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第11話 本当の恋
水曜日の朝8時、黒澤陽太はすっかり見慣れた扉の前でインターホンを押した。共に1限を取っている水曜と金曜は、隣人の志田誠を起こすという使命があるのだ。
3回目のインターホンを鳴らした頃、やっと眠そうな志田が、瞼を擦りながら扉を開けた。
「おはよう。起きたばっか?」
「……ん。5分で準備するから、ちょい待って」
「慌てなくて平気だよ」
「……ん。ありがと」
まだ寝巻き姿の志田は瞼をこすりながらも、玄関へと入れてくれる。いつも寝坊している志田だが、今日はいつも以上に眠そうだ。
今日の志田の寝巻きは、高校時代の体育で使っていたと思われる膝上の赤い半ズボンに、伸び切って、胸元がだるんだるんになった白Tだ。
志田が何かを取ろうと屈むたびに、桃色の突起が垣間見え、思わずため息をつく。
ー相変わらず無防備すぎる。先週のことがあって、少しは意識してくれてると思ったんだけど。
先週の土曜日、志田と初めてデートをした。まぁ、デートと思っていたのは俺だけのようだが。
昨日は火曜だったが、ステップは休刊だったし、お互い課題に追われていたこともあり、会えなかった。デート後、会うのは今日が初めてだ。そのせいか、心臓が妙にざわつく。こんなのは自分らしくない。
正直、初めは興味本位で志田に近づいたことは否定しない。しかし、仲を深めるたび、本気で志田を欲しいと思うようになった。
なんだろう。志田はとにかく可愛いのだ。この可愛さを他の人には知られたくない。独り占めしたいと強く思う。
だから志田には猛アプローチをしてきたつもりだ。志田は鈍くてピュアみたいだから、回りくどいことはせず、直接的に好意を伝えている。
にも関わらず、志田は本気にしてくれる様子がまるでない。
今日の無防備な様子を見ている限り、それは現在進行形のようだ。
もう一度ため息を溢すと、ポツが部屋の奥からとことこと歩いてきた。その可愛さに心臓が少し落ち着きを取り戻す。
ーポツは本当に癒しだな……。まぁ、焦らずゆっくりって感じかな。
黒澤はポツの頭を優しく撫でながら、自分の心を宥めた。そろそろ着替え終わった頃かと思い、視線を志田の方に戻すと、先ほどより大きなため息が口から溢れ出た。
視線の先には、Tシャツを右手に持ったまま、上半身裸でボーッとしている志田が居る。薄っぺらくて白い身体は今にも折れそうだ。
志田は寝起きが人一倍悪い。いつも朝は、動きも頭の回転もすごくゆっくりだ。それにしても今日は酷い。着替えくらいはいつも素早く終わらせるのに。
「志田、早く服着て」
動きが停止していた志田に、少し強い口調で言う。
「……慌てなくていいって言ったじゃん」
「時間の問題じゃなくて」
呆れ顔で言うと、志田は眉を顰め、首を傾げる。
これは正直に言うしかないようだ。
「はぁー。もう。目のやり場に困るって言ってんの」
黒澤のその一言に、開ききっていなかった、志田の目が大きく開き、まん丸になる。そしてあっという間に耳まで真っ赤になる。
本当にこの反応はずるい。可愛すぎて許してしまう。
「は、いや、俺の裸なんて見てもなんもないだろ!」
「好きな子の身体に反応しない男なんて居ると思ってるの?」
「……なっ!?」
「とにかく早く服着て」
思わずいつもより低いトーンで言うと、志田は困惑しつつも素直に従い、見慣れた無地のTシャツを身につける。
「準備できたなら行こう」
「あ、うん」
感情を抑え、いつも通りの優しい言い方と笑顔で言うと、志田はわかりやすく安心した表情を浮かべた。
こんな風に可愛い反応ばっかりするから、どうしても虐めたくなってしまう。
黒澤はなんだかやるせない気持ちになり、自分の髪をわしゃわしゃと掻きながら、部屋を後にした。
いつものように志田とたわいもない会話を交わしつつ、大学へと向かう。会話のほとんどがポツとステップのことだ。
志田はすっかりポツのことを溺愛しているようだ。写真を見せながら、「この前ポツが」と楽しそうに報告してくる姿は愛らしい。それでも、ずっと飼うつもりはないらしい。
今更、離れることなんてできるのだろうかと心配になる。しかし、志田は一度決めると、意外と頑固で、もっと良い飼い主が居るはずだと言って聞かない。
志田だって、十分良い飼い主だ。もっと自信を持てばいいのに。
そう思いつつも、それができないのが志田誠という人間であるとも感じる。
大学に近づくいていくと、学生と思われる若者がどんどんと増えていく。そして、前方に、何やら見覚えのある男3人組を発見した。
