488 / 719

第488話

それから、昼食を無事に済ませた俺たちは、それぞれ会社とマンションへと別れて行った。 夜。 「はーぁ、なんか疲れたな」 冷蔵庫から取り出したペットボトルの水を呷って、俺はズルズルとソファに身体を沈めた。 「まったく、お仕置きだとかって、いつもやり過ぎなんだよー」 昼間の本家訪問でもなんとなく気疲れしていたというのに。 帰宅した火宮に昼間の仕置きだと、散々に責められ泣かされ、俺はもうすっかりクタクタだ。 「はぁ、でも後少しで夏休み。そしたら火宮さんたちとバカンスだ」 ふふ、と堪えきれない楽しみな笑いが漏れる。 「クックックッ、どうした、1人でニヤニヤして」 不意に、後ろから火宮の声が聞こえたと思ったら、コツンと頭をつつかれた。 「うわっ。あー、上がったんですね」 「あぁ」 湯上りの、バスローブ姿でブランデーグラスを片手に目を細める火宮の、色気といったら半端ない。 「ふっ、なんだそんな目をして。さっきの笑いは思い出し笑いか?」 欲情が浮かんでいる、と揶揄われて、俺はパッと火宮から目を逸らした。 「そんなことっ…」 あるわけない。 「クックックッ、だがこれ以上したら、明日足腰が立たなくなる」 「っ、だからしませんって!」 「そうだな。終業式まで休ませるようなことになったら、あの小舅にどれだけネチネチと嫌味を言われるか」 それは面倒くさい、と笑いながら、火宮が俺の向かいのソファに座った。 「本当…」 S!S!どS! 「ククッ、懲りないな」 「っーー!言ってませんっ!」 その目がな、なんて言われたって、知らないんだから。 「クックックッ、本当におまえは」 うっ…。 ふわりと突然緩むその顔、反則だから。 愛おしいって気持ちがダダ漏れた、優しく細められた瞳とかズルすぎる。 「っーー!」 もう、どうしてくれよう、この人。 無自覚なのか計算なのか、さっぱり読ませない態度で、カランとグラスを鳴らして、ゆったりとお酒を呷っているその姿に、目眩すらしてくる。 「あぁ、もうっ。振り回されすぎ」 「どうした」 「べっつに!あなたが罪だって話です」 「クックックッ」 ゴクッと喉を上下させて、ブランデーを飲み下した火宮が妖しく笑う。 「っ…」 そうだよね。この火宮に限ってね。 計算抜きに、思わず表情筋を動かしちゃった、なんてことないよね。 「ん?」 「いいえ…」 でももしそうだったら嬉しいなー、なんて。 「ふふ」 別に、好きに解釈するくらい、俺の勝手だし。 「だからなんだ」 「いいえー。それより、火宮さん」 「なんだ?」 「及川さん…。及川さんがいなくなって、明日から俺の送迎の運転手さんって」 やっぱり変わるんだよね? せっかく慣れていたのに、と思うと、明日から少しだけ気が重い。 「あぁ、人選は真鍋に任せてあるが、多分、日替わりになるだろう」 「へっ?」 「おまえが必要以上に情を移さないようにな。専属はやめだ」 「えーっ!」 それって毎日違う人が来て、慣れるも何もないってこと? 「なんだ。不満か?」 「いえ…」 だけど俺の足に、そんなに何人もの人を割いていいんだろうか。 「ククッ、むしろ立候補者がいすぎて、選定するのが大変なくらいだそうだぞ」 部下どもをくまなくタラシやがって、とシニカルに笑う火宮が怖い。 「っーー!そんなの知りませんよっ」 「ふっ、まぁ、うちの姐が不人気よりは人気があっていいことだが…」 「だから姐って…」 「くれぐれも、無駄に懐くなよ?」 「………」 出た。その強烈な独占欲と嫉妬心。 新しい人に俺を会わせる度、よくも飽きずに同じ忠告が出来るものだ。 「翼」 「はいはい。必要以上に仲良くしませんー。約束しますー」 まったく。俺は誰と知り合っても、誰と関わり合いになっても、他の誰でもない、あなたのものなのに。あなただけの。 分かっているくせに、向けられる独占欲と束縛が、なんだか可愛くて嬉しくて。 「その口調…。おまえは」 ニヤリ、と唇の端を持ち上げた、火宮の悪ぅい表情に嫌な予感がする。 「なるほど。今夜は寝られなくなってもいいらしい」 「っ!待って。だって真鍋さんが…」 小言を言われるのが嫌だから、今日はもうしないんじゃなかったのか。 「ふっ、あいつの小言より、おまえの躾が優先だろう?」 「っ、待って!それ、優先順位、絶対おかしいです!」 抱き潰すより、登校が優先でしょう? 「まぁそう遠慮するな」 「遠慮じゃなくて、本気でお断り…」 あぁでも好きだな、愛おしいな、って思っちゃった俺の気持ち、この火宮なら見透かしているんだろうな…。 「ククッ、じゃぁやめるか」 「っ!」 だから、このどS!意地悪火宮! 「っ、やめ、ない…」 あー、もうどうにでもなれ。 どうせ俺の目は、もう強請るように熱く火宮を見つめちゃっているんでしょう? 艶やかに妖しく、綺麗に弧を描いた火宮の目と口が、その答えを雄弁に語っていた。

ともだちにシェアしよう!