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「ごめんなさい、さよなら」(竹アヤ)

・竹アヤセフレ時代~現在の話 ・Aya ー2ーの後くらい ・NL表現含みます  眩しいネオンの看板。どんよりと薄暗い路地裏。窓が隠された息苦しい部屋。無駄に広いバスルーム。うるさく軋むベッド。  アヤはよく、ラブホテルが自分の家だと言っている。  でも俺はそうは思わない。アヤには似合わない。こんな下品で低俗な空間、近付く事も許されない。  だから、俺はアヤを美化しすぎているんだと思う。本当のアヤの事を何も理解していないんだと思う。  その心の距離が、いつも苦しかった。 「んにゃ、竹内くんやっほー」 「……随分派手っスね」  また痩せた? ちゃんと食ってます?  思わず出そうになったその言葉を無理やり飲み込んで、スーツのままバスルームに足を踏み入れる。 「さっきの撮影の小道具。捨てられちゃうのもったいないから貰ったの」  広いバスタブ一面に浮かぶ薔薇の花びら。手のひらでそっとすくって湯船に足を伸ばすアヤにかけてやれば、クスクス笑いながら身をよじる。  やつれきった青白い素肌に、赤い花びらがよく映える。よく見れば手首には縛られたような痣と、目元を何度もこすったような跡。  溢れる涙を、何度も何度もこすったような赤い跡。 「……撮影、どうでした?」 「竹内くんには関係ないよ」 「……そうっスね、」  関係無い。  俺とアヤはただの仕事仲間で、ただのセフレで。プライベートに踏み込む事は許されない。身体が満たされればそれで良い。  抱く理由も、抱かれる理由も無い。傷ついたアヤを癒やす理由も、慰める理由も無い。関係無いから。  だから、ずきずき痛む俺の心も、関係無い。 「ンっ……ふ、んぅ……」 「……」  水の跳ねる音。バスタブ越しに首に回された細い腕と、柔らかい唇と、熱い舌の感触。  なんだろう。いつものアヤじゃない。 「……あーあ、スーツびしょ濡れっスよ」 「アヤが脱がしてあげる」  ほら、やっぱり違う。裸で抱き合うなんてそんな恋人みたいな事、普段は絶対しないのに。 「……アヤ、少し話しませんか?」 「ボタン外すの難しー。全然力入んないや」 「アヤ、」 「えっと、ちょっと待っててね。もうちょっとだから……」 「アヤ……っ!」  びくりと震えた肩を強く掴む。  ゆっくりと上げられた顔は、今にも泣きそうに歪んでいた。色素の薄いカラコンが入った瞳が潤んで揺れる。  ずきずき、胸が痛い。 「話、聞かせてください。アヤの悲しい事も辛い事も、今頑張ってる事も。全部聞かせて」 「……っ、」 「力になりたい。支えたいんです」  ぐっと唇を噛んで俯くアヤ。  ああ、俺は次に貰う言葉を知っている。プライドと心の壁を高く高く積み上げたアヤが、自分を守るための言葉。傷つかないように、裏切られないように、必死で逃げ回るための言葉。 「……竹内くんには……関係、ない……、」  関係ない、 「…………」 「……竹内くん? っ、んんぅ……!」  濡れたシャツのボタンにかけられていた指先を強く掴む。やせ細った身体をバスルームの冷たい壁に押し付ける。震える唇を乱暴に塞ぐ。  関係ない、関係ない。  これ以上、俺の心を掻き回すのはやめて、 「いつも通り、楽しませてくださいね?」 「……うん。りょうかーいっ、」  嘘と強がりで無理やり固められた笑顔から目をそらす。きっと、俺も今同じような顔で笑ってるんだ。  関係ない、関係ない。  呪文のように心の中で呟きながら、深く深く唇を重ねた。 ―――― 「啓太、バラの匂いするね」 「え?」  唐突な言葉を理解出来ずに、くんくんと鼻を近付けてくる恋人をぼんやりと見つめる。  