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第572話
「っーー!ひ、みや、さんっ…」
待って。ストップ。ほら、まだここには、真鍋さんも、池田さんだっているんだから!
両手を前に突き出して、ブンブンと首を振る俺に、火宮は妖しい笑みを湛えたままゆっくりと近づいてきた。
「だ、から、待っ…」
池田さんが用意してくれた、せっかくのお湯とタオル!
真鍋さんだって、報告がまだ…。
チラリ、チラリと、幹部組に助けを求めるように視線を流したら、何をどう受け取られたのか、真鍋がにっこりと胡散臭い微笑みを浮かべた。
「へっ?」
「それでは私はこれで。先ほどの件の調査にさっそく乗り出します。ついでに、浜崎への指導もありますから、失礼させていただきます」
スッとスマートにお辞儀をするその仕草。格好良くて似合っていて、完璧なんだけど、その笑顔…。
口元しか笑っていないその顔は、完全に俺を見捨てる気でいるやつだ。
しかも指導。浜崎さんへの指導って言った。
それって絶対、口だけで済むのじゃないやつだ…。
「っ、ま、なべさん…っ」
「それから池田」
「はっ。俺は、追っ手に放った部下からの報告が上がりましたので、そちらの処理へ向かいます」
第四倉庫、と呟いている池田に、真鍋と火宮が上司らしく頷いているのが格好いい。
じゃなくって!
「待っ…」
とにかくこの2人を行かせちゃ駄目だ、と慌てて、ふらりと2人に向かって伸ばした手は、ぎゅっと何故か火宮に掴まれた。
「っ?!」
「ククッ、なんだ。見られたいのか?」
「はぁっ?」
なっ…何言ってるの、この人はぁぁぁぁっ。
ニヤリとサディスティックに笑っているその顔は、俺の内心にしっかり気づいている。
気づいていて、そういう意地悪を言い出すんだ。
「違うのか?真鍋と池田を引き留めようとして。仕置きされるのを見て下さいということじゃないのか」
「っ…」
だ、か、ら!
「そんなわけないでしょうがっ。誰がそんなところを見られたいなんて」
「クッ、ならば、出て行ってもらったほうがいいんだろう?」
「それはそうです。そんなところを見られてたまりま……あれ?」
っ、やば…。
「だ、そうだ」なんて笑いながら、シッシッと真鍋と池田を追い払っている火宮にハッとなる。
「っーー!だから違…」
「ククッ、おまえは時々、抜けてて可愛いな」
まんまと嵌って、と喉を鳴らす火宮に、カァァァッと頭が熱くなる。
「っ、あなたはっ、いつも意地悪ですっ!」
2人がいれば、変なことをされずに済むかと思って必死で引き留めていたのに。
何故か追い出す方向にすっかり誘導されてしまっているこの状況。
2人がいる前で…2人に見せて、なんて、この独占欲の塊のような男が、絶対にするわけがないって、俺は知っているのに…。
「ククッ、まぁ、そもそも真鍋が俺の意を汲まないわけがないからな」
初めから無駄だ、と笑う火宮は、真鍋が誰より何より火宮を優先することが分かり切っている。
「そして池田が、あの真鍋の圧に従わないはずもない」
「圧?」
「クッ、『池田、おまえも空気を読め、退室しろ』と無言で命令していた真鍋に気づいていないのか?」
「っ…」
それは分からなかったけど、あの真鍋なら、それくらいしていただろうとは想像がつく。
「あ、なたの、右腕と、部下は…」
「ククッ、うちの幹部連は優秀だろう?」
ニヤリ、と愉しげに頬を持ち上げた火宮の得意げな顔が、ムカつくんだけど、やけに格好可愛くて、思わずガクリと力が抜けた。
そこを、すかさず火宮に引っ張られる。
「っ!」
「ふっ、さぁ仕置きの時間だ、翼」
「っ、や…」
「うっかりよその男に懐いてついていかないように、きちんと繋いでおかないとな?」
ニヤリ、と唇の端を吊り上げた火宮が、どこからともなく、カシャンと手錠を持ち出した。
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