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第14話 明けない夜
【黒澤! 今週のステップ読んだ!?】
【あー……。志田、ごめんね。俺、そうゆうの、もう付き合えないや】
【え……?】
【最初は志田の反応が面白いから絡んでたけど、もう飽きちゃった。俺には本命いるし……】
そう言いながら黒澤は、スーツを纏った高身長の男の肩を抱き、暗闇に消えていく。
「っ! 待って!」
誠は、叫び声と共に飛び起きた。夢だと理解すると、肩を上下させながら、必死に空気を肺に取り込む。
最悪すぎる目覚めだ。
こんな悪夢を見た理由は明確だ。間違いなく、昨夜目撃した光景のせいだ。
昨日のバイト後、いつもの帰路を歩いていると、道路を挟んで向かい側にある居酒屋の外に、黒澤らしき人物を発見した。またサークルの人とでも飲んでいたのかと、誠は少し呆れたが、自分には関係ないことだと思い、再び歩き出そうとした。
しかし、次の瞬間、足が動かなくなった。黒澤が後から出て来た男の肩を抱いて歩き出したからだ。その男はどこか見覚えがある男だった。
その時、ダメだとわかっているのに、足は自然と横断歩道を渡り、向こう側の道路へと動いた。誠は黒澤達の後をつけるような形で、同じ道路を歩き出した。
そして、確信した。黒澤が肩を抱いて歩いているのは、以前、誠が目撃した男だ。黒澤の家の前で、親しげに黒澤と抱擁を交わしていた男。黒澤がセフレと言っていた男。
だから何だって言うんだ。あいつの言うことは、ほとんど冗談だと分かっていたはずだ。セフレと切ったなんて嘘だった、それだけのことだ。
黒澤のからかいを本気にしてはならないと、何度も自分に言い聞かせてきたではないか。
それなのに、心臓は握り潰されたかのように痛んだ。軽くてチャラいやつだけど、それだけじゃないんだって、最近分かってきていたから。
黒澤は決して、みんなに好かれていたわけではなかった。きっと色々な苦労もしてきたはずだ。しかし、そんなことを感じさせない彼の明るい言動や行動が、多くの人の心を惹きつけるのだ。そして、そこには強い精神力が必要だろう。自分にはきっと出来ない。
黒澤が何の苦労もせず、皆から受け入れられているなんて、自分は大きな勘違いをしていた。
それなのに黒澤は、自分の冷え切った心に何度も温もりを与えてくれた。冷たい手を、身体を、頬を、優しく包み込んでくれた。
だからって黒澤を完全に信じていたわけではない。だけど、それでも、信じてみたいとは思っていた。はじめて自分を曝け出せるかもしれないと、そう思っていたんだ。
この場を離れなければと思うのに、足が地面に縫い付けられたかのように動かない。頭もハンマーで殴られたかのように、ぐわんぐわんしていて、まるで働いてくれない。
【え、志田!?】
聞き慣れた心地良い声が耳に入り、誠はやっと我に帰った。そして、同時に焦りと緊張で、小さな心臓が破裂しそうになる。
気づくと黒澤は、先程の男とは別れたようで、1人で誠の目の前に立っていた。
【バイトの帰り? えっと、いつからそこに居たの……?】
その言葉に突然、熱くて激しい感情が腹の底から湧き上がって来た。
【なに? なんか見られて困ることでもあったの?】
【いや、別にそういう訳ではないけど……】
【別に、お前がセフレと関係続けてたって、俺には関係ないことだろ?】
黒くて、歪んだ醜い感情が腹の底から湧いてきて、止まらなかった。口が勝手に動く。それに、こうやって悪態をついていないと、涙が溢れ出しそうだった。
【志田、それ本気で言ってんの】
黒澤の瞳を見るとさらに涙が溢れそうで、誠は俯く。悲しみと怒りが交互に襲って来て、自分でも訳がわからない。
【本気も何も、俺らはただの友達だろ……? 好きなんて、お前はどうせ誰にでも言ってるんだろうし】
【志田にしか言ってない。俺が好きなのは志田だけだよ】
【……っるさい! そういうの、いい加減にしろよ! しばらく話しかけんな!】
もう限界だった。腹の底に溜まっていく気持ちの悪さを発散させようと、誠は精一杯の声でそう叫び、駆け出した。邪念を払うかのように、全速力で家まで走り、乱暴にドアを開け、ベットに倒れ込む。
いつともは違う誠の様子に気づいたのか、ポツもベッドに上がり、誠の隣にやってくる。そして、慰めるかのように、自分の頭を誠の手に擦り付ける。その姿が愛おしく、誠はポツを優しく抱きしめた。
