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第12話 決意
正直に言うと、今とてつもなく緊張している。
もう見慣れたはずの志田の家の扉の前で、黒澤は右往左往していた。
自分はずっと恋多き人生を送ってきたつもりだった。実際、彼氏やセフレはたくさん居た。みんな一緒に居て落ち着いたし、ちゃんと好きだった。そう思っていた。
片想いだってたくさんしてきたつもりだ。ノンケを好きになったりもしたし。
でも今思うと、どれも本気ではなかったのだろう。
パートナーに別れたいと言われれば、フィーリングが合わなかったんだなと思って、すんなり受け入れていたし、片思いの相手に彼女ができれば、やっぱりそうだよな、とすぐに身を引くことができた。
なのに、志田に対しては違う。志田が誰かに取られるなんて考えただけで、はらわたが煮え繰り返りそうだ。
これが本当の恋なんだろう。
自覚してからは自分で自分に驚いた。志田を見るだけで心臓が音を立てだすし、触れたいと思う。でも嫌われたくないという強い思いから我慢する。
基本、ターゲットを決めたら積極的にアプローチする方だったので、本当にこれが自分なのだろうかと不安になってくる。
同時に、本気で好きだったら当たり前だとも感じる。
好きな人に嫌われたくないから臆病になってしまう。そんなのはきっと当然のことで、これまで自分がいかに軽い恋愛をしてきたかを痛いくらいに自覚した。
だからこそ、初恋を自覚してから初めて志田の家に行く今日、なかなか扉を開けられずにいるのだ。
ーふぅー……。落ち着け落ち着け、いつも通りにいかないと。
これ以上扉の前でウロウロしていたら通報されかねない。
黒澤は大きく深呼吸をし、インターホンを鳴らした。ガチャっという音と共に、志田が視界に入ってくる。
その途端、頭の中は可愛いと触りたいという感情で埋め尽くされる。志田の一挙一動が愛しくてしょうがない。
「おはよ。ステップ買ってきた?」
「もちろん。ケーキも買ってきたよ」
「え、いちいち手土産いらないって言ってんのに……。でも、まぁ、嬉しい。ありがと」
「うん」
ー可愛い。ちゃんとお礼言うの、ほんとに可愛い。ケーキ好きなのも可愛い。
つい先刻まで緊張していたが、一度志田と会話すると、緊張より愛しさが勝る。
共に定位置に座り、ケーキを食べる。チョコレートケーキを幸せそうに頬張る志田を見ていると、自然とこちらの顔も綻ぶ。
食べ終わると、いつもみたいに2人とも無言でステップを読み、熱く語りだす。やはり1番盛り上がるのはヒーロー大戦の話題だ。
興奮を抑えつつ、志田が言う。
「今週もすごかったな。最近、毎週なんかしらの伏線回収されてる気がする」
「だね。毎週集中して読まないとって感じだよね」
漫画は以前から普通に好きだった。でも正直、暇な時に読んでいたくらいだ。
しかし、志田の話についていきたくて、ヒーロー大戦だけはしっかりと追った。考察動画を見たり、ファンブックを読んだりもした。
好きな人の好きな物は、自分も好きになりたいという感覚を初めて味わった。でも実際、背景や伏線を理解した上で作品を読むと、面白さは何倍にも増大した。
そのおかげで最近では、漫画が暇つぶしという立ち位置から趣味へと移行しつつある。
それもこれも志田のおかげだなと感じ、また好きという気持ちが膨らんだ。
志田と居ると、柄にもなく緊張するし、なんだか情けない男になる。でもそんな自分に、不思議と嫌悪感はなかった。
むしろ、新しい自分に生まれ変わったような、フレッシュで満ち足りた気持ちになる。
志田と居る時の方が、自分のことを好きになれる気がした。
だからだろうか。翌日のサークルの飲み会では、いつものノリに、どうもついていけなかった。いつもどんな風に笑っていたのか全くわからない。
「体調悪いの?」と、聞かれる程、引きつった笑みをうかべてしまっていたらしい。
こんなんではお互い楽しくないと思い、早めに抜けさせてもらうことにした。
居酒屋を出ると、なんだか嫌な雲が浮かんでいた。
早歩きで帰路を辿っていると、見慣れた愛しい背中が視界に入る。
「志田!」
「っ! ……なんだ黒澤か」
ビクッと肩を小さく上に動かしてから、振り向いた志田の姿に、また愛しさが込み上げてくる。
「帰り道で会うの珍しいね! なに、どこ行ってたの?」
「バイトの帰り。お前は?」
「サークルの飲み会行ってた」
「ふーん。意外と帰ってくんの早いのな」
「なんか嫌な雨来そうだしね」
ほんとは違うが、雨のせいにしてしまう。
先程まで笑えなかったのが嘘のように、自然と口角が上がる。
「うわ、たしかに。なんか嫌な雲ある……」
夜空を仰ぎながら、志田が眉間に皺を寄せる。そんな表情ですら可愛く思う。
「でしょ、早歩きで帰ろ。……って、降ってきちゃったね」
雨はポツポツと一度降り出すと、一気に豪雨になっていく。激しい雨が地面を打ちつける。
「やばっ! でも一時的なやつっぽいね。とりあえずどっか屋根あるとこ行こ」
志田の細い手首を掴み、横道にそれ、シャッターの締まった商店街へと入っていった。田中青果店という名前と電話番号が書かれた、屋根のあるシャッターの前に2人は駆け込んだ。
夜の商店街は灯りなどが消え、すっかり真っ暗だった。
「うわ、すごい雨。とりあえずここで避難して落ち着くの待とっか」
黒澤は犬のように頭を振って、雨水を振り落としながら、志田の方に視線を向ける。
そこで、異変に気がついた。
ーそうだ。志田は暗いのが苦手なんだ。
停電した時も、映画館でも志田は捨てられた猫のように身体を小さくして震えていた。
そんな志田を見ると心臓を針で貫かれたような鋭い痛みが走る。
志田にどんな過去があるかは知らない。それでもよほど辛いことがあったのだろう。
もちろん、自分に打ち明けて欲しいという気持ちはある。
でも、無理に話してほしいとも思わない。志田が話したい時に話せばいい。
その時を待つことしか自分にはできない。
「志田、大丈夫? 寒い?」
震えている志田の肩に優しく触れる。
「……だ、だいじょうぶ」
「そんな真っ青な顔で言われても説得力ないって。1回座りな。これ使っていいから」
自分の上着を脱ぎ、志田の足元に置いてやる。
「……いい」
必死に声を絞り出し、抵抗する志田に、少し苛立ってしまう。
なんでこんな時まで気を使うのだろうか。
「いいから。座りな」
やや強引に肩を押してみると、志田は身体にあまり力が入っていなかったのか、がくんっと崩れるようにしゃがみ込んだ。それでも黒澤の服の上には座ろうとしない。おしりは宙に浮いたままだ。
「志田。もうどうせ床に置いてるんだし、変な遠慮しないで座りなよ。……志田?」
黒澤の言葉はもう届いていないようだった。志田は両手で耳を塞ぎ、顔を伏せながら震えている。
そんな志田を見ていると、悲しみ、いや怒りかもしれない。とにかく複雑な澱んだ感情が腹の底から押し上げてきて、堪らなくなる。
ーだめだ、もう限界。
黒澤は志田と同じ視線になるようにしゃがみ込み、なるべく力を込めずに、震える小さな身体を抱きしめた。
「え……」
志田は驚いたのか、少し顔を上げた。その瞬間、志田の顔を両手で包み込む。
「志田。俺を見て。今ここに居るのは俺と志田だけ。なんも怖いことないよ」
「……うん」
まるで子供のように頷く志田に、少し笑ってしまう。
「ここに居るのは志田と、志田のことが大好きな俺だけ。わかった?」
「な、な!?」
「ははっ。顔真っ赤」
「お、お前がまた変なこと言うから!」
「いつもの調子に戻ってよかった。志田が元気ないと俺も辛い」
「……うん」
また子供のように頷いた志田の様子に、徐々に感情の波が落ち着いていく。
しかし次の瞬間、志田の真っ黒で大きな瞳が歪み出した。予想外の出来事に再び心臓が暴れ出す。
「え、どうした!? ごめん、俺なんか気に障ること……」
「ち、ちがう。これは、その、あれだよ」
「あれ?」
「う、嬉しい方のやつ。だから大丈夫。あの……ありがと」
真っ直ぐな瞳でそう言われ、抑えていた感情が次々と溢れ出す。
志田の助けになるにはどうしたらいいのだろう。
どうやったらもっと笑わせてあげられるだろう。悲しい涙を流させなくて済むのだろう。
なぜ志田が震えなければならないのか。
志田のために自分にできることはなんだろうか。
返事がないことに不安になったのか、こちらを遠慮がちに見つめている志田を、もう一度優しく抱きしめた。
壊れないように、優しく。
自分の愛情が伝われと願いながら、優しく優しく抱きしめた。
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