そこでやっとホテルのバラまみれになったバスルームの事を思い出し、一瞬だけ心臓が嫌な音を立てた。アヤとセフレの関係になった当初は毎日のようにこの嫌な音から逃げ続け、恋人への罪悪感に悩まされ続けていた。  今では口から勝手にスラスラと零れてくれる嘘達。 「あー、今日仕事で花束使ったから多分それだと思う」 「いい匂い。あ、式の招待状にバラの香り付けるのいいかもっ」  背中に回される華奢な腕。何年も見慣れたふんわりと屈託のない笑顔。大好きな笑顔。  いつものように体重をかけられながらぎゅっと抱きしめられるが、いつものように抱きしめ返す事が出来なかった。  身体が、動かなかった。 「……啓太?」 「……」  上目遣いに覗き込む姿と甘えるような声が、何故かアヤと被る。心臓がうるさい。  あれから、アヤはちゃんと家に帰っただろうか。  あんなにやせ細って、顔色も悪かった。ちゃんと食ってちゃんと寝ているんだろうか。今のままではいつか倒れてしまう。ボロボロになるまで無理をして。  また、独りぼっちで泣いているんだろうか。 「別れたい、」  無意識だった。  抱きしめられながら近い将来の結婚式の話をする。いつも通りの甘い空間に響いた場違いな言葉は、間違いなく俺の唇が紡いだものだった。 「……え……?」 「………」 「う、そ……」  恋人の瞳からボロボロと零れ落ちる涙を無感情な瞳で見つめ返す。アヤの泣きそうに歪んだ顔を見た時の、あの心臓を掴まれたような痛みは一切無かった。  テーブルの上に山積みに置かれた、式場のパンフレットと資料。あとは俺のプロポーズを待つだけの状態だった。つい先日も交際記念日として二人でちょっとしたお祝いをして、夜には高いワインを開けた事をぼんやりと思い出す。  交際歴七年。同棲生活は三年。高校時代からの関係に周囲の友人も互いの両親も、俺達の結婚を信じて疑わない。幸せな未来が確立されていた。  その全てが、音もたてずに静かに壊れていく。 「荷物、今度取りにくる。家賃も今まで通り払い続けるから」 「やだ……嘘でしょ……っ? ねえ、啓太? やだあ……っ」  すがりつくように俺の肩に食い込む腕を引き剥がすと、嗚咽を漏らしながら泣き崩れる恋人。  振り返らない。手を差し伸べる事もしない。  俺が守りたいのは、この人じゃない。 「ごめんなさい。さよなら、」  全てを捨ててまで、ただ欲しかった。  アヤを幸せにする力が、ただただ欲しかった。 ―――― 「え? アヤってピーマン嫌いなんスか?」 「うん。苦いもん」 「じゃあなんでチンジャオロースなんて頼むんスか」 「だってたけのこと牛肉は美味しいもん」 「……」  外部での撮影帰りに立ち寄った中華料理店。手際よく俺の皿に弾き飛ばされていくピーマンの山をポカンと見つめる。  そんな俺にはお構いなしに、やがて綺麗にピーマンが消えたチンジャオロースに、アヤはニコニコと手を合わせて。 「いっただっきまーすっ」 「あ、はい」 「にゃあーっ。おいしーいっ」 「…………」  付き合ったところで、アヤとの距離が縮まった訳では無い。心の距離は着実に縮まっていると信じたいが、まだまだ知らない事や理解出来ない事ばかり。  それでも、俺にとってのアヤのイメージは、この先ずっと変わらないんだと思う。  ラブホなんか似合わない。  優しくて、臆病で、健気で、愛に飢えた、とてもとても純粋な子。  俺が、守らなきゃいけない子。 「あーっ。ピーマン残ってた! ねぇ啓太。ピーマンピーマン」 「……ふふっ、」 「な、なんで笑うのっ!」 「いや、可愛いなあーって」 「にゃ……っ!?」 「ピーマンいただきまーす」  アヤ、俺が幸せにしてもいいですか。  全てを捨てても幸せにしたいんです。

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