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その時は近づく【2】

元はまったくの知らない人同士だったろうに、幕間から会場を覗いてみれば同じテーブルに座ったお客さん達はなんとなくいい感じにワイワイと話が弾みだしているようだった。 やれ『プチタルトが美味しい』だの『ピニャコラータが飲んでみたかった』だの。 楽しそうな明るい声が聞こえてくる。 「なんかさ...あの声聞いてるだけで、いいイベントにできたんだなぁって感じしね?」 「まあね~。しょっちゅうやってたら、持ち出し金額が大きすぎて破産するけどな」 「さてと...じゃあ、まずは俺らで会場温めてきますか。慎吾、準備は?」 チラリと後ろに目線を遣れば、得意満面の顔でニカッと笑ってくる。 「じゃ、先に行くからアナウンスよろしく~」 慎吾と並んでヘッドセットを付けて袖に立った所で、会場の照明がゆっくりと落とされていった。 何が始まるのかと、料理のカウンターに集まっていたお客さん達が急いで席につく。 「大変お待たせいたしました。それでは最後のご挨拶の前に...まずは歌のプレゼントです!」 充彦の声が響き、それだけで客席からは歓声が上がる。 「うわっ、ヤバい...人前で歌うとか、ほんと何年ぶりだよ......」 「まあまあ、昔取った杵柄ってやつやん。ステージ上がってもうたらどうとでもなるって。ほら、行くで」 それまで会場に流れていた穏やかなボサノバ調のBGMが止まった。 それと同時にステージのセンターにピンスポが当てられ、曲のイントロが始まる。 誰もが知ってるであろうそのイントロに、会場のざわつきが大きくなった。 二人組トップアイドルのデビュー曲。 ミリオンをはるかに超えるヒットとなったこの曲は、ユグドラシルで働いている頃に、お客さんを楽しませようと慎吾と二人、必死で完コピした曲だった。 ド頭のせつなげなギターのフレーズが終わった所で、ステージへと飛び出す。 「雨が踊るバスストップ 君は誰かに抱かれ~」 艶やかで、程よくビブラートの効いた慎吾の伸びやかな声。 イベントで歌でも歌おうと決まり、一度だけ簡単に振りと歌を合わせたものの、本気の歌声を聞くのは久しぶりだ。 相変わらず上手い...いや、昔よりもずっと色気が増していて更に上手くなっている。 そして俺も、店を辞めてからはまったく踊ってなかったというのに、不思議に思えるくらいに振付を忘れてはいなかった。 音さえ鳴れば勝手に体が動いてくれる。 昔取った杵柄というよりも、『三つ子の魂百まで』ってところか。 それは歌にしても同じ事だった。 歌詞を覚えているか、度忘れしないかと内心ヒヤヒヤしていたのが嘘のように、自分のパートになるとすんなりと言葉が出てくる。 俺が歌う隣で軽やかに踊る慎吾。 固めない程度に後ろに撫で付けていたはずの髪の毛がフワリと落ちてきて、時々それが顔にかかる。 それを楽しそうに、笑みを浮かべながら掻き上げる姿はかつてのままで、何故だかちょっと涙が出そうになった。 何の涙なんだろう。 ユグドラシルにいた頃の事を思い出して、ひどく懐かしくなったのだろうか? あれから何年も経った今、またこうして二人で並んでステージに立っているという感慨だろうか? どちらでもあるようで、けれどどちらとも違うようにも思う。 ただ間違いなく言えるのは、俺がかつて大切に育てた弟分を今こうして幸せそうに、こうして笑顔にしているのは...俺達が強引に引っ張り上げた俺と充彦の大切な弟分だという事だった。 それが嬉しい...そう、何よりも。 2番が終わり、間奏を二人で踊っている所で、ふと舞台袖が目に入る。 そこには俺のパートナーと慎吾のパートナーが楽しそうに俺達を見ながら、何やら振付の真似をしていた。 やはり航生の微妙な動きは気になるが、充彦は思っていた以上に踊れるらしい。 それに気づいた瞬間、俺は二人の方へと駆け出していた。 最後の大サビまで時間がない。 袖の航生に自分のヘッドセットを着けさせる。 最初は『何かトラブルでも!?』と慌てた様子だったけれど、俺の意図に気づいたらしく...更に慌てだした。 「ちょ、ちょっと、何やってんですか!」 「いいから、急げよ! 慎吾一人にさせる気か?」 マイクが入っているにも関わらず叫んで暴れる航生を黙らせるには一番の言葉。 目線の先には、急に引っ込んでしまった俺に驚き、不安そうな顔をしながらも尚きっちりと正確にステップを踏む慎吾の姿がある。 「......ああっ、もうっ!」 堪らず中央に飛び出す航生に続いて、充彦の腕を引っ張りながら俺もステージへと戻る。 元いた場所よりも一歩後ろに、少し困った顔の充彦と並んだ。 「さっきので合ってるから...ほら、サビ入るよ」 俺の言葉に『仕方ない』といった顔で髪をクシャッと掻き上げると、充彦の顔が気合いの入った物に変わる。 俺達の目の前では、隣に立ったのが俺ではなく航生だった事に驚き、そしてそれに幸せそうな笑顔を浮かべた慎吾が一度だけ目元をそっと押さえた。 「stay~with~me~」 充彦は初めてだろうに、見事なくらい俺達についてきている。 ほんと、何をやっても嫌みなくらいにそつなくこなす男だ。 後ろから見ていて、航生の踊りの下手さは拍手物だった。 まあまともに踊った事も無いんだから、それも当たり前なのかもしれない。 夜遊びもせず贅沢もせず、自分の夢の為に必死にコツコツ貯金し、独学で勉強をしていた航生らしい。 とはいえ決してリズム感が悪いわけではないから、これから練習をすれば想像以上に上達するかもしれない。 そんな航生に合わせたのか、慎吾の動きは少しだけ小さくなった。 意識しているのかしていないのか...おそらくは無意識なんだろうけれど...航生に恥ずかしい思いをさせたくない一心で。 踊りが苦手な癖に慎吾を一人にしたくなくて飛び出した航生。 そんな航生の為に、得意なダンスを控えめにしてなんとか振り付けを合わせようとする慎吾。 ああ、いいコンビだな...見守るように後ろで踊りながら、本当に思う。 いつまでも助けてやらないといけないなんて思っていたけれど、もう航生に俺達の手は必要無いのかもしれない。 慎吾といれば、きっと航生は俺達と堂々と並べるだけの男になるはずだ...そう、男優としてという意味ではなく。 曲はエンディングへと向かう。 目の前で並び踊る航生と慎吾を見ながら、充彦は何を思うだろうか...自分が去る寂しさはあったとしても、きっと不安や躊躇いは取り払えたはずだ。 隣を窺い見れば、想像通り...いや、それよりももっと晴れやかに微笑む充彦がいた。

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