なんとか記憶の奥から捻り出し、同じサークルの奴らだと思い出した。まぁ、名前も覚えてないくらいの仲だ。向こうもこちらには気づいていないようだし、声をかける必要はないだろう。
そう思い、志田との会話を続けていると、前方から大きな笑い声が聞こえてくる。
「いや、ほんとそれ俺もずっと思ってた」
「だよな、あいつゲイなことカミングアウトしてるの絶対、女ウケのためだろ」
「な、俺は女の子の気持ちもわかるよ、的な? んなこと言って、絶対下心あるだろ」
「まぁ、むしろなくて本気で男好きなら、それはそれで気持ち悪いけどな」
一通り言い終わると、スッキリしたのか、3人はまた下品な笑い声をあげる。
ほんと、どうしようもない奴らだ。そんなんだからモテないってなんでわからないのだろうか。
こんな陰口は、自分に1ミリのダメージも与えない。むしろ陰口でしか、己のストレスを発散することができない奴らには心底同情する。
もちろん、ずっとこうだったわけではない。少しの陰口を気にし、塞ぎ込む時期だってあった。
でもそんなことはとうに乗り越えた。そしてそれは自分が恵まれていた証拠だろう。
自分のセクシュアリティを家族は悩みながらも受け入れてくれた。
もちろん全員ではないが、ゲイだと知っても変わらず、仲良くしてくれる友人も居る。
そして、1番は同じ性指向を持ち、相談に乗ってくれる存在が自分には居た。
ゲイがどのように生きるべきか。そいつは色んな場所に連れて行きながら、教えてくれた。性行為もそいつに教わった。まぁ、今は身体の関係はやめたわけだが。
でも多分、志田は違う。自分の全てを認めてくれる人と、まだ出会えて居ないのだろう。
詳しいことは聞いていないが、男が怖いと言っていた。暗闇で小さくなり震えていた。そして今も、自分が言われたかのように、顔を真っ青にしている。
そんな志田を見ると、黒澤の心臓は握り締められたかのように、ジワジワと痛む。
「あれ、間違いなく俺のことだね。まぁ、慣れてるし、今更何とも思わないよ」
俯いている志田に、黒澤は苦笑いを浮かべながら、なるべく優しい声色で言う。
「……うん」
「だからそんな顔しないでよ。みんなから認められなくったて、別に良いんだよ」
「……わかってるけど、でも……」
「もー。なんで志田の方が泣きそうになってんだよ」
「……なってない……。でも……俺……お前はみんなから好かれてると思ってた。苦労してないんだろうなって……。だから、なんか申し訳なくて……」
その言葉に少し驚いた。志田が罪悪感を抱く必要なんて、どう考えてもないだろう。
「……まぁ、俺だって嫌われてる人には嫌われてるよ。でも理解者が多いことは確かだし、別に苦労してるわけでもない。だから志田が罪悪感抱く必要は全くないから」
「……うん」
「ほら、だからそんな落ち込まないで」
「でも、その……。俺だって、と、友達のこと……悪く言われたら嫌だよ」
「友達、ね」
「……ツッコむとこそこかよ」
「ははっ。うそうそ。心配してくれて純粋に嬉しい。でもほんとに俺、気にしてないから大丈夫だよ」
「……ん。でも……傷つく時は傷ついても良いと思う」
「……うん。ありがとね」
「……別に」
「今度からなんかあったら、志田に慰めてもらうね」
「……なっ! お、お前はすぐそういうこと言う!」
「ははっ! ごめんごめん。じゃあ俺こっちだから。また」
黒澤は教室に向かいながら、大きなため息をついた。
志田はなんて綺麗な心を持っているのだろう。誰かを思って自分も傷つくというのは、簡単にできることではない。
志田はの心は純粋で綺麗で、まるで真っ白なキャンバスのようだ。そして、そのキャンバスを汚してしまいたいと思う自分が居る。
キャンバスは絵を描くためにあるのだ。真っ白のままでは意味がない。
色々な色を使って、グチャグチャにしてしまいたい。
こんなに暴力的な感情は初めてだ。でも、それ以上に大切にしたいとも思う。志田の涙を拭ってあげたいし、震える肩を抱いてあげたい。自分が志田の怖いものを全て拭い去ってあげたい。そして笑って欲しい。
この感情はなんだろう。
答えは明確だ。
これを恋と言わずしてなんと言う。
こんなに誰かを渡したくないと思ったのは初めてだ。志田を誰にも取られたくない。笑わせるのも、泣かせるのも全部自分が良い。
そうか、これが恋なんだ。これまで恋心だと思っていた感情は違った。
ー志田が俺の初恋の人なんだ。
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