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第571話
「あ、あぁぁ、あぁっ」
駄目だって言ったのに。
情けなく潤んでしまった目で、ジロリと火宮を睨みつける。
「ククッ、その顔」
そそる、と囁く火宮は、本当、バカなんじゃないだろうか。
すでに先走りで染みになっていた下着は、最後のとどめにすっかり陥落して、ドロドロに汚れてしまった。
「ふ、ぇっ…」
こんな場所で。真鍋や池田も同じ室内にいるのに。
あまりの仕打ちに嗚咽を漏らしたら、ふとこちらを振り向いた真鍋が、シラーッと呆れ果てた顔で眉を寄せた。
「っ…」
コツ、と革靴の足音を立てて、ゆっくりと歩いてきた真鍋の視線に、ビクリと身が竦む。
火宮はニヤリと悪い笑みを浮かべたまま、その真鍋を制止してくれる様子はない。
「っーー!」
すぐ間近にやってきた真鍋に冷ややかに見下ろされ、居たたまれなくなってぎゅっと目を閉じたら、クックッと喉を鳴らした火宮が、スッと真鍋を見上げたんだろう空気の揺れを感じた。
「それで?真鍋」
「はい、ご報告いたします。が、その前に」
「池田」と放たれた真鍋の声に、はっ、と間髪入れずに応える声が聞こえた。
「湯とタオルを用意しろ。それから、翼さんの身支度のお手伝いを」
いいですね?と火宮に問う真鍋の声に、火宮がククッと喉を鳴らして頷いた。
「え…ちょ、お手伝いって…」
いらない。1人でできる。っていうか、その発言って…。
やっぱりっていうか、なんていうか、俺の今の状態がお見通しってことで。
カァッと頬を熱くしながら、俺はフルフルと意味なく首を振った。
「あぁ、ご安心ください、翼さん。俺は手伝いと言っても、お着替え場所の提供と案内と、見張りをするだけですから」
にこり、と無害そうに微笑んで、そう説明してくれた池田にホッとする。
ホッとしたのはいいんだけど…。
「っーー!」
つまりそれは、池田にも俺の状態がしっかり把握されちゃっているということに他ならなくて。
「バカ火宮ぁぁぁぁっ!」
もう本当、何してくれてるの!
それにこの幹部さんたちも…。
本当もう、なんなの、なんなの。なんなの!
俺1人がジタバタしているのが、たまらなくて恥ずかしくて居たたまれなくて。
「もう俺を埋めて…」
いっそ消えたい。
プシューッと小さく身を縮めて、完全にこの人たちとやり合うことを諦めた俺は、思考も言葉も動きもすべて放棄した。
「では先に湯とタオルを用意してきますので」
パタン、と池田が部屋を出ていく音がする。
「それで、報告いたしますが…」
真鍋がシラッとしたまま、火宮を連れて、執務椅子の方へ移動していくのが見える。
「……キというのは、まず偽名でしょう…それから…」
「ふん、あぁ、なるほど…」
「…六合会(りくごうかい)とは、…が繋がっていて…」
「…だな…あぁ、そうだろう…」
んー、本当、顔がイケメンなこの2人は、声までとても心地いい。
ぼんやりした頭では、何を話しているのかさっぱり理解できないけど、耳に届く声だけはうっとりするほどイイ声で。
火宮の悪戯のせいで微妙に疲れた身体が、うつらうつらと船をこぎ始める。
「失礼します。…あ、えぇと、翼さん…?」
あー?池田さんが、戻ってきたのかな。
ゆっくりと近づいてきた新たな声が、困ったように俺を呼んで、ふと目の前の光が微かに陰った。
「お休みですか?」
チラチラと、目の前の光を、遮ったり照らしたりしてみせるそれは、手でも振っているのだろうか。
いつの間にか重くなっていた瞼の前が、とても鬱陶しい。
「ククッ、それで?まぁそいつの正体はこれから探るとして、偶然知り合ったよく知らない相手と、仲良くクレープをシェアして楽しそうにしていたって?」
っ?!
あれ?
なんかいきなり、火宮の声がクリアに聞こえたんだけど…。
ハッとして、完全に落ちかけていた瞼が、パチリと開いた。
「しかもその提案は翼がして、さらにベンチに誘ったのも翼で、並んで仲良く談笑しながら、最終的にはナンパされたって?」
「っ、ひ、みや、さん…?」
あれ、これ、なんか完全にヤバイ空気の流れ…。
ぎくり、と感じた嫌な予感は、多分もうほぼ的中で。
「ん?翼。どうやらはっきり断ったらしいのは認めてやるがな。はたから見たらそれはデートだ」
「っな…」
「そして、俺からしたら浮気だな」
「はぁっ?違っ…」
一体この人は何を言い出すかと思えば。
と、友達とだって、並んで仲良くクレープくらい食べるってば!
ワタワタともがいた手は、無意味にスカスカと空中を掻いた。
「で?もしも池田が止めに入らなければ…」
「っ!」
ちょっと待って。池田さんっ。
一体あなた、何をどこまで真鍋さんに話したのっ?
アレが知れたら、五体が満足じゃなくなるとかなんだとか、言っていたのはそっちじゃなかったか。
思わず目の前にいた池田をハッと見上げたら、非常に申し訳なさそうな苦笑を浮かべた顔が見えた。
「っあ…」
「申し訳ありません。真鍋幹部に隠し事は不可能でして…」
ペコリと頭を下げる池田の眉が、へにゃりと情けなく下がったのが見えた。
あぁぁぁ、そういうこと…。
俺だって真鍋のことを知らないわけではないから、分かってしまう。
多分きっと池田も、真鍋の圧力と話術にまんまと誘導され、洗いざらいを暴かれてしまったに違いない。
ーーどうしてそもそもそんな得体の知れない男を翼さんに近づけた?
ーーあまりに無害そうで、翼さんもご友人のように接しておられましたので、初めはてっきり。
ーーだが、一緒にクレープを分け合って食べるという提案の時点でなんとかできなかったか。
ーーそ、れは、そうなのですが、あっ、でも、口をつけ合って食べるというのはきちんと阻止いたしました!
とかなんとか、うっかりしゃべる池田が、なんか簡単に想像できた。
「うーっ」
「ふっ、翼。どうやら躾け直しが必要みたいだな」
「っな…」
いらない。必要ない。
ぶわっと火宮から吹き付けた、そのサディスティックなオーラが怖すぎる。
「たかが数回会っただけの、身元もはっきりしないような男に、ホイホイ懐いて魅了して」
「…ってない…」
「仲良く楽しくクレープに談笑、デートまがいのことをして見せて、挙句に間接キスをしそうになった?」
はっ、と息を吐く火宮の目が、半分明らかに据わっていた。
「っーー!」
「クッ、翼、そんな隙だらけの危なっかしい恋人には、きちんとその身が誰のものかをわからせてやる必要があるよな?」
「っ…ひ、みや、さん…?」
あ、駄目だこれ。
ニヤリと弧を描いた目元が、完全に愉悦と嗜虐の光に揺れている。
「たっぷり躾け直しと、仕置きだな」
ゆっくりと端が上がっていった火宮の口から、ゾクリとするような、俺のとってもいやぁーな宣言が、壮絶な色気と共に紡がれた。
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