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プロローグ・陽が沈むまでに
――――十万年前。
草木が生い茂る森の中、人間の武装兵が進軍していた。
軍勢の先頭には若い男の姿がある。それは初代勇者・イスラ。
ふとイスラが立ち止まる。
イスラは目を眇め、宙を見据えた。
様子が変わったイスラに、後ろに控えていた従者のレオノーラが心配そうに声を掛ける。
「イスラ様、どうされました?」
「控えろ」
「……申し訳ありません。差し出がましいことをしました」
レオノーラは申し訳なさそうに顔を伏せ、イスラの気に障らぬように一歩下がる。
そんなレオノーラをイスラは一瞥しただけで、また視線を元に戻す。
世界になにかが出現した。
妙な転移魔法陣の発動。それは気のせいかと思うほど一瞬のものだったが、たしかに魔力の発動だ。
この異変におそらく自分以外の三人の王も気付いただろう。
「行くぞ。先を急ぐ」
イスラはまた進軍を開始した。
ここは敵対する魔族との戦線。感知した転移魔法のことは気になるが構うつもりはない。
そう、この世界は人間、魔族、精霊族、幻想族の四つの勢力が戦争状態にある。イスラは人間を率いる王。勇者と呼ばれる人間の王であった。
ピカッ!! パアアァァァッ!!!!
「うわあああああああんっ!!!! …………。……あれ、どうして?」
目の前の光景にゼロスの涙が引っ込んだ。
一緒に転移したクロードもきょとんとしている。
なにがなんだか分からない。だって、今まで魔界の城のサロンにいたはずなのに視界に映ったのは緑の木々。森の景色だ。
でもどうしてここにいるのか分からない。
だって、つい先ほどまでいつものお茶の時間だった。
城のサロンには焼きたてのお菓子とブレイラが淹れた紅茶。家族五人で楽しいお茶の時間をしていた。
でもハウストとブレイラとイスラは用事で席を外し、サロンにはゼロスとクロードだけになった。そこへ黒衣の麗人が現われて、ゼロスとクロードの足元に転移魔法陣が出現したのだ。ゼロスは転移魔法陣を消去しようとしたけれど、不思議な魔力を帯びた魔法陣は消えなくて、ゼロスとクロードは強制的に転移させられたのである。
でもここは、どこを見ても森。ゼロスがクウヤやエンキと一緒に遊びに行く城の裏山のような、そんな普通の森である。
それに気付くと、ゼロスの気持ちが混乱からプンプンに変わっていく。
「もうっ、いたずらしちゃダメなのに!」
「あぶっ! あーうー!」
一緒にいたクロードもプンプン怒った。
いきなり城から森に転移させるなんてひどいイタズラだ。帰ったら父上に話して、こんなイタズラをした黒衣の麗人を『コラーッ』と叱ってもらうのだ。兄上にもお願いしてえいってしてもらおう。父上と兄上に怒られればいいのだ。ゼロスも父上や兄上と一緒に『ごめんなさいは!?』とする気満々である。
黒衣の麗人はブレイラに似た面影をしていたけれど、ブレイラはこんなことしない。ブレイラは優しくて、抱っこしてとお願いすると必ず抱っこしてくれるのだから。
「あ~あ、こんなにしちゃって!」
ゼロスは周囲を見回して嘆いた。
周辺にはおやつの焼き菓子やクロードのお出掛け用のカバンが散乱している。転移魔法陣の範囲内にあった物も一緒に転移されてきたのだ。
ゼロスはプンプンしながら地面に散らばったお菓子を拾ってカバンに詰め込んだ。ブレイラから『森から帰る時は森を綺麗にしてからですよ』と言われている。ゼロスは森でおやつを食べたらちゃんとゴミを持って帰っている。いい子なのだ。
「クロード、いこっか。おしろにかえらないと」
「ばぶっ」
「うーん、おしろどっちかなあ……」
「あうー……」
二人は悩んだ。
ここが森だということは分かるが、どこに向かって歩けば城があるのか分からない。
しかし悩んでいても仕方ない、陽が沈む前に帰らなければならないので歩くしかない。迷子になってしまっても、遅くなった時は城からお迎えがくるから大丈夫。
二人は並んで城を目指した。ゼロスは歩いて、クロードはハイハイでおうちに帰るのだ。
「はやくかえらないと、ブレイラがしんぱいしちゃうね」
「あーうー、あー」
クロードもなにやらおしゃべりしてハイハイした。
空が夕暮れに染まるまでに帰らなければブレイラを心配させてしまう。
ゼロスが遊びに夢中で帰りが遅くなると、ブレイラが城の正門まで出てきてしまうのだ。
『おーい、ブレイラ~! ただいま~!』
『ゼロス!』
ブレイラはゼロスを見るとほっとした顔になって、でも次にはプンプン怒りだす。
『暗くなる前に帰ってこないとダメじゃないですか。夜の森は危険なんですから』
『ぼく、つよいのに?』
『強くてもです』
『めいおうさまなのに?』
『冥王さまでもです。私にとってあなたは子ども、冥王さまでも心配するのは当たり前です』
『ぼくのこと、だいすきだから?』
『そうですよ。あなたが大好きだからです』
『そっかあ、ごめんなさい』
ゼロスが謝ると、ブレイラが優しく目を細めてくれる。
いい子いい子と頭を撫でて、ゼロスの手を繋いでくれるのだ。
『おかえりなさい、ゼロス。楽しかったですか?』
『うん、クウヤとエンキとおいかけっこしてた!』
『それは楽しそうですね、あとでお話しをたくさん聞かせてください。さあ行きましょう、父上も兄上もクロードも待っていますよ?』
『うん!』
ブレイラと手を繋いで城に入ると、父上と兄上もゼロスの帰りを待っていた。
遅くなったゼロスに父上は少し呆れた顔で『おかえり。遅いぞ?』と言ってくれる。父上に抱っこされていたクロードも『あぶー』と気難しい顔でおしゃべり、きっとおかえりなさいと言っている。兄上も『おかえり。あまりブレイラに心配かけるな』とゼロスの額をツンと小突いて出迎えてくれた。ここがゼロスのおうちだ。
だから早く帰らなければいけない。
「クロード、おんぶしてあげようか?」
「うー……」
クロードが不機嫌に低くうなった。
余計なお世話だと言わんばかりの反応だ。
「もう、クロードはおこりんぼうなんだから」
ゼロスはムッとしながらも歩きだす。
隣のクロードもシャカシャカとハイハイした。次代の魔王だけあって、普通の赤ん坊とは体力が違うのだ。
こうして二人は森を進みだす。
だがこの時、ゼロスはまだ分かっていなかった。この森が自分の知っている四界の森ではないということを。
遥か遠い過去、十万年前の初代四界の王の時代の森だということを――――。
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