22 / 30

それぞれの春祭り(4/7)

ノクスはカーテンのこちら側で、それが終わるのを待っていた。 麻酔が無いと聞いて、クレアは流石にほんの少し引き攣った顔を見せた。 正確には、無いのではなく量が足りなかった。 獅子がその巨体の痛覚を完全に遮断されるためには、兎の何倍もの量が必要だった。 時折、グルルと痛みを堪えるような唸り声が聞こえる度に、ノクスはどうしようもなく胸が痛んだ。 あの日の医務室を思い出す。 あの日も、彼は麻酔なしでその腕を縫われていた。 麻酔が無かったわけではない。 ただ、学生同士のいざこざに使える麻酔など無いと言い切られた。 縫ってもらえるだけで感謝しろ。と。 ……彼が悪かったわけではないのに。 私は無傷で、彼は利き腕が潰れた。 成績の順位を理由に絡まれた私は、まだ若く、うまくそれをかわせなかった。 今思えば、あんな奴ら、言いたいように言わせておけばよかっただけだったのに。 進級試験も、間近に迫っていたのに……。 「……どうして、こんなこと……」 包帯を巻かれた腕を痛々しげにさする彼に、私は震える声で尋ねた。 「あ?」 「……どうして、私を庇ったんですか……?」 「先輩が後輩の面倒見んのは当たり前だろ。つかその前に、ありがとうとかごめんなさいとかそういうのがあんじゃねーの?」 「ぁ……、ありがとう、ございます……。ご迷惑をおかけして、すみませ……」 言葉の途中で、バシバシと背を叩かれて、言葉に詰まる。 「おっ前は、本っっっ当に真面目だなぁ」 「はあ……」 真面目と言われることはよくある事だった。 他に自分に当て嵌まる形容詞はないのだろうか、という程に、それは繰り返し言われ慣れていた言葉だった。 「ま、そういうの、俺は嫌いじゃないぜ」 彼は生え揃いつつあったたてがみを揺らして笑った。 「…………は?……」 「好きだっつってんだよ」 「……はい……?」 私は、突然の展開に、返す言葉を持たなかった。 「何だよ脈無しかよ。体まで張ったってのに、甲斐ねぇなー」 彼はそう言ってケラケラ笑っていた。 ……彼にとっては、きっと、ただの冗談だったのだろうけど。 私は、その言葉をいまだに覚えていた。 カーテンが開かれ、医師が麻酔不足を謝罪しつつ、痛み止めの頓服薬を差し出す。 クレアはそれを慎ましやかに受け取ると、女性らしく挨拶をして部屋を出た。 クレアは腕を吊られた痛ましい姿ではあったが、澄ました顔をして歩いていた。 けれど、隣を歩くノクスには、その額にじわりと冷や汗が浮かんでいるのが分かった。 「……大丈夫ですか?」 尋ねたノクスに、クレアは「大丈夫だと思いますか?」とだけ女性の声で答えた。 廊下では、まだ安心できないのだろう。 彼の愚痴は、部屋で聞くことにしよう。とノクスは黙って隣を歩いた。 自室に戻って二重防音の扉を完全に閉め、改めて尋ねると、彼は高らかに吠えた。 「はっ、俺がこんぐらいの傷で何とかなるかよ。お前とは鍛え方が違ぇーんだよっ!!」 そして、声のトーンを落とし、ノクスにジリジリと詰め寄る。 「だがな、痛ぇもんは痛ぇんだよ!! くそっ何が麻酔がねぇだ!! 町の病院からでも薬屋からでも掻き集めて来いよ!!」 大きく叫んだ拍子に腕が揺れたのか、クレア……いや、もうクレイに戻った様子の彼は、びくりと肩を揺らし、眉を顰めた。 「ってて……、くそ、いってぇーな……。大体、この頓服だけでも先に飲ませろってんだよ」 クレイの言葉に、ノクスは水を汲んでくる。 利き腕でない片手で紙袋から薬を取り出そうと苦戦するクレイから、ノクスはそれを受け取り、指定通りの二錠を取り出す。 と、視線を感じ顔を上げれば、彼は無事な手で自身の口を指していた。 ……飲ませろ、と言うことだろうか。 その口に錠剤を入れると、案の定、指に歯を立てられる。 無理に引き抜けば傷ができるだろう。 ノクスは観念してそのまま彼が飽きるのを待つ。 楽しげに黒兎の指先を舐めていた男が、顰め面で口を開けたのはすぐだった。 「……苦ぇわ」 それはそうだろう。と内心思いつつも、差し出した水を男はごくごくと飲み干した。 