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第490話

「え?火宮さんは行かないんですか?」 スーッと高速から分岐し、サービスエリアに乗り入れた車が駐車場に止まったところで、俺はとりあえずトイレに行こうと、車のドアに手を掛けた。 なのに、火宮は車内に居残るだなんて言い出して、シートに身を沈めたまま動く気配がない。 「どうして…」 「ふっ、俺のことは気にせずに、夏原と行って来い」 「……」 そりゃまぁ、火宮がサービスエリアのトイレに寄る姿なんて想像がつかないけどさ。 でも、トイレじゃなくたって、売店とかを一緒に見て回ったりもしてくれないのか。 むっ、となんとなく面白くない気分になりながら口を尖らせた俺に火宮が苦笑を浮かべた。 「ほら、小遣いをやるから、なんでも好きなものを買ってこい」 「はい…」 「夏原、頼んだぞ」 「了解です。行こう?火宮翼くん」 どうぞ、と、いつの間にやら俺の横のドアの外に回っていて、ご丁寧にエスコートしてくれる夏原をチラリと見上げる。 「安心して。俺は多分、会長のところの部下くらいには護衛として使えるから」 「ククッ、浜崎よりずっと腕が立つ」 心配するな、と笑う火宮だけれど、別に俺はそんな心配なんて1つもしてないし。 「行ってきます…」 本当は火宮と行きたかったんだけどなー。 チラリと振り返った後ろでは、火宮がヒラヒラと手を振っている。 「っ…」 「どうしたの?」 バンッ、とドアを閉めた夏原が、ギュッと唇を噛み締めた俺を、不思議そうに見下ろした。 「どうして火宮さんは一緒に降りてくれなかったんですかね?」 「え?あぁ、一緒に見たかった?」 「はい…」 しゅん、と俯いた俺に、夏原が困ったように小さく笑った。 「まぁ、きみがねだれば一緒に来てくれただろうけど…面倒だから、だろうなぁ」 「えっ?」 面倒、という言葉にドキリとする。 「あ、違う違う。きみのことがじゃないよ?あー、きみに教えていいことかはわからないけど…ほら、あそことか、あそこ」 「え…?」 くすくすと悪戯っぽく笑いながら、後ろの方や離れた横の方を示した夏原に、そちらを見てみれば…。 「……?」 「クスクス、分からない?明らかに浮いた目つきの、オジサンたちが2人1組ずつ、ちらほらと見えるでしょ?」 「あー、本当だ」 言われてみれば、俺たちのほうをそっと窺っているような視線をもつ男たちや、俺たちが降りてきた車の方を睨み据えている人たち。夏原が示すように、そんな男たちの姿が見て取れた。 「あれって…」 「うん。刑事。まぁ、組対の人たちだろうね」 「組対…どうして」 「それはまぁほら、蒼羽会に動きがあったから」 「え…?」 動きって…? 「先日、七重組系列の組織が1つ、絶縁除名されたでしょう?内部のゴタゴタで、蒼羽会が絡んでいる、っていう情報くらいは警察も簡単に掴むんだよね」 「はぁ…」 「そんな中で、蒼羽会の会長以下、会長の側近たちがぞろぞろと他県目指して出掛ければ…」 「ほぇ?」 それがなにか問題になるの? 「くすくす。こちらとしてはただの旅行なのにね。組対からしてみたら、関東外の別組織と密会や密談だ、勢力拡大のためのなんらかの動きだと、むやみやたらに疑っては、ああして無駄な監視を始めるわけ」 馬鹿だよねー、と笑う夏原は、ケロッとしていて、警察のその動きを気にしている様子はない。 「プライベートなのに」 「まぁね。だから別にコソコソする必要はないけれど。会長的には、うるさいハエが纏わりついているところにわざわざ姿を見せてやるのも面倒くさい、ってことでしょ」 「そうだったんですね…」 「うん。同じ理由で、ほら。向こうも能貴は降りてこない」 くすくすと笑いながら、夏原が示した方向から、豊峰と紫藤、護衛がてらなのか浜崎が歩いてきていた。 「翼っ」 「藍くん。紫藤くんも」 よっ、と軽く手を上げて寄ってきた豊峰に、俺もにこりと笑いかける。 「はぁーっ、やっと空気が吸えたー!」 生き返るー、と大袈裟に深呼吸している豊峰は、一体何があったのか。 「どうしたの?」 「あー?いや、そのなぁ?俺が割り振られた車…」 「え?」 確か豊峰が乗ったのは、真鍋と紫藤と運転手の4人の車だったけれど、それがどうかしたのだろうか。 「いや。相変わらず、真鍋幹部がクールなのはデフォなんだけどさぁ…」 ジト―ッと目を据わらせながら、豊峰が紫藤をチラリと見遣った。 「ん?」 「ん?じゃねぇよ!おまえ、真鍋幹部とピリピリ張り詰めた空気を醸し出しまくりやがって」 「んー?」 シラッとすっとぼけてあらぬ方向を見ている紫藤に、豊峰がガウッと食って掛かっている。 