30 / 118
「早く、忘れたい」
「千尋、まだ早くない? 無理しなくていいんだよ?」
「ううん、やる」
「急ぐ必要無いし、体力だってまだ戻ってないと思うし。ただでさえ元から体力無いのに……」
「うるさいっ! 佐伯さんは黙って腰振ってればいいの!」
「うわ、何そのセリフ最高。俺もう完勃起だわ」
「え、何そのセリフ最低。佐伯さんってそんな変態だったっけ……」
そりゃ千尋相手だし。変態にもなりますわ。でもそれとこれとは話が違うけど。
必死な顔でこちらに詰め寄る千尋にぴしゃりと言い放つ。
「とにかく、千尋の体と心が完全に復活するまでしばらく撮影はしません」
「もう復活した! 傷も消えたし元気だし!」
「……結城翼、」
「……っ……!」
名前を口にしただけでびくりと揺れる肩と、一瞬で青ざめる顔。
元気、だなんて。まだ別れから立ち直れてもいないくせに。
「無理しちゃ駄目。今すぐ全部元通りにしろなんて誰も言ってないんだから」
「で、でも……! ずっと撮影サボってたし、働かなきゃクビになっちゃう」
「だからそれは上司も回復待ってくれるって。休む時間はまだまだあるよ」
「だ、だけど……!」
なんだろう。やけに粘るな。
部屋を出ようとした足を止めて振り返れば、泣きそうに歪んだ顔と目が合って、
「早く、忘れたい……っ、身体が覚えてる翼を、全部消したい……っ!」
「……っ……」
俺が忘れさせてやる。違う。これじゃない。
あんな奴のために泣くな。違う。これでもなくて、なんだっけ。何て言えば良いんだっけ。
俺にしろ。幸せにするから。全部塗り替えてあげる。好きだ。抱き締めたい。
違う。違う。どれも違う。思い出した。これだ。
「……一応カメラは回すけど、ただのリハビリだからね?」
「……! うんっ! ありがとうございます!」
ただのリハビリ。自分にもそう言い聞かせながら、カメラに手を伸ばした。
――――――
「ねぇ、やっぱり今日は……」
「大丈夫……大丈夫、だからっ、続けて……」
大丈夫、か。一向に立ち上がる気配の無いそれに丁寧に舌を這わせながら、ちらりと顔を覗き見れば、固く閉じられた目元には涙が浮かんでいて。
カタカタと震える指先をいたわるようにそっと触れてみれば、大袈裟なくらいにびくりと揺れる身体。
「……ッ! ご、ごめんなさい……!」
「いや、俺の方こそごめんね。驚かせちゃったね」
ごめんなさい、反射的にそんな言葉が出るなんて。あいつは教育と呼んでいたっけ。何をされていたかなんて容易に想像がつく。
「……ごめんね千尋。ちょっと嫌な事思い出させてもいい? 結城とのセックスは、気持ち良かった?」
「……っ……、」
「ごめんね。でも今全然気持ち良さそうじゃないからさ、もしかして結城が上手かったから俺じゃ物足りないのかなって」
「ちが、……ちがうっ……!」
ガタガタと震え始めた身体。ぎゅっと抱きしめてやると、泣きそうになりながらも言葉を繋いでくれる。
「翼の時はっ、気持ち良く、なかった……いたくて、こわかった……!」
「……うん、」
「佐伯さんは違うのに、さっきから……重なって、俺っ……ごめんなさい……!」
「ううん。千尋は悪くないよ」
とうとう零れた涙を掬いながら思考を巡らせる。結城の言っていた教育はいわゆる調教の事だと思っていたが、どうやら違うらしい。千尋は誰にも染まっていない。何も変わっていない。ただ暴力と恐怖でトラウマを植え付けられただけ。
ああ、良かった、安心した、なんて。どうしよう。こんな時に。嬉しくて笑いが零れそう、
「落ち着いた?」
「ん、……ごめんなさい、」
「すぐ泣くしすぐ謝るね。前はもうちょっと生意気だったのに」
「う……」
「ふふ、まあ不安定なのは今だけだろうし、これもゆっくり治していけばいいよ」
むくれる千尋の目元にキスを落とし、放置していたカメラに手を伸ばす。
「“本当にいいの?”」
「うん、大丈夫。カメラ回すの?」
「“緊張してるね。駄目じゃん、知らないお兄さんにのこのこ着いてきちゃ”」
「……?」
噛み合わない会話にきょとん、と首をかしげる千尋に、クスクスと笑みが零れる。
「“大丈夫。初めてだもんね。優しくするから”」
「佐伯さん?」
「“じゃあ、始めようか……”」
「……っ、あ……うそ……、」
カメラのスイッチを入れれば、何かに気付いて目を丸くする千尋が液晶に映る。
「“こういうのは初めて?”」
固まってしまった千尋に優しく微笑んであげると、我に返ったように慌ててうつむく。耳まで真っ赤。可愛い。
「っ……“は、はい…”」
「“名前は?”」
「“千尋…です…”」
「ふふ、あの時よりも顔赤いよ」
「なっ……! そ、そんな事覚えてない!」
「そう? 俺は覚えてるよ?」
真っ赤な顔で訴える千尋にそう微笑む。あの日の事は一言一句漏らさず、お互いの仕草や表情までもしっかり覚えている。
俺と千尋の世界がやっと繋がった、大切な日だから。
ともだちにシェアしよう!