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第379話

 ✳︎ 「この度は、本当におめでとうございます」 スーツ姿の恰幅のいいおじさんが、深々と頭を下げる。 きゅっ、と隣の火宮の服の裾を掴んでしまいながら、ペコリと頭を下げた俺は、 会場内の一段高い席に火宮と並んで座り、さっきからずっとこのやり取りを繰り返していた。 「もう、こんなの聞いてないですよ」 挨拶に訪れる人たちの合間を縫って、こそりと火宮に呟く。 「ククッ、傘下の組長も少し呼ぶと言ってあっただろう?」 「少しって…」 10数人を少しと言うのか。 確かに大多数は蒼羽会の構成員らしいけれど、それに混ざって、どこぞの3次団体の組長さんやら、なんたらとかいう組織のトップやらがワラワラいるじゃないか。 「ククッ、おまえの顔を知らせておいた方がいいと思う相手だけだ。少しだけ我慢していろ」 「っ、そりゃ、我慢しますけど。でも緊張もするー」 「緊張?」 「だって、どこぞの組長さんばかりでしょう?」 いかにも、なオーラを醸し出しまくりなんだよね。 「ククッ、さすがにおまえでも引くか」 「引くっていうか、何か失礼があったらいけないかな、と」 「ククッ、心配するな。俺が披露目をしているパートナーだぞ?そのおまえに絡む馬鹿などいない」 「へ?」 キョトン、と目を見開いてしまった俺に、火宮の首が傾いた。 「なんだその間抜け面は。失礼をはたらいて、因縁をつけられるのが怖くて緊張しているのではないのか」 「え?えっ?違いますよ?俺はただ、俺の振る舞いが、そのまま火宮さんの評価に繋がるだろうから…」 下手な真似はしたくないってだけで。 「おまえは…」 「えっ?俺、なんか変なこと言いました?」 火宮の目が、呆れているように見えるのは、気のせいだろうか。 「いや。そんな風に、おまえは俺のことをきちんと考える。ったく、そんな出来た奥さんに、誰が文句をつけようものか」 「えー?」 奥さんって…。 「ククッ、ほら、見ろ。今こちらに向かって来るのが、豊峰組長だ」 「えっ?じゃぁあれが藍くんのお父さん…」 火宮が薄く目を細めて示した先には、和服姿の強面のおじさんがいる。 さすがは武闘派のヤクザ、という感じの、映画とかで見る、ヤクザのイメージそのものの人だ。 「似て…ますね、目元とか」 こそっと火宮に囁いたところで、目の前に豊峰組長が辿り着いた。 「本日は、お招きいただきありがとうございます。火宮会長、並びに火宮翼さん、ご入籍おめでとうございます」 「っ…」 俺よりずっと年上の人に、深々と頭を下げられるこれ、本当に慣れない。 またもペコン、とお辞儀を返すだけの俺に、顔を上げた豊峰組長の目が向く。 「翼さんには、うちの倅がお世話になっておりまして」 「らしいな」 ふん、と傲慢に火宮は頷くけど。 「えっ?色々と助けてもらっているのは俺の方ですよ」 「いえいえ。火宮会長の伴侶様に、うちのがお尽くしするのは当たり前のことで」 「は?」 何言ってるの、この人。 思わず隣の火宮を見上げてしまったら、好きにしろ、と悪戯っぽく細められた目を見つけた。 じゃぁ。 「藍くんは友人です。尽くすとか当たり前とか、違うと思います」 「はい?いえ、翼さんのお立場でしたらね、藍など…」 「立場?俺と藍くんはクラスメイトで友人で、対等ですよ。俺たちの学校社会の中で、ヤクザの上下関係なんて、それこそ関係ありません」 ツン、と言ってしまったけれど、ヤバイ。 ちょっと強気に言い過ぎただろうか。 ヤクザの組長を今更恐れはしないけれど、火宮の連れ合いは生意気だと、火宮の評価を下げたらどうしよう。 「あ、の…」 「はっ、はっはは。これはこれは、さすがは火宮会長のお選びになった方です。肝が据わっておられて、なんとも頼もしいですな」 さすがだ、と繰り返す豊峰組長は、なんだか勝手に感心しているようだけれど。 「あの…」 「いやぁ、ですけどね、翼さん。藍は、蒼羽会さんとこの、下の組のたかが若です。貴方のようなお立場の方と、馴れ合いはいけませんよ」 「だからそれは…」 「今後とも、ぜひご贔屓に。ですが甘やかさず、バンバンこき使ってやって構いませんから」 ニコニコと、人の話も聞かず、まるで豊峰を自分の所有物のように話すこの人は…。 「………」 売りたい言葉はいっぱいある。 だけど豊峰があれほど世間を諦め、世界に絶望していたあの姿の原因は。 「っ…」 「翼」 トンッ、と火宮に肘をぶつけられて初めて、俺は豊峰組長を、これでもか、というほど睨みつけてしまっていたことに気がついた。

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