「あの真鍋幹部に、喧嘩を売ってるとしか思えない態度は取るし、わけわかんねぇ会話はかますし…」 「そうだっけ?」 ふふ、と笑う紫藤の笑みが黒い。 「あの凍えた車内の空気をどうしてくれんだよっ!」 あぁもう嫌だ、耐えられない、と頭を抱える豊峰に何があったのか。 「翼ぁ、俺もそっちの車に替えて」 「え?」 「ふぅん、豊峰藍くん、だっけ?ふぅん」 助けてくれ、と俺に縋りつく豊峰を、何故か夏原が興味津々に眺めてきた。 「な、なんすか?」 「そっちは紫藤和泉くんね。へぇ、なるほど」 くすくすと笑い声を立てる夏原の空気も、なんだか妖しい。 「車の交換ね。いいかもね。俺は能貴と同じ車に乗りたい。豊峰藍くんは能貴と紫藤和泉くんの車に乗っていたくない」 「そう!」 『どうみてもきみ、能貴の好みストライクだ…』 ぼそっ、と呟いた夏原の声は俺だけに聞こえて、けれど意味はよくわからなかった。 「夏原さん?」 「ふふ、提案なんだけど。豊峰藍くん、俺と座席、変わろうか?」 「え!マジで!いいんですかっ?」 豊峰の目がキラキラと輝く。 「駄目」 「はぁっ?」 何故か横から全力の却下をかましてきた紫藤に、豊峰の目がジトッと恨めしそうに据わった。 「なんで和泉が仕切るんだよ」 「だって幹部さんの意向でしょう?」 「そうだけど、別に当人同士でトレードするくらい…」 「駄目。それに向こうの車は、火宮くんと会長さんが乗っているんだよ?」 「あぁ。それが?」 「後部座席で2人がイチャイチャ、イチャイチャしているのを、ずーっと見せつけられるんだよ?」 それに耐えられるの?と笑う紫藤に、顔を赤くしたのは俺だった。 「してないからっ!」 変なこと言わないでよね。 「あー、それはそれで…苦痛だな」 「ちょっ、藍くんも!だから俺と火宮さんは別にっ…」 もう、なんなの、この2人。 「………」 「ねぇっ、急に黙り込んでいないで、夏原さんも何か言ってくださいよっ」 俺たちがイチャイチャしていなかったのは見ているでしょう? ぐいっと夏原の腕を引いた俺に、夏原がにっこりと綺麗な笑みを浮かべた。 「わかった。じゃぁ、能貴と俺がトレードすればいい」 「は?」 「え?」 だからなんでそうなった。 まぁ俺としては、助手席にいるのが夏原だろうが真鍋だろうが、どちらでもいいんだけれども。 「ふふ、そうきましたか」 「まぁね。結局俺は能貴と同じ車に乗れないのは癪だけど、彼と能貴を引き離すことになるなら、まぁいいか、と」 「話がわかりますね、夏原さん、でしたっけ?」 「くすくす。紫藤和泉くん。きみと俺の利害は一致している」 にやり、にこりと笑い合う夏原と紫藤が怖い。 『幹部さんは、どうも藍を気に入り過ぎている感じが、僕は嫌でたまらないので』 『同感。豊峰藍くんは、ちょっと能貴の気を引きすぎているね。この子、絶対に能貴が好きなタイプだ。こんなガキに能貴を掻っ攫われてたまるか』 ひそひそと、何やら視線で頷き合っている紫藤と夏原はなんなのか。 「なぁ翼。なんか、寒気がしねぇ?」 「え?いや、俺は別に…」 ぞぞっ、と鳥肌が立ったのか、腕を擦っている豊峰がキョロキョロとあたりを窺う。 「………」 「藍くん?」 「チッ。まぁいいや。なぁ翼、見ろよ、あっち。なんかうまそうな露店が出てるぞ」 「あ、本当だー」 ふと、豊峰の言葉にそちらに視線を向ければ、美味しそうなアメリカンドッグやワッフルの出店が見えた。 「ねぇ夏原さん。車内で食べてもいいと思います?」 「別に構わないんじゃない?」 「よし。じゃぁ買っていこうっと。火宮さんには、ブラックコーヒーかなんか買っていけばいいかなぁ?」 そういえば握らされたお小遣いがあったっけ。 ふと、手の中のお札を見下ろしてみた俺は、そこに何故か茶色い紙。何故か福沢の諭吉様の顔を見つけてぎょっとした。 「はぁっ?万札…」 「どうした?翼」 「いや…。これは多分、みんなで使えってことだよね?」 まさか、サービスエリアの物価を知らなかったわけじゃないだろうし。 それで1万円札を渡してくるとか…。 「どうやったらここで1万円も使えるんだよ…」 相変わらず狂った金銭感覚にがっくりとなる。 「あー、小銭がなかったとか?」 そういうことにしよう!と思った俺は、とりあえず豊峰を誘って、お店の方へと足を向けた。 「わー、たこ焼きもいい匂いだなぁ…」 色々と誘惑が多いサービスエリア内を、俺はキョロキョロしながら、豊峰と見て回る。 その後ろを大人しく、だけどなにやら不穏な空気を醸し出しながら、夏原と紫藤が付いてきていた。

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