「……相変わらず、何を考えているのか分からない人ですね」 ノクスの零した言葉に、クレイは意外そうな顔をした。 「そうか? 俺の考えなんて単純なもんだけどな」 言われて、ノクスはどうしようもなく苛立つ。 あの頃、この人に毎晩犯されるようになって、迷惑ではあったが、それでも彼は、少なからず私のことを気に入っているのだと思っていた。 けれど、見てしまった。 彼が、他の学生にも手を出しているところを。 相手の年も種族も性別も関係がないのか、彼はあちこちで違う相手とその姿を見せた。 まるで、私に見せつけているかのように。 「……では、どうして、その気もない相手に次々と手を出すんですか」 思わず呟いてから、ノクスは自身の口を押さえる。 まだそんな事を気にしていたなんて、こんなに、昔の事を。 当時、尋ねられなかったのは自分なのに、まだそれを引きずっていると、彼にそう思われるのが嫌だった。 だが、彼は、悪びれもせずさらりと答えた。 「あ? そんなの、お前に見せつけたかったからに決まってんだろ」 「……は?……」 ノクスは唖然とした拍子にずるりと下がった眼鏡を両手で慎重に上げる。 「お前さ、全然妬かなかったわけ?」 真っ直ぐに、正面から尋ねられて、ノクスは目を逸らしつつ、渋々答える。 「……もやもやは、しましたよ。どうしてこんなことをするんだろう。と」 「その割には何も言わなかったな。やっぱ、俺のことはどうでもよかったんだ?」 ノクスは彼の横顔をチラと覗き見る。 彼はまるで終わったことだと言うように、傷付いた風もなくヘラッと笑っていた。 「だ……大体、私は別に貴方のことを好きでもなんでもなかったんですから、妬く必要がないでしょう」 ノクスの言葉に、クレイの纏う空気が冷たく棘を増す。 「ふーん……。じゃあ、お前は、誰にでも、あんな風に体を開くんだな?」 「っ、人聞きの悪いことを言わないでくださいっ。そもそも、いつも貴方が無理矢理……っっ」 「なんだそれ。お前、俺にやめてくれって言ったことねぇだろ?」 「そんなはずありませんっっ」 「ふーん……」 と答えたクレイが、低く唸るような声へと変わる。 「じゃあ、試してみるか? お前がやめてくれって言ったら、やめてやるよ」 そう言って、クレイはその金色にも似た瞳を欲望の色に染め、べろりと舌なめずりをした。 据わった目の男に、じり、と迫られて、ノクスは一歩後退った。 「き、今日は、まだ怪我が……炎症を起こされては困ります……」 襲われようとしている癖に、クレイの怪我をどこか本気で心配しているノクスに、クレイは目を細めた。 ノクスは学生の頃から、表情もあまり変わらず、敬語で、生真面目だった。 近寄り難い雰囲気からか、周りに友達らしきやつがいたのを見たことは無かった。 だが、同じ部屋で暮らしていれば、こいつが意外と世話焼きで、気遣い屋で、優しいやつだって事にはすぐ気付いた。 勉強家で、いつも本を読んでいた。 現実的なことばかり言うくせに、星座だとか神話だとか、そんなのに詳しかった。 寒い冬に、二人で、肩を寄せ合って、流れる星を見た。 別に星に興味はなかったが、こいつと一緒ならいいかと思った。 キンと冷えた空気に、こいつの白い息。星が三つ繋がるように流れて、今のを見たかと顔を合わせた。 ノクスが初めて笑った。 こいつも、こんな風に笑うことがあるのかと驚いた。 自分よりも小柄な兎。小さな手に小さな顔。 黒い毛並みは艶々として、触れればきっと柔らかいのだろうと思った。 いつからか、どうしても、こいつが欲しいと思うようになっていた。 だが、こんな真面目なやつを、どうしたらその気にさせられるかなんて、全くわからなかった。 だからあれは最高のチャンスだった。 俺はあえて傷を受けた。 そして、こいつの体を手に入れた。 利き腕を潰したせいで進級の実技はズタボロだったが、こいつともう一年居られるなら、それでよかった。 なのにこいつは、体は毎晩俺に許すくせに、心だけはどうしても、俺に見せなかった。 俺は、思いつく限りのことを試してみた。 ただ、今思えばそれは逆効果だったんだろう。 真面目なこいつは、俺に、さらに心を閉ざした。 後退るノクスの足が、ベッドの縁に当たって止まる。 