体の中で蠢く。その感触が懐かしい。耳元に感じる遼真の息遣いが懐かしい。 「……りょーま……も、えいき……」 「けど、まだあんまり」 「えい……はよう、繋がりたい……」  遼真は前を寛げる。馨の右足を掴んで、大きく持ち上げた。白日の下、秘所が丸見えになる。馨は反射的に股を閉じようとする。 「だめだよ」 「けど、や、やっぱり……は、恥ずかしいちや。よう考えたら、ここ、山ン中じゃし、まっこと明るうて、何もかんも見えてまう……」 「だからいいんじゃないか。ほら、力抜いててね」  キスをされると、体が勝手にリラックスモードになる。まるで飼い馴らされたネコちゃんだ。緩んだところへ、ゆっくりと怒張が押し込まれる。あくまでもゆっくり、ゆっくり、労わるように、狭い蕾を押し開かれる。遼真に合わせて、馨はゆっくり息をする。 「……きついな」  溜め息交じりに遼真が呟く。馨は堪らず締め付ける。するとまた遼真が息を漏らす。 「く……」 「りょ、ま……」  久しぶりすぎて、遼真の形を忘れた。こんなに太かったろうか。こんなに硬かったか。こんなにエラを張っていただろうか。なんだか処女に戻ってしまったみたいだ。不安も痛みもないが、まるで初めてした時のような感覚だ。  木肌に爪を立ててがりがり引っ掻くと、遼真が優しく手を取って、背中へ回すように誘導してくれる。馨は遼真に抱きついて、背中をがりがり引っ掻いた。 「ごめん。痛い? 苦しい?」  馨は首を横に振る。 「も、もっと、奥まで……」 「……あんまり煽らんで。ただでさえ……」  ぐ、と体が突き上げられる。パズルのように凹凸がぴったり噛み合い、一つになって溶け合う。遼真のものがへその辺りまで届いている。馨はうっとりと腹を摩る。ここに確かに遼真がいる。 「動くよ」 「ん……」  ゆるゆると抜けていっては、再び奥まで突き上げられる。馨は腰をくねらせて遼真を迎え入れる。快感に背中が丸まったり、海老反りに反ったりする。突かれる度、快楽の渦が縦横無尽に全身を巡る。ぐるぐるして目が眩みそうになる。馨は遼真にしっかりしがみついた。首筋の、それから頬の匂いに安心する。いつも通りの遼真の匂いがする。 「りょーまぁ」 「うん」 「……すき……」 「僕も好きだよ。馨ちゃん」 「りょーま……」  視界がぼやけて二重になる。世界が本来の輝きを取り戻したように見えた。 「馨ちゃん、また泣いてる」  まぶたを擦ろうとしたが、その前に遼真の舌が涙を舐め取った。 「しょっぱいね。汗も混じってるのかな」  遼真は笑った。優しい笑顔だった。馨は胸がいっぱいになる。 「か、馨ちゃん? どうして泣くの」 「……わし……りょーまが好きじゃ……」 「わかっちゅうよ」 「好きで……好きで好きで、どうしようものうなるくらい、好きで……」  こんなにも切ない思いをするなんて知らなかった。知っていたつもりだったのに、何も知らなかった。目の前の男に骨の髄まで愛され尽くしたい。 「わし、意地張っちょった……ほんまはずっと、おまんのことだけを考えよった……やのに、なかなか言い出せんで……」 「僕こそ、もっとちゃんと君に向き合うべきだった。ごめんね」 「わしは、ただ、怖かったがや……おまんが、遠い国へ行ってまうち……わしはまた、おまんに置いてかれるがか思うて……恐ろしゅうて、堪らんで……」  馨は遼真を掻き抱いて、その肩に額を押し付けた。  もう二度と、あんな思いはしたくない。朝起きて、遼真がいないことを思う。遠くへ行ってしまったから会えないことを思い出す。その喪失感を思い出す。毎朝毎晩飽きずに繰り返す。  独りきりの通学路、独りきりの通学バス。視界の隅に、景色の端々に、遼真の影を追ってばかりいる。でもどこを探してもいない。会えない。こんなに会いたいのに。もうきっと、一生会えない。そう思っては泣き、怒り、八つ当たりをし、また泣いた。  遼真は馨の頭を撫でる。まるで馨のためだけに存在するような、大きくて優しい手。今も昔も、この手が馨を慰め、慈しみ、正しい方へと導いてくれる。そう信じている。 「ごめん、馨ちゃん。もう絶対、君を一人にしないから」 「約束?」 「うん、約束。今度こそ、必ず守るよ」 「もし次、わしを置いていったら、許さんき」 「置いていかんよ。地球の裏側でも、ついてきてくれるんだろう」 「わしを二度と離しなや。わしから二度と離れなや。もっとぎゅっとしておうせ。抱いとうせ、りょーま」 「もちろん。秘密基地だって作ってあげる」  それはもうあるから、いらない。馨は心の中で呟いた。  大きく育った樫の木の枝葉の影でしばし羽を休めていた、巣立ってまもないメジロの若鳥が、今また大空へと勢いよく飛び立った。元いた場所を振り返ろうともせず、一直線に青空へと羽ばたく。

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