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多幸感

「はいOKでーす。お疲れ様でしたー」 「いやー良かったよ千尋君! またよろしくね」 「……ありがとうございます」  佐伯さんの上司だという男の人にポンと叩かれた肩をゆっくりなぞる。  なんだろう、褒められたのに。嬉しいはずなのに。  直々に指名された時のあの満たされた感覚。今は一切残っていない。撮影が進むにつれ意気揚々と挑んだ自分の感情がどんどん萎んでいくのがわかった。  胸にぽっかりと空いた穴。  ぼんやりと気の抜けたままベッドから起き上がり、シャワールームへ向かおうとした時、 「千尋ッ!」 「っ……!」  びりびりと響くような大声。  反射的に振り返った先には、こちらを見据える佐伯さんの、冷たい目。 「さ、えきさん……」 「部屋帰るよ。早く」 「あ、の……」  俺の返事も待たずに部屋を出て行った佐伯さんに混乱したまま、慌てて服だけ着てから後を追う。 「さ、佐伯さん、」  スタスタと無言で廊下を進む後ろ姿に恐る恐る声をかけるが返事は返ってこない。 「あ、あの、さっきはごめんなさい……話しも聞かないで、勝手に怒って……叩いてしまって……」 「……」 「あの、本当に……俺……」 「……」  目も合わせてくれないまま立ち止まり、エレベーターに乗り込んでいく。俺も続くが、密室でさらに冷たくなった空気に俯いて唇を噛む。  佐伯さんが怒鳴ったの、初めて聞いた。怒らない人だもん。俺が勝手な事ばっかりするから。  ルール破って、嘘ついて、信頼裏切って。  この仕事だって佐伯さんに通さないまま、勝手に舞い上がって勝手にOKして。 「……ごめん、なさいっ……」  馬鹿だな。佐伯さん怒らせるなんて。何してんだろ。駄目だよやっぱり。何も出来ない。何も変わらない。  やっぱり俺なんて、ここには必要無いんじゃないかな。 「……千尋、泣かないで……」 「……ッ、」  俺泣いてたんだ。  佐伯さんの言葉に反応する前にふんわりと抱きしめられる。  泣いちゃ駄目なのに。だって全部俺のせいなんだから。俺が悪いんだから。  もうその場から逃げ出したくて、佐伯さんの腕を無理やり引き剥がそうと身をよじるが、さらに強く抱きしめられ。 「っ……う、ぅ……!」 「大丈夫。大丈夫だから。千尋は悪くない。ごめんね?」  優しく頭を撫でられ、ぐちゃぐちゃになった頭の片隅で少しだけ幸せを感じた。そんな浅ましい自分に腹がたつ。怒らせているのに。迷惑をかけているのに。  そんな感情もぐちゃぐちゃになって溢れて、佐伯さんのスーツを濡らしてしまう。 「も、ごめ、なさ……っ」 「千尋泣かないで? あー俺何してんだろ……本当にごめん」 「ちがっ……俺が馬鹿、だからっ……」  なんで佐伯さんが謝るの。  全部、俺が、 「千尋、愛してる」  紡がれた言葉に目を見開く。 「愛してる。嫉妬で死にそうになるくらい。お前の事刺し殺したくなるくらい。本気で、愛してる」 「……っ……う、そ……」 「嘘じゃないよ。格好悪いけど今だって頭おかしくなりそう」  見上げれば揺れる瞳に眉根が下がる。いつも飄々と笑みを貼り付けているその顔は、今にも泣きそうに歪んでいる。  額にキスが落とされ、暖かさを感じる前に離れていった。 「縛り付けてごめんね?男優にもスタッフにもファンにも……俺以外の男に汚されるのが耐えられなかった。でももう解放してあげるから。干渉もしないしちゃんと見守るから」 「……っ、待っ、」  悲しい別れを告げて離れていく身体を今度は俺が抱きしめる。 「好、き……俺も、佐伯さん、好き……っ、」 「……え、」  強く、強く、抱きしめる。  泣きじゃくって胸にすがりつく俺に佐伯さんは一瞬固まって、 「そう、なの……? じゃあ、両想い、だね……」  呆然と呟く佐伯さんに、涙でぐちゃぐちゃになった顔でこくんと頷いた。 「なんだよ……じゃあ俺ら……え、馬鹿みたい、うわ、死にたい……」 「でも好き、」 「うん、俺も好き……」  ゆっくりと顔を近づけたところでタイミング良く扉が開いたエレベーター。二人でくすりと笑って、深く深くキスをした。

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