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第400話

次に目が醒めたときには、白い服を着た人の影が目の前にあって、カラカラに渇いた喉から、掠れた吐息が漏れた。 あぁ…。 ここ数日は、目にする度に、俺の腕に痛いことをしていく悪魔のようなその人が、いつもの医者で、俺を治そうとしてくれている人だとようやく分かった。 「せ、んせ…」 飲み物が欲しくて手を持ち上げた俺に、医者が振り向いた。 「ん?あ、お目覚め?どうかな、調子は」 「のど…」 「あぁ水分。今用意するから…って、火宮さん?」 医者が冷蔵庫へ向かうより早く、スッと横から現れた火宮が、ペットボトルを持ち、その中身を呷る。 「んっ、はっ…」 ぐいっと上半身を抱き起こされたかと思ったら、すぐに塞がれた唇から、トプトプと少し温くなったお茶が流れ込んできた。 「あー、はいはい、ごちそうさま。というかね、治療の邪魔ですから、ちょっと避けていてくれません?ってお願いしましたよね?」 結局ベッドの横を奪い取ってしまった火宮に、医者が苦笑している。 「ぷはっ…」 「もっとか?」 「ん…」 もういいです。っていうか、俺、今正気で、口移しとか恥ずかしいから! 「チッ…」 つまらん、って…。 「まったくあなた方はね…」 ここはプライベートホテルじゃない、とぶつくさ言っている医者の台詞は、いつだったかも聞いた覚えがある気がして。 「あぁ、火宮さん…」 あのときは火宮がこちら側にいて、死の淵から帰ってきたんだ。 「っ…」 今度は俺が。俺が必ず戻る番。 「翼…」 「んっ」 「先生、翼は?」 きゅっ、と手を握ってくれた火宮が、ふと医者を振り返る。 俺の中ではかなり、いやだいぶ、薬による倦怠感がなくなっているような気がした。 「ん、とりあえず、もう尿には薬物反応は出ていないよ。とにかく水分を取って、点滴もちゃんとして、もし動けるなら、後は運動でもして汗でもか…って、だから火宮さん?」 医者の言葉の途中で、任せろ、と言わんばかりにニヤリと笑った不穏な火宮に、顔を見ていない医者もしっかり気づいたようで。 「だーかーらーね、あなたは一体病院をなんだと…」 「駄目なのか」 「駄目かって…駄目に決まっているでしょう。まったく、そういうことは、退院してから、プライベートでゆっくりとですね…」 「チッ…」 ぷっ…。 「あはははっ、火宮さんが」 医者にお説教されているとか、面白過ぎる。 思わずクスクスと笑い声を上げたら、ムニッと頬っぺたを抓られた。 「痛っ!」 「おまえは」 ニヤリ、とサディスティックに頬を持ち上げたその顔にギクリとする。 あ、やばい。 それ、やばいやつ。 「っーー!」 「先生、出てろ」 「だーかーら…。あぁもう!いいですか?くれぐれも無茶はしないでくださいよ?」 え、待って。先生、待って。 仕方ない、と溜息をついた医者が、火宮に折れてしまいそうな空気を醸し出していて。 「分かっている。仕置きがてら、抜くだけだ」 「抜っ…えっ、なっ…」 「あー、はいはい。でも、彼に使われた薬物の種類はご理解いただいていますね?少しでもフラッシュバックの予兆があったらすぐに止めて下さい」 「あぁ」 「あと、あまり暴れさせて、点滴を抜かないで下さいよ?もう次に抜いたら刺すところありませんからね!」 「あぁ分かっている」 まったくもう、とブツブツ言いながら、白衣の後ろ姿が遠ざかっていってしまう。 「ちょっ、待っ…。え、本気で?火宮さん」 「クックックッ、翼。おまえのちゃんとした笑い声を、数日ぶりに聞いた」 「っ…」 そうか、俺。このところずっと、狂ったようにしか笑っていなかったのか。 ようやく冴える頭と、かなり怠さの抜けた身体に、元の世界が近づいて来ているようで嬉しい。 「だから次は翼らしい喘ぎ声でも聞かせてもらおうか」 「は…?」 いや、元の火宮、というか、いつも通りの火宮、なのは嬉しいことなんだけど。それはそれで複雑というか、ある意味それは取り戻さなくてもよかったというか。 「ほら、脱げ」 「ちょっ、ちょっ…」 「上は点滴があるから、下だけだな」 「ちょーーっ!」 ズルズルと、ウエストがゴムの簡単な病院着のズボンを下ろされて、俺はジタバタと抵抗しながら、必死でもがいていた。

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