それを合図に、クレイは黒兎をベッドへと引き倒した。 「片腕でもこんくらいできるぜ?」 仰向けにされたノクスの上に膝をつき、ニヤリと獅子が笑う。 子どものような悪戯っぽい無邪気な笑顔。 ノクスはこの笑顔に、いつも堪らなく惹かれていた。 その笑顔を直視できずにノクスは目を逸らした。 クレイはその隙に手早くノクスのベルトを外し、ズボンと下着を剥ぎ取った。 「……どうしてそんなことだけ片手で出来るんですか」 思わず呟いたノクスに、クレイは 「今までも、利き手でお前を押さえて、こっちの手で脱がしてたかんな」 とさらりと答えつつ、その指をノクスのそこへと這わせる。 ふに。とした肉球の感触に、ノクスはびくりと腰を揺らす。 「相変わらず感度いいなお前、まだ触れただけだぜ?」 揶揄うような声に、ノクスは耐えきれず耳を垂らした。 こういうことを言うから。だから、彼のことが好きになれない。 どうして黙っていてくれないのだろう。 そう思ってから、そうじゃない、と思い出す。 そうだ。断らなければ……。ノクスはその口を開いた。 「やめ……っっ、んんっっ」 ずぶりと肉を割く感触に、ノクスは息を詰めた。 そのままぐいぐいと一息に奥まで貫かれ、次の瞬間にはそれが二本へと増える。 「……っっ」 三本、四本と、濡らされることもなく本数だけが増え、ノクスは痛みに耐える。 突き立てた四本を、彼は無造作に掻き回した。 「ぅ、ぁ、っっ……っ」 彼がナカで指を広げる。 「んんんっっっっ」 ノクスの体が意思に反して跳ねた。 「何だ、俺の指がそんなにイイか? お前、俺にやめてくれって言うんじゃねぇのかよ」 クレイは喉の奥でクツクツと笑うと、ノクスに息を継ぐ暇も与えず、自身のそれを突き入れた。 「――っっっ!!!」 腹部に突き抜けるほどの激しい異物感、裂けるような痛みと、熱い熱い感触。 ノクスの黒い瞳にじわりと生理的な涙が滲む。 「や、やめ……っ、ぁ、ぅ……くっ……っっ」 言葉を紡ごうとするノクスを、クレイは遠慮なく揺さぶった。 ノクスは堪らずその目をきつく閉じた。 「っっ、ん……っっっ、ぅ……」 あの頃は、煩い程にあんあん喘いでたくせに、久しぶりに会ったこいつは声を殺すようになっていた。 それがクレイには何故か腹立たしかった。 昨夜だって、あれだけ繰り返し注いでやったのに、こいつは結局声をあげないままに意識を飛ばした。 振動にズキズキと肩が痛む。 その苛立ちを混ぜ込みながら、クレイは乱暴に黒兎の奥を穿った。 「――――っっっっっっっっ!!!」 ぎゅっと閉じていた瞳を見開いて、黒兎の四肢がガクガクと震える。 一度も触れられないままに、いつの間にか勃ち上がった兎のそこからも白いモノが溢れ出す。 こんなに乱暴にされても、俺に感じているらしいその身体に、クレイは口端を上げる。 ノクスの内に強く絞られて、クレイは応えるように速度を上げ、奥深くを存分に突き上げる。 「ほら、注いでやるから、しっかり受け止めろよ!」 一際奥を貫いて、クレイは動きを止めた。 「んんんんんんっっっ!!」 注がれる熱に煽られるように、ノクスは細い背を逸らす。 ビクビクと小さく痙攣している俺よりずっと細い体。 こんな風に嬲られても尚、俺に反応するくせに……。と、クレイはどうしようもなく思う。 ノクスの滲む瞳が、ズレた眼鏡の上から、縋るようにクレイを見る。 まるで、どうして、こんなことをするのか。と静かに訴えられているようだった。 その瞳を、クレイはじっと見つめ返す。 お前こそ、どうして……。どうして、俺にこんなに簡単に体を許すのか。と。 「……やめてくれって、言うんじゃなかったのかよ」 クレイがぽつりと零すと、ノクスはただ悲しげに目を伏せた。 ……てっきり言い返されると思っていた。 俺が、言わせなかったんだとか、言おうとしてたとか、そんな憎まれ口を叩かれるんだと、思っていた……のに。 ――俺とはもう、会話もしたく無いって事か……? クレイが衝撃を受けているうちに、ノクスはその下から抜け出した。 手早く身だしなみを整えると、部屋を出て行く。 パタン。と静かに閉じた扉の音が、やけに大きく聞こえた……。

ともだちにシェアしよう!