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第457話
翌日。
期末テストが終わろうが、夏休みまで後1週間だろうがお構いなしに、学校は通常通りに授業がある。
さすがは火宮が推すだけはある名門校か、終業式の前日まで、短縮授業になることのない通常日課だ。
今日もきっちりと6時間目まで授業をこなした俺は、迎えの車の中で、うーんと大きく伸びをしていた。
「さすがに疲れた〜」
ボスッと背中を預けた後部座席のシートに身が沈む。
「お疲れ様です。翼さん、どちらかお寄りになるところはありますか?」
直帰でいいか?と尋ねてくるのは、運転席の及川で。
「あー、そうだ。今日、真鍋さんは事務所にいますか?」
「俺が出てくるときにはいましたよ」
「あっ、じゃぁ事務所に寄りたいです」
実は今日の授業で分かり難いところがあったんだよね。
「はぁっ?おま…熱心だな」
せっかくテストも終わって家庭教師が休みなのに、と呟いているのは、助手席に収まっている豊峰だ。
「え、だってそこが分からないと、今日の課題できなくない?藍くんは分かった?」
「俺に聞くな…」
言うまでもない、とそっぽを向いた豊峰に笑ってしまう。
「じゃぁ一緒に教えてもらおうよ」
「げろぉ、一緒に乗ってくるんじゃなかった…」
心底嫌そうな顔が、バックミラーに映っている。
「ふふ、登下校時は護衛がてら俺に付く、なんて言うんだもん」
「だって、浜崎さんが校内の護衛についてるからさ…俺だって、使用人として置いてもらってるからには、少しくらいは何か役に立たないと、とか思うわけよ」
「でも別に、火宮さんたちは何も言わないでしょ?」
住み込みで雇ってる、って言ったって、建前に近いんじゃ?
「むしろ、だからこそだろ。なんつーか、大恩があるわけだし…。俺の気持ち!」
「クスクス、そう。まぁ、浜崎さんもなんかすごいしね…」
もう俺は、てっきりあの人は構成員だとばかり思っていたくらいだしな。
「だよなー。あの人、完全に蒼羽会の人間だって思ってたよ」
「うん」
「でも、それにしちゃぁ、兄貴って人の影は見ないし、下っ端っぽいのに、真鍋幹部直属な感じなのが気になっちゃいたけど」
「ほっえ…」
「その立ち位置を聞いて納得。そんでもって、その上で会長に心酔してんのも、身も心も会長に捧げたいって思ってんのもさ、会長にそれだけの恩とか…そうしたいって思うだけのさ、魅力っつーか、引力っつーか」
「うん」
「会長に、それだけの人間性があるっつーことなんだよな。俺もさ、浜崎さんの気持ちは分かるぜ」
「そっか」
「やっぱあの方はすげぇよ。なんつーか、でけぇ。上位組織のトップってのが分かるわ。やっぱ、ヤクザん中でも、上の組織を束ねる人間は違うわ」
男惚れするってのが分かる!と、二カリと歯を見せる豊峰は、すっかり火宮に心を持っていかれているようで…。
「あ、あげないからね?」
「は?」
「俺のだから!」
やたらと火宮を褒める豊峰に不安になって、俺は慌てて助手席の背凭れを後ろから掴んだ。
「ぷっ、ごちそーさん」
「えっ?」
「今の、どう聞いてもノロケだろ。しかも、んな独占欲剥き出しにしなくても」
「っ…」
「取らねぇよ」
くくくっ、と目に涙を溜めて笑っている豊峰にムッとなる。
「だって…」
「ハイハイ。翼が、あの方が人として惚れられちゃうのも面白くないくらい、会長さんにべた惚れで嫉妬しぃなのがよーくわかりマシタ」
傑作、と笑う豊峰の座席を、思わずドカッと後ろから叩いてしまう。
「揶揄って!」
「だぁって、俺が会長さんを取りそうとか、ナイナイ。あんな雄々しいおっかねぇ男…どうやったらカレシになんてできんだよ。俺は恋人はカノジョがいい派デスー」
ケラケラ笑って、完全に俺を揶揄っている豊峰に、俺はもう付き合いきれなくなって、ドサッとシートに腰を戻した。
「藍くんなんて、今日も勉強中に居眠りして、真鍋さんにお仕置きされちゃえばいいんだ」
「あぁっ?なんつー物騒な台詞吐くんだよっ。俺はおまえを送り届けたら、そのままバックレ…」
「逃がさないよー」
ニッ、と笑う俺は、両手にそれぞれ、豊峰のスマホと財布を翳して見せた。
「はぁっ?おまっ、いつの間に…」
「座るのに邪魔かなんなのか知らないけど、物入れに置くんだもん」
運転席と助手席の間のそれは、後ろからは取り放題だよ?
「っな…手グセ悪ぃ」
会長さんに言いつけるぞ、と俺を睨んでくる豊峰が、深い溜息をついたところで、ちょうど蒼羽会事務所兼、火宮が拠点とする会社にたどり着いた。
「ほらほら。藍くんも降りて。来てねー」
来ないと返さないよ?と笑ってやる俺に、渋々といった様子で、豊峰がエントランスの中までついてくる。
「っとに、いい性格してんな」
「ふふ、だって藍くんが意地悪するから……ッ?!」
エレベーターの方へ歩き出しながら、ふざけ半分で後ろ歩きをしていた俺に、ふと入り口から入ってきた2人の構成員の姿が目に付いた。
「あん?どうし…」
「誰かっ!幹部をっ、幹部を呼んでくれっ…」
真っ赤な血を流した、傷だらけの男と。
その男に肩を貸し、支えるように歩いてきた男が、ヨロヨロとエントランスの中ほどまで進み、ガクリと膝をつく。
「っ…な、に…?」
ドッとにわかに騒がしくなったエントランスホールで。
俺の足は、その場に凍りついてしまったみたいに、硬直して動かなくなった。
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