【ごめんな、ポツ。もう黒澤来ないかもしれない……】
もう何も考えたくなくて、誠はそのまま意識を手放した。
悪夢のせいで、昨夜の記憶が鮮明に蘇り、再び怒りと悲しみが込み上げてくる。何に悲しんでいて、何にイラついているのか、自分でも分からない。
でも、これまで味わったことのないような、黒く澱んだ気持ちの悪い感情と、今にでも破裂してしまいそうな程の心臓の痛みが常時、誠を襲ってくる。
「学校、行かなくちゃ」
きっとこんな気持ちは今だけだ。少し黒澤に心を許しすぎただけで、また元の関係に戻ればいい。
俺は1人で大丈夫。
自分に必死にそう言い聞かせた。とにかく何かしていないと心が悲鳴を上げてしまいそうなので、シャワーを浴び、支度を済ませ、いつもより早めに大学へと向かう。
幸い、課題やアルバイトなど、やることは山ほどある。そうやって何かに追われていれば、次第に黒澤のことなんて忘れられるだろう。
しかし、一歩外に出ると、周囲は黒澤との思い出が詰まった場所で溢れ返っていた。
くだらない会話を交わしながら歩いた大学までの道、一緒にステップを買いにいったコンビニ、初めて2人で出かけたホームセンター。
自分にとって、黒澤がどれほど大きな存在になっていたのかを気づかされる。
深く関わろうとするからこうなるんだ。ずっと1人で居れば、それが当たり前になる。上辺だけで付き合って、深くは信用せず、好かれも、嫌われもしない存在。それがやっぱり1番楽なんだ。
心の痛みを押し殺し、誠はただひたすらに、大学へと足を動かした。
「あれ、今日は1人?」
大学にたどり着くと昴が驚いた表情で近づいて来る。
「おはよ。そうだけど」
「最近、1限ある時いつも、えと……あのイケメン……黒澤だっけ? と一緒に来てたじゃん。なに、喧嘩でもしたの?」
昴は変なところで無駄に鋭い。
「は? 別に部屋が隣だから、たまたま会ってただけだし。元々そんな仲良いわけじゃない」
「……ふーん。まっ、誠がそう言うならいいけどさっ」
そう言いながらも、昴は何か言いたげな表情で、誠を見つめている。
「……なんだよ。なんか言いたいことあんなら言えよ」
「いや、べっつにー。まぁ、喧嘩するほど仲が良いって言うし、あんま意地張るなよー」
「なっ! だから、ち……」
「んじゃ、俺はこっちなんで。またなー」
昴はふざけた言葉を残し、ニヤニヤと足早に去っていった。
ーもう……なんだよあいつ。別に意地なんか張ってない。あー、もう! だから黒澤のこと考えるのやめだってば!
誠は邪念を払うため、普段はあまり行かない図書館へと向かった。経験上、こう言う時は勉強するのが1番無駄なことを考えずに済む。
誠は、全神経を課題に集中させることにした。幸い、提出しなければならないレポートは多い。
図書館に来るのは入学時のオリエンテーション以来だった。田舎の学校とは比べ物にならない規模の施設に、誠の胸は高鳴る。
朝の図書館の人はまばらだった。静かに朝の読書を楽しんでいる人。突っ伏して眠っている人。せっせと課題を行なっている人。皆、それぞれ自分のやりたいことを、思いのままに行なっている。
誠はこのような、静かで厳かな図書館の独特な空気感が以前から好きだった。
ーこれなら無駄なことは考えずに済みそうだ。やっぱり図書館に来たのは大正解だった。
珍しく自分の決断を賛美した。
しかし、それはすぐに最悪の決断へと姿を変える。
「うそ、お前志田?」
背後から聴こえてきた声に、誠の身体は、恐怖と緊張で固まる。
ー嘘だ。そんなはずない。ここに、居るわけ……。
動こうとしない身体に鞭を打ち、なんとか首だけ、声の方へと動かす。
「うわ、やっぱそうじゃん! お前、東京の大学行ってたのかよ! なに、大学デビュー?」
図書館にそぐわないバカみたいな声と、蔑みの笑みに、誠の身体は再び、縄で縛られたかのように動かなくなった。鳥肌が立ち、冷や汗と震えが止まらない。
そんな誠の様子を、目の前の男は楽しそうに見つめている。
「大学でも会えるとは。また仲良くしようね。志田ゲイくん」
気持ちの悪い笑顔と話し方に、嫌悪感が募る。
一方で、不思議な安堵感もあった。
それは多分、分相応の居場所であるという安堵感だ。
こういう扱いが自分には似合っているのだろう。
誠は恐怖で強ばる身体とは対照的に、自嘲めいた笑いを浮かべた。
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