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第416話

「ひぃっ、痛ってぇぇぇー!」 「だから、その生欠伸、さっきから何度目だ」 ピシッと、指示棒で打たれた手の甲を、豊峰が涙目になってフーフーしている。 「うぇぇ、だってー、んなわけ分かんねぇ呪文をつらつらと唱えられても」 「ぷっ、呪文って。ただの公式でしょ?真鍋さんの説明、こんなに分かりやすいのに」 おかげでスラスラと練習問題が解ける俺は、もう指示されたページが終わりそうだ。 「くっそぉ。この、くそ眠い時間に、なんで翼は、んなに元気なんだよ」 「え?あは、だって今日は、死ぬほど眠ったからねー」 もうすっかり充電済みだよ。 「チッ、やりゃぁいいんだろ、やりゃぁ」 ピシッ! 「ひぃぁぁっ!痛ってぇぇぇー!なにす…」 「翼さんのノートを覗き見して写すな。あまり舐めた態度を取っていると、次は剥いて生尻叩くぞ」 うわ。 だから、この鬼家庭教師を怒らせるな、って教えてあげたのに。 真鍋の絶対零度を凌ぐ視線と、俺でも滅多に聞いたことのないドスの効いた声に睨まれて、豊峰がピキッと凍っている。 「藍くん、藍くん、ほら」 カラーン、とテーブルの上に転がってしまった豊峰のシャープペンを手に握り直させてやり、俺はユサユサと豊峰の腕を揺らす。 「あ、あぁ、うん」 ハッとしたように、問題に取り掛かった豊峰が、10秒ほど固まった後、またもポイッとシャープペンを放り出した。 「ダメだ、分かんねぇ」 「えぇっ?」 「はぁぁぁっ、おまえは」 あまりの諦めの早さにびっくりだ。 真鍋は真鍋で、怒るどころか完全に呆れているし。 「俺さ、そもそも基礎ってやつが、マトモに入ってねぇから、こんな小難しい問題なんて、解けっこねぇよ」 ポソッと不貞腐れたように呟いた豊峰に、真鍋の溜息が重ねて落ちた。 「はぁっ。ならばまず、基礎から勉強し直すか」 「え?は?なんでそうなる。そんなの…。俺のことなんて、もう見捨てていいから」 キッ、と目を上げてぎゅっと眉を寄せた豊峰に、真鍋の目がスゥッと細くなった。 「おまえ、武器はいらないのか」 「え…」 ポカンとなった豊峰に、俺もキョトンと首を傾げた。 「おまえは何故、今うちにいる」 淡々とした、なんの感情も浮かばない真鍋の無表情の、目だけが真剣な色をしていた。 「っ、それは…」 「豊峰組長と…父君と戦うためではないのか」 「ッ、そう、だけど…」 ジッと真鍋の眼差しに射抜かれた豊峰が、隣でモゾモゾと足を組み替えた。 「それなのに、おまえは丸腰で、素手で立ち向かって行くつもりなのか」 愚か者、とは、真鍋は口にはしなかったけれど、その言葉は言外に聞こえた。 「真鍋さんっ…」 「ふっ、おまえは、ヤクザを嫌っている。組を継ぐのは嫌だ。そして家業が憎い」 「ッ…」 「あの父親が敷いたレールの上を歩きたくない。おまえのことよりも、組のことが大事な父親に、反発したい」 当たりだろう?と艶然と笑う真鍋に、豊峰がギリッと奥歯を軋ませたのが